7.本能寺が変!

ホーム>バックナンバー2020>令和二年6月号(通算224号)ロス味 本能寺が変!7.本能寺が変!

コロナで失われたものたち
1.本能寺の変な夢
2.不機嫌な老人
3.お客さんいらっしゃい
4.あぶないヤツ
5.もっとあぶないヤツ
6.恐るべき計画
7.本能寺が変!

 拙者は安土へ登城し、上様(織田信長)に従って京に入り、本能寺に宿泊した。
 天正十年(1582)五月二十九日のことである。

 六月一日、上様は本能寺に前太政大臣・近衛前久(このえさきひさ。「近衛家系図」参照)様ら公家や僧侶、豪商たちを招いて茶会を開いた。
 その後、妙覚寺から織田信忠様も訪れた。
 信忠様は客たちが帰った深夜、上様にこんな話をした。
「京内で妙なうわさが流れておりまする」
「妙なうわさ?」
明智光秀が謀反を起こすのではないかと」
「であるか」
「驚かれないのですか?」
「あり得ぬ話だ。織田家中で光秀ほど従順な男はおらぬ。なんじのほうがよほど反抗的よ」
「すみません」
「大方、昨年ひどい目
(天正伊賀の乱)にあわせた伊賀忍者どもが根も葉もないうわさを流しているのであろう。捨ておけ」
「それならいいのですが、気になることがあるのです」
「気になること?」
「ええ。一昨日、光秀は愛宕山
(あたごやま。京都市右京区)の勝軍地蔵に戦勝を祈願したそうです」
光秀はこれから余とともに毛利攻めに向かうのだ。不自然ではあるまい」
「それはいいのですが、昨日は愛宕山で連歌会を開いたそうです。光秀の発句がこれです」
 信忠様が懐紙に書いて見せた。

  ときは今あめがしたなる五月かな

 上様は詠んでみて首をかしげた。
「時は今雨が下なる五月かな――。別に不自然ではあるまい」
「しかし、この漢字に換えてみたらどうでしょうか?」

  土岐は今天が下なる五月かな

「ほう」
 上様はおもしろがった。
「土岐氏出身の光秀が天下を取る五月だなーってか! うまく細工したものだ!」
「細工ですか?」
「そうだ。小細工に違いない」
「ウソなんですか?」
「ここだけの話だが、光秀は土岐明智氏出身ではない。名門の出自だと偽っているだけだ」
「私は光秀は明智城
(岐阜県可児市)主だった明智光安(みつやす)の甥(おい)だと聞いていたのですが」
「土岐明智氏は明智城落城で滅亡した。明智に光秀などという男はおらぬ」
「そうなんですか!」
「その連歌は愛宕山の神仏に奉納したのであろう? 人は人にはウソをつくが、神にはつかないものだ。つまりこれは、光秀の句ではあるまい」
「でしたか。それならいいのですが」
「このくらいのウソが見破れぬようでは、なんじもまだまだだのう」
 信忠様は安心して妙覚寺に帰っていった。
 その後、上様は遅い床に就いた。

 六月二日の早朝、拙者はむさくるしい男たちが本能寺の前に集まるのを見た。
(ついに来た……)
 刺客団は寺の前で騒ぎ始めたが、上様はまだ状況を把握していなかった。
「何事だ? ケンカか?」
 どーん! ばりばりばりぃぃ!
 殿舎に撃ち込まれた鉄砲で、さすがにただ事ではないと身構えたのである。
「さては謀反か? いかなる者の企てぞ!?」
 森蘭丸が報告していた。
「水色桔梗の旗印! 明智光秀の企てかと!」
「何ゆえ明智が!? ――是非に及ばず!」

 上様は弓で敵に立ち向かっていった。
 弓の弦
が切れると、槍を取って防戦した。
 医学の知識が豊富な拙者は、奥の部屋で負傷者の手当てをしていた。
 状況が状況だけに、止血程度の手当てである。

 ほどなくして上様も負傷して入ってきた。
「止血を」
 上様は、たらたら血が流れる腕を差し出してきた。
 拙者が薬を塗って包帯を巻いて勧めた。
「明智殿が犯人なら多勢に無勢で勝ち目はありません。お逃げになられたほうがよろしいのでは?」
 上様は苦笑した。
「逃げるのは余が最も得意とするところだが、今回はもう少し戦ってみる」
「なぜですか?」
「存外、敵が少ないからだ」
「少ない? 一万三千人もいるのに?」
「いや、ヤツラは明智軍ではない。いてもせいぜい数百であろう。しかし、何者であろうか? 伊賀忍者どものような気もするが――」
「何者なんでしょうね〜?」
「何か知っておるのか?」
 上様の顔が青くなってきた。
「何だか眠くなってきたぞ……。こんな時に眠るわけにはいかぬ……」
 上様は感づいた。
「平介、何を塗った?」
 拙者は顔を伏せた。
「申しわけございません。拙者は理由あって上様を討ち取らねばなりません。せめて最期は、痛くないようにして差し上げました」
「なんだと……、誰に頼まれた?」
「お許しください。主命には逆らえませんでした」
「安藤伊賀か?」
「はい」
「……。なれど、なんじは……、余の、臣なるぞ……」
「もももうしわけございません〜」
「余の臣ならば、供をせい……」
「は、はい」
「ほんこくじの……、ときの……、ように……」

 拙者は思い出した。
 永禄十二年(1569)正月四日、将軍足利義昭が三好三人衆や斎藤竜興
(たつおき)に襲われる事件があった(本圀寺の変・六条合戦)
 二日後、将軍襲撃を知らせる早馬が岐阜城の上様に伝えられた。
 上様の決断は早かった。
『今すぐ将軍を助けに行く!』
 が、その日は大雪だったため、家臣たちは尻込みした。
『この大雪の中で動くのはムリでしょう』
『この辺はまだマシですが、関ヶ原
(岐阜県関ケ原町)の辺はとんでもないことになっていますよ〜』
『ダメっす。京へなんか、とてもじゃないけど行けませんて〜』
 それでも、上様は聞かなかった。
『余は行くぞ! 行きたくない者は行かなくてもいい! 来れるヤツだけついてきやがれっ!』
 上様はそう言い残すと、
『はあ!』
 と、真っ白の中に単騎で駆け出してしまった。
『仕方ない、みんなも続けー!』
 家臣たちも渋々駆け出したが、上様に続いて本圀寺へたどり着けたのは、わずか十騎ばかりだった。
『ついてこられたのはなんじらだけか?』
 その中に拙者もいたのである。
 上様は拙者に気づいた。
『見ない顔だな。誰だ?』
『ははっ。安藤伊賀守の家臣・松野平介一忠でございます』
『なんと! 余の馬廻でもないのについて来れたか!』
 上様は遅れてたどり着いた馬廻たちに言った。
『なんじらは余が選抜した馬廻である。この松野平介は、安藤伊賀の臣である。これからは松野平介に劣らぬようにせよ!』
 上様はこのことを十一年たっても覚えていた。
 そうである。これこそが、大殿
(安藤道足)が解雇された後も、拙者だけが召し出された理由だった。

「上様……」
 思わず、涙があふれた。
 その上様は、もう何もおっしゃらなかった。
「うえさまーっ!」
 拙者のせいで揺さぶっても届かないところに逝ってしまわれていた。
「ひーん! ごめんなさい〜! 用がすんだら、すぐに拙者も上様の下に参りますから〜!」
 拙者は泣く泣く首を取って箱に詰めて本能寺を抜け出した。
 上様の享年は四十九。

「殺ったか?」
 塀の陰から荒木村重が気付いて近づいてきた。
「ぐすっ! 殺っちゃいました〜」
「よし、私について来い!」
 拙者は村重を追って走った。
 そして、妙顕寺にたどり着いた。
 荒木村重の妻子たちは、六条河原で処刑される直前まで妙顕寺内に設けられた牢屋に閉じ込められていた。
 処刑後、寺の僧が彼女たちの供養を申し出たという。

 村重は妻子たちの墓に拙者を案内した。
 そして、ダシの墓前に線香を立てると、拙者が抱えてきた箱の中を確認した。
 ぱか。
 どろどろろ〜。じゃじゃーん!
「よし、信長の首に間違いない。本当によくやってくれた」
 村重は上様の首を供えると、ダシたちに報告した。
「みんな! このとおり、松野殿がおまえたちのカタキを取ってくれたぞ!」
 村重は号泣した。
 そんな村重を見て、拙者も号泣した。
 上様の首を見て、ますます爆涙した。

 村重が妙顕寺を去った後も、拙者は上様の首箱を抱えて呆然としていた。
 そこへ僧がやって来て告げた。
明智光秀様の重臣・斎藤利三様が松野様に会われたいと」
 利三は光秀に仕える前は稲葉一鉄の重臣だったため、拙者とは昔からの知り合いだった。
 拙者は墓の陰に首箱を隠して応対した。
「土岐頼元様から聞いた。平介がこの寺にいるかもしれないと」
「何を聞いたんですか?」
「色々とな。おかげで京内は大混乱だ」
 その割に利三はうれしそうだった。
「うちの殿は上様に謀反を起こした織田信忠を二条御所にて討ち取った。ところがだ。京内には明智軍が上様を討ち取ったと誤情報を流す者たちが多い」
「戦の最中なんてそんなもんです。どっちが正しいか確かめようがありませんから」
「ただし、心当たりがないわけではない。我が軍は本当に上様を討ち取ってしまったのかもしれぬ」
「何ですと?」
「我が軍は信忠謀反の報を受けて本能寺に救援に駆け付けたのだが、その際、歯向かってきた者たちを何人も討ち取っている。調べてみると、信忠の配下ではなく、上様の小姓や馬廻ばかりであった。つまり、その時に誤って上様も討ち取ってしまった可能性があるのだ」
「でも、討ち取った中には上様のお首はなかったんでしょ?」
「ああ、なかった。しかし、信忠軍が討ち取った首たちの中からも上様の首は見つからなかった。明智軍か信忠軍、どちらが討ち取ったにしても首は出てくるはずなのだが……」
「へー、不思議ですねー。どこ行っちゃったんですかね〜」
 拙者は思わず首箱を隠した墓のほうをチラ見してしまったが、利三は気づかなかった。
「だからうちの殿には腹を決めろと進言した。下手な言い訳をして責められるより、上様を殺したことにしてしまえと進言した。そのほうが反織田勢力の支持を得られる。織田は上様と信忠で持っていただけだ。その二人を失った織田に将来はない。もはや明智は独自で朝廷を奉じ、畿内を平定し、将軍を迎えるより他ないであろう」
「……」
「これからの明智は忙しくなる。人が多くいるようになる。平介よ、俺とともにうちの殿に仕えないか? もはやおぬしが仕えていた上様はいない。おぬしの武芸と医学の能力は突出している。どうだ? 明智に来い! おぬしも行くところがなくて、こうやって呆然としていたのであろう?」
「勧誘はありがたいが、拙者はそれどころではない。まだやることがある」
「そうか。気が変わったら、いつでも来てくれよ。また会おう」
「ああ」
 利三は妙顕寺を去っていった。
(私の気が変わることはない)
 拙者は上様の首を抱いて泣いた。
『余の臣ならば、供をせい……』
(なぜなら拙者は、上様の臣だから……)

 拙者は自害して果てた。
 拙者の享年など、伝える価値もない。

*             *             *

 本能寺の変後、安藤道足は旧居城・北方城を奪還し、鏡島(かがしま。岐阜市)城・河渡(ごうど。岐阜市)城・軽見西(かるみにし。本巣市)城といった周辺諸城を制圧したが、本田(ほんでん。瑞穂市)城攻めに失敗し、稲葉一鉄に北方城を落とされて六月八日に滅亡した。享年八十?
 一方、土岐宗芸は一鉄から岐礼
(岐阜県揖斐川町)に館を与えられたが、十二月に病没したという。享年八十二。

[2020年5月末日執筆]
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参考文献はコチラ

※ 弊作品の根幹史料は『信長公記』です。

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