110.戦争味 基礎用語集

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赤松氏(あかまつし)
 中世に栄えた氏族。室町幕府四職の一。播磨等守護家。村上源氏で、鎌倉時代に地頭になり、元弘の乱で活躍、摂津・播磨守護となり、四職に列したが、1441嘉吉の乱で没落した。

足利義満(あしかがよしみつ)
 (1358-1408) 武将。室町幕府三代将軍(在職1368-1394)。義詮(よしあきら)の子。京都室町に花の御所を造営し、1379管領・細川頼之(ほそかわよりゆき)を斯波義将(しばよしまさ)と交代(康暦の政変)、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を僧録(そうろく)に任じ、1382相国寺(しょうこくじ)を創建、五山十刹(ござんじっさつ)制を整備し、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)ら五山文学僧を重用、1390土岐(とき)氏の乱で土岐康行(やすゆき)を、1391明徳(めいとく)の乱で山名氏清(やまなうじきよ)を討ち、1392南朝の後亀山(ごかめやま)天皇を京都に迎えて南北朝合体を実現、1394息子・義持に将軍職を譲り、太政大臣に就任、北山に隠居し、金閣を建立、能の観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)父子を重用するなど北山文化の担い手となり、1399応永(おうえい)の乱で大内義弘(おおうちよしひろ)を滅ぼし、1404明(みん)と勘合(かんごう)貿易を始めた。
戦争味平和味無念味

アメリカ(America)≧アメリカ合衆国(United States of America)=米国(べいこく)
 北アメリカ大陸にある国。1492コロンブスが漂着し、十六世紀初めにスペインが、1607年からイギリスが入植、1776イギリスから独立宣言し、1783パリ条約で独立を承認、徐々に西へ領土を広げ、十九世紀半ばに太平洋側に到達、二度の世界大戦と冷戦を経て、世界一の工業国・農業国・軍事大国に成長した。首都はワシントン。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)
 広島県廿日市市所在。安芸国の一宮。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)+田心姫(たごりひめ)命+湍津姫(たぎつひめ)命=宗像(むなかた)三女神。平清盛が安芸守に就任して崇敬して以降、平氏の氏神のようになって繁栄した。1241再建の社殿や「平家納経」などは国宝。

一色氏(いっしきし)
 中世に栄えた氏族。室町幕府四職の一。若狭等守護家。氏祖は足利泰氏の子・公深(こうしん)。足利尊氏に従い、若狭・三河の守護となり、明徳の乱で丹後を追加され、四職に列したが、義貫(よしつら)が足利義教に殺されて衰退した。⇒一色氏系図

今川貞世(いまがわさだよ)→今川了俊(りょうしゅん)
 (1326-?) 武将。1371九州探題となり、懐良(かねよし)親王・菊池氏を駆逐して大宰府(だざいふ)を制圧、1375水島の変で少弐冬資(しょうにふゆすけ)を殺すが、1399応永の乱で大内義弘(おおうちよしひろ)らとともに将軍・足利義満(あしかがよしみつ)に反抗、許されて史書『難太平記(なんたいへいき)』や教訓状『今川状(いまがわじょう)』などを著した。

今川氏(いまがわし)
 中世に栄えた氏族。駿河等守護家。氏祖は足利義氏の孫・国氏。範国(のりくに)が足利尊氏に従って駿河・遠江守護となり、貞世(さだよ。了俊)は九州探題として活躍、義元(よしもと)の代に三河を
併合するが、1560桶狭間の戦で織田信長に敗死して衰退した。最強味⇒今川氏系図

大内氏(おおうちし)
 中世に栄えた氏族。周防等守護家。百済国王家の子孫で、鎌倉時代に御家人になり、南北朝時代に発展、1399応永の乱で一時衰退するが、日明貿易などで巨利を得、義隆の代で七か国守護に躍進するが、1551家臣の陶晴賢(すえはるかた)に討たれ、1557滅亡した。

大内義弘(おおうちよしひろ)
 (1356-1399) 武将。周防・長門等守護。弘世(ひろよ)の子。九州探題・今川了俊(りょうしゅん。貞世)に従って九州を転戦し、1391明徳の乱や1392南北朝の合体で活躍、和泉・紀伊等6か国の太守となり、朝鮮との貿易でも富裕するが、足利義満と不和になり、1399足利公方・足利満兼らと結んで応永の乱を起こして敗死した。

韓国(かんこく)=大韓民国(だいかんみんこく)←大韓帝国(だいかんていこく)
 (1897-1910,1948-) アジアの朝鮮半島南部にある国。李氏朝鮮王朝二十六代・高宗(こうそう)が国号を大韓帝国と改めるが、1910韓国併合条約によって日本の植民地になり(日韓併合)、1945-1948アメリカの占領を経て、1948大韓民国として独立した。首都はソウル。

管領(かんれい)←執事(しつじ)
 
室町幕府の将軍補佐役。足利家執事&室町幕府政務長官。現代の副総理または官房長官のようなもの。足利尊氏(あしかがたかうじ)の執事・高師直(こうのもろなお)が起源。後には三管領家(細川・斯波・畠山氏)から交替で選ばれた。

九州探題(きゅうしゅうたんだい)←鎮西大将軍(ちんぜいたいしょうぐん)=鎮西管領
 室町幕府の九州司令長官。1336足利尊氏が一色範氏(いっしきのりうじ。道猷)を任じたのが始まりだが、しばらくは南朝方の勢力が強くて思うように統治できなかった。1371今川貞世(いまがわさだよ。了俊)がついに南朝を駆逐、1396渋川満頼(しぶかわみつより)就任後は、代々渋川氏が継いだ。

京極氏(きょうごくし)
 中世に栄えた氏族。室町幕府四職の一。北近江守護家。宇多源氏で、氏祖は佐々木信綱(ささきのぶつな)の子・氏信(うじのぶ)。鎌倉時代に評定衆を務め、高氏(導誉)が室町幕府創立に貢献、応仁の乱で衰退し、浅井氏におびやかされたが、高次(たかつぐ)が織田信長・豊臣秀吉に仕えて復興、1600関ヶ原の戦で東軍につき、讃岐丸亀藩主ほか明治維新まで生き残った。

高野山(こうやさん)
 和歌山県高野町にある標高千メートル内外の山地。真言宗(しんごんしゅう)総本山・金剛峰寺(こんごうぶじ)がある。

(さかい)
 現在の大阪府堺市。大阪湾に面した港町で、室町時代から勘合貿易や南蛮貿易で繁栄。三十六人の門閥豪商からなる会合衆(えごうしゅう)が町政を執った。織田信長に多額の矢銭(軍資金)を要求されて抵抗したが、結局屈服した。江戸時代は幕府領。

侍所(さむらいどころ・さぶらいどころ)
 鎌倉・室町幕府の軍事組織。鎌倉幕府のものは1180源頼朝が設置し、軍事・裁判を担当。現代の防衛省のようなもの。長官は別当(初代は和田義盛)、次官は所司(初代は梶原景時)。後に別当は北条氏が、所司は得宗(とくそう)家被官が世襲した。室町幕府のものは京都の警察や裁判を担当。現代の警視庁(地理的には京都府警)のようなもの。長官は所司(しょし。頭人とも)。管領に次ぐ重職で、山名(やまな)・赤松(あかまつ)・一色(いっしき)・京極(きょうごく)・土岐(とき)氏から選ばれた。

斯波氏(しばし)
 中世に栄えた氏族。室町幕府三管領の一。越前等守護家。氏祖は足利泰氏の子・家氏(いえうじ)。足利尊氏の倒幕に従い、義将(よしまさ・よしゆき)ら管領を輩出、越前・尾張・遠江を領有するが、応仁の乱後に衰退し、朝倉氏・織田氏・今川氏に領国を奪われた。⇒斯波氏系図

守護(しゅご)
 鎌倉・室町時代に国ごとに置かれた軍事・行政長官。古代の国司(こくし)、近世の大名(だいみょう)、現代の知事のようなもの。1185源頼朝(みなもとのよりとも)が初めて全国的に設置。戦国時代の下克上(げこくじょう)により衰退するが、なかには戦国大名として生き残るものもあった。

所司(しょし)=侍所所司(さむらいどころ・さぶらいどころしょし)=侍所頭人(とうにん)
 室町幕府の管領に次ぐ重職。侍所長官。京都の警察や裁判を担当。現代の警視総監(地理的には京都府警本部長)のようなもの。山名(やまな)・赤松(あかまつ)・一色(いっしき)・京極(きょうごく)・土岐(とき)氏から交替で選ばれた。

枢軸国(すうじくこく)=枢軸陣営
 第二次世界大戦の戦前・戦中における日本・ドイツ・イタリアを中心とした勢力のこと。名付け親はムッソリーニ。連合国と対立し、第二次世界大戦を起こして敗れた。

世阿弥(ぜあみ)=世阿弥元清(もときよ)
 (1363?-1443?) 能役者・能作者。観阿弥(かんあみ)の子。足利義満(あしかがよしみつ)に愛され、父の没後は二世観世大夫を継承、『風姿花伝(ふうしかでん)』『花鏡(かきょう)』などを著すが、足利義持(よしもち)・義教(よしのり)には冷遇され、1434佐渡に流された。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)就任以後は世襲となり、幕府を開いた。将軍味

僧録(そうろく)
 室町幕府の禅僧管理職。役所を僧録司といい、相国寺(しょうこくじ)に置かれた。1379足利義満が斯波義将(しばよしゆき・よしまさ)が管領の時に春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を任じたのが始まり。後に相国寺鹿苑院(ろくおんいん)塔主の兼職となり、鹿苑僧録とも呼ばれた。

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)
 (1939-1945) 枢軸国(日本・ドイツ・イタリアなど)と連合国(イギリス・アメリカ・フランス・中国・ソ連など)との世界戦争。1939ドイツのポーランド侵攻に始まり、1941日本の真珠湾攻撃(対アメリカ参戦)・マレー半島上陸(対イギリス参戦)によってアジア・太平洋に戦渦が拡大、当初、ドイツがヨーロッパの大半を制圧し、日本が東南アジアを占領するなど枢軸国優勢だったが、次第に連合国に巻き返され、1943にイタリアが、1945ドイツと日本がそれぞれ無条件降伏して終結した。

中国(ちゅうごく)≧中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)←中華民国(ちゅうかみんこく)
 (1912-) 東アジアにある国。1912孫文(そんぶん)が臨時大統領になって中華民国が成立、袁世凱(えんせいがい)が専制支配を確立し、1928蒋介石(しょうかいせき)が国内を統一するが、1937-1945日中戦争で衰退、1949中華人民共和国が成立した。現在の首都は北京。

朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)=北朝鮮(きたちょうせん)
 (1948-) 東アジアの朝鮮半島北部にある社会主義国。1945日本降伏後ソ連が占領、金日成(キムイルソン・きんにっせい)らが臨時人民委員会を組織し、1948韓国に対抗して独立した。首都は平壌(ピョンヤン・へいじょう)。

土岐氏(ときし)
 中世に栄えた氏族。室町時代の美濃守護家。氏祖は源頼光(みなもとのよりみつ)の子孫・源光衡(みつひら)。頼貞(よりさだ)が足利尊氏に従って美濃守護となり、最盛期には尾張・伊勢守護も兼ねたが、1388-1390土岐康行の乱などで衰退、頼芸(よりあき)の代に斎藤道三(さいとうどうさん)によって追放された。⇒土岐氏系図秘密味

南朝(なんちょう)
 (1336-1392) 1336足利尊氏(あしかがたかうじ)によって京都を追われた大覚寺統(だいかくじとう)の後醍醐(ごだいご)天皇が大和の吉野(よしの。奈良県吉野町)に立てた朝廷。後醍醐・後村上(ごむらかみ)・長慶(ちょうけい)・後亀山(ごかめやま)天皇と四代続いたが(1351-1352一時合体)、1392南北朝合体(南北朝合一)で消滅。
総理味

南北朝の動乱(なんぼくちょうのどうらん)・南北朝の内乱
 
(1336-1392) 室町幕府と吉野朝の戦争。1336年に足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)政権を倒し、光明(こうみょう)天皇を擁立して北朝を樹立。一方、敗れた後醍醐天皇は吉野(よしの)へ逃れ、南朝を樹立。以後、1392年に両朝が合体するまで各地で戦いが行われた。

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

(のう)=能楽(のうがく)
 奈良時代に伝わった散楽(さんがく)や、平安時代に起こった猿楽(さるがく)、鎌倉・南北朝時代の発展した田楽(でんがく)などの流れをくむ芸能。室町時代に観阿弥清次(かんあみきよつぐ)・世阿弥元清(ぜあみもときよ)父子が庶民的な舞台芸能に改良した。 

花の御所(はなのごしょ)=室町殿(むろまちどの)
 1378頃に足利義満が完成させた室町幕府将軍邸。今出川通(南)・上立売通(北)・烏丸通(東)・室町通(西)内にあり、幕府の名の由来になった。義満のほか、義教(よしのり)と義政(よしまさ)もここに住んだ。

奉公衆(ほうこうしゅう)
 室町幕府直轄軍。五番編制で兵力は約三百人。御所の警備や将軍の護衛に当たった。

北朝(ほくちょう)
 (1336-1351,1352-1392) 1336足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇を京都から追い、持明院統(じみょういんとう)の光明(こうみょう)天皇に立てさせた朝廷。光厳(こうごん)上皇・光明・崇光(すこう)・後光厳(ごこうごん)・後円融(ごえんゆう)・後小松(ごこまつ)天皇と五代続いたが(1351-1352一時合体)、1392南北朝合体(南北朝合一)で解消。
総理味

細川氏(ほそかわし)
 中近世に栄えた氏族。室町幕府三管領の一。阿波等守護家。氏祖し足利義清の孫・義季(よしすえ)。足利尊氏に従い、頼之が足利義満を後見して幕政を主導、以後続々と管領を輩出、室町幕府滅亡後は織田・豊臣・徳川氏に従い、肥後熊本藩主として明治維新を迎えた。⇒細川氏系図

北方領土(ほっぽうりょうど)択捉島(えとろふとう)+国後島(くなしりとう)+歯舞群島(はぼまいぐんとう)+色丹島(しこたんとう)
 1798近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)らが択捉島に「大日本恵登呂府(だいにほんえとろふ)」の標柱を立て、1854or1855日露通好(和親)条約で日本領となるが、1945ソ連(ロシア)が占領、1956日ソ共同宣言で平和条約締結後に歯舞群島・色丹島の返還が同意されたが、いまだ平和条約は締結されていない。北方味

政所(まんどころ)
 公卿の家政機関または幕府の政務機関。四位以下の公家の家政機関は公文所(くもんじょ)という。1190源頼朝(みなもとのよりとも)が権大納言(ごんだいなごん)・右近衛大将(うこのえたいしょう)任官を機に公文所を政所と改称した。初代別当は大江広元(おおえのひろもと)。1203北条時政(ほうじょうときまさ)が別当になってからは執権(しっけん)と呼ぶのが普通で、北条氏が世襲した。また、次官の執事は主に二階堂(にかいどう)から任じられた。室町幕府の政所は財政事務を担当、長官は執事で伊勢(いせ)氏が世襲、執事の代官である政所代は蜷川(にながわ)氏が世襲した。

室町時代(むろまちじだい)=足利時代(あしかがじだい)
 (1336-1573) 三代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の京都室町邸(花の御所)にちなむ。室町に幕府が置かれ、武士が支配していた時代。1336足利尊氏(たかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)政権を倒して始まり、足利氏が代々将軍に就任、管領(かんれい)がこれを補佐したが、権力は脆弱(ぜいじゃく)、北山文化・東山文化が栄えた。1573十五代将軍・足利義昭(よしあき)が織田信長に追放されて終わった。1392南北朝合体(南北朝合一)までを南北朝時代、1467-1477応仁の乱以後を戦国時代ともいう。

室町幕府(むろまちばくふ)=足利(あしかが)幕府
 (1336?-1573) 室町時代の武家政権。1336足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)政権を倒し、1338征夷大将軍に就任して創始。足利氏が代々将軍に就任し、管領(かんれい)がこれを補佐した。幕府名は三代将軍・足利義満の京都室町邸(花の御所)にちなむ。1467-1477応仁の乱後に弱体化し、1573十五代将軍・足利義昭(よしあき)が織田信長に追放されて滅びた。

明徳の乱(めいとくのらん)
 1391山名氏清(やまなうじきよ)と山名満幸(みつゆき)らが足利義満に対して起こした反乱。氏清は攻め込んだ京都で戦死し、満幸は逃れて敗死した。十一か国を領して六分一殿(ろくぶんのいちどの)と呼ばれていた山名氏は三か国に減らされ、一時衰退した。戦争味平和味無念味

山名氏清(やまなうじきよ)
 (1344-1391) 武将。丹波・和泉等守護。時氏の子。南朝との戦いに活躍し、山名一族で十一か国を領し、「六分一殿(ろくぶんのいちどの)」と呼ばれたが、足利義満に挑発され、1391おいの山名満幸(みつゆき)らと明徳の乱を起こして敗死した。戦争味平和味無念味

山名氏(やまなし)
 中世に栄えた氏族。室町幕府四職の一。但馬等守護家。氏祖は新田義重の子・義範(よしのり)。足利氏に従って伯耆等の守護職を得、一時南朝に転じるが、北朝に復帰、山陰を中心に一族で十一か国を領して「六分一殿(ろくぶんのいちどの)」と呼ばれるが、1391明徳の乱で没落、その後持ち直し、持豊(もちとよ)は応仁の乱で西軍の主将を務めるが、乱後に没落した。
戦争味⇒山名氏系図

連合国(れんごうこく)
 @第一次世界大戦の戦前・戦中における三国協商に参加したイギリス・フランス・ロシア・イタリア・日本・アメリカ・セルビアなどの勢力のこと。同盟国と対立し、第一次世界大戦で勝利した。A第二次世界大戦の戦前・戦中におけるアメリカ・イギリス・フランス・中国・ソ連などの勢力のこと。第二次世界大戦で枢軸国に勝利した。

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)
 1937北京郊外で起こった日本軍と中国軍の衝突事件。北京郊外の盧溝橋付近で日本軍が夜間軍事演習中、中国軍の攻撃を受けたため、待ってましたと応戦、協定を結んで停戦するが、近衛文麿(このえふみまろ)内閣が五個師団の中国派遣を決定したため、日中戦争に発展した。

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