15.初詣味 基礎用語集

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天照大神=天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 (?-?) 太陽神。皇室の祖神。伊勢神宮内宮などの祭神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと。伊邪那岐命)と伊弉冉尊(いざなみのみこと。伊邪那美命)の子(または伊弉諾尊だけの子)。大豆味

神道(しんとう)
 日本に古来から伝わる民族信仰。古墳時代の氏神(うじがみ)崇拝に始まり、平安時代に神社制度が整備され、鎌倉時代には伊勢(いせ)神道、室町時代には唯一(ゆいいつ)神道、江戸時代には垂加(すいか)神道といった理論も生まれた。

菅原道真(すがわらのみちざね)
 (845-903) 学者。公卿。右大臣。是善(これよし)の子。877文章(もんじょう)博士になり、894遣唐使(けんとうし)廃止を進言、887〜888阿衡(あこう)の紛議に意見して宇多(うだ)天皇の信頼を得、892史書『類聚国史(るいじゅうこくし)』を編集、893参議になり、899右大臣に昇って正史『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』・詩集『菅家文集(かんけぶんそう)』を編集するが、901左大臣・藤原時平(ときひら)によって大宰府(だざいふ)に左遷され(昌泰の変)、任地で没して怨霊となり、天神として祭られた。スト味
受験味

前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)
 古墳の形式の一つ。丸い円墳と四角い方墳を連結させたもので、上から見るとカギ穴のような形をしている。名付け親は江戸時代の学者・蒲生君平(がもうくんぺい)。最大の前方後円墳は大仙陵古墳(だいせんりょうこふん。伝仁徳天皇陵)。

徳川家康(とくがわいえやす)←松平元康(まつだいらもとやす)←松平元信(もとのぶ)
 (1542-1616) 武将。江戸幕府初代将軍(在職1603-1605)・大御所。三河岡崎(みかわおかざき)城主・松平広忠(まつだいらひろただ)の子。1560桶狭間(おけはざま)の戦後に岡崎城主となり、織田信長と同盟を締結、今川氏を滅ぼして遠江浜松(とおとうみはままつ)城主となるが1572三方原(みかたがはら)の戦で武田信玄(たけだしんげん)に惨敗、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(かつより)を撃退し、1582本能寺(ほんのうじ)の変後、1584小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦後に豊臣秀吉と講和、1590小田原(おだわら)攻めに従って武蔵江戸(えど)城主となり、関東を統治、五大老に列し、秀吉の死後の1600関ヶ原の戦で石田三成らを撃破、1603征夷大将軍となって江戸幕府を開き、1605将軍職を秀忠(ひでたた)に譲渡、駿河府中(するがふちゅう)に退くが、大御所として実権を掌握、1614〜1615大坂の役で豊臣秀頼(ひでより)を滅ぼし、1615武家諸法度(ぶけしょはっと)・禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)・一国一城令(いっこくいちじょうれい)などを定めた。惨敗味 変節味
裏金味4 籠城味

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

卑弥呼(ひみこ・ひめこ・ひむか)≒天照大神(あまてらすおおみかみ)≒倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)≒倭姫命(やまとひめのみこと)≒神功皇后(じんくうこうごう)
 (?-?) 『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にある邪馬台国(やまたいこく)の女王。倭国(わこく)大乱後、諸国の王に推されて連合国家の女王に擁立され、鬼道(きどう。呪術)でもって国を治めたという。239から4度魏(ぎ)に遣使し、「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印(きんいん)紫綬(しじゅ)・銅鏡百枚などを与えられた。晩年は狗奴国(くなこく)の卑弥弓呼(ひみここ)と争い、248年頃に没したという。
倭国味

風土記(ふどき)
 奈良時代に編集された地誌。713元明天皇が諸国に編集を命令。出雲(ほぼ全文)・播磨・常陸・肥前・豊後の五か国がまとまって現存。二十数か国の逸文が諸書に残存。

邪馬台国(やまたいこく・やまとこく)
 『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』によると、三世紀に倭(わ)にあった連合国家。倭国大乱後に諸国の王が卑弥呼(ひみこ)を女王に擁立して連合国家を成立させ、伊都(いと)国ほか三十余りの小国を従えた。大人(たいじん)・下戸(げこ)の身分制度があり、税制や刑罰も存在したという。卑弥呼の晩年に狗奴(くな)国と対立したという。その所在地については諸説あるが、畿内説と九州説が有力。
倭国味

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