5.経済封鎖〜 ABCD包囲陣

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経済制裁の効果
1.ワル動く 〜 満州事変
2.ワル孤立 〜 国際連盟脱退
3.悪の枢軸 〜 日独伊防共協定
4.枢軸強化 〜 日独伊三国同盟
5.経済封鎖 〜 ABCD包囲陣
6.ワル暴発 〜 日米開戦へ
  

 昭和十六年(1941)一月、アメリカとイギリスはワシントンで軍議を行い、二月にはアメリカ・イギリス・オーストラリアの間で太平洋の共同防衛について会談、四月にはシンガポールでアメリカ・イギリス・オランダが連合作戦会議(ABD会議)に集い、共同して日本の南進を阻止する戦略を討議した。
 つまりこの三国に、すでに日本と戦っている中国を加えた共同防衛網が、いわゆるABCD包囲陣である。

  A = America (アメリカ) … 米領フィリピン
  B = Britain
(イギリス) … 英領インド・ビルマ(ミャンマー)・マレーシア・香港・シンガポール
  C = China
(中国)
  D = Dutch
(オランダ)  … 蘭印(オランダ領インドネシア)

 参謀総長・杉山元(すぎやまはじめ)が苦笑した。
ABCD包囲陣だってよ」
 近衛文麿が言った。
「アメリカもえげつないことをやってくるな」
「まて。フランスが入ってないぞ」
「フランスは『F』だから、語呂が合わないから外したんだろ」
「ふふん。『E』が見つからなかったんで、入れてもらえなかったってわけだ」
「裏返せば、南部仏印進駐までは、アメリカは許してくれるってことだ」

 七月二日、日本は御前会議南部仏印進駐を決定、二十八日、これを実行に移した。

 でも、アメリカは許してくれなかった。
 アメリカは、ただちに国内の日本資産凍結を決定し、イギリス・オランダもこれにならったのである。
 また、八月には、対日石油輸出を全面的に禁止した。

 これより先の六月、ドイツは独ソ不可侵条約を破棄してソ連を急襲した。独ソ戦争の始まりである。
 松岡洋右は驚いた。
「なんてことだ……」
 彼の四国協商構想は無残に破られたわけである。
 松岡は即参内し、昭和天皇に奏上した。
「今は南進している場合ではありません! ここは三国同盟を重視し、日本もドイツとともにソ連を攻撃すべきでしょう!」
 昭和天皇は疑った。
「それは、閣僚の一致した意見か?」
 木戸幸一を通じて近衛に聞いてみたところ、そうではないことが分かった。
 松岡は言い張った。
ソ連を討つべし!」
 が、ノモンハン事件で痛い目にあっていた陸軍は嫌がった。
ソ連は強いからな」
 東条は顔をしかめた。
「最近、松岡は出すぎじゃないか?」
 近衛も困った顔をした。
「うん。このようなこと独断で陛下に申し上げることではない。出すぎだ。それにドイツも信用できない。勝手にソ連に侵攻するなんて……。今は三国同盟よりも、日米交渉を重視すべきだ。燃料がなくては、戦争のしようがないではないか」
「だから、松岡は排除したほうが……」

 七月、第二次近衛内閣は総辞職した。
 すぐに第三次近衛内閣が誕生したが、閣僚の席に松岡の名はなかった。追い出されたわけである。
ソ連と決戦だぁ〜。決戦だぁぁ……」

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