41.制裁味 基礎用語集

愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)=宣統帝(せんとうてい)=康徳帝(こうとくてい)
 (1906-1967) 王族・政治家。清の最後の皇帝(在位1908-1912)。満州国皇帝(在位1934-1945)。1911辛亥(しんがい)革命で退位するが、1932満州国成立とともに関東軍に擁立されて執政となり、1934皇帝に就任、1945日本の敗戦で退位した。

阿部信行(あべのぶゆき)
 (1875-1953) 陸軍軍人。政治家。首相(在職1939-1940)。陸軍次官などを経て1939組閣、直後に第二次世界大戦が勃発し、不介入方針を採り、日中戦争収拾・アメリカ接近を画策、失敗して総辞職し、1942翼賛政治会総裁を務めた。

阿部信行内閣(あべのぶゆきないかく)=阿部内閣
 (1939-1940) 1939平沼騏一郎内閣の後を受けて元陸軍次官・阿部信行が組閣、直後に第二次世界大戦が勃発し、不介入方針を採り、日中戦争収拾・アメリカ接近を画策するが、失敗して総辞職した。

犬養毅(いぬかいつよし)
 (1855-1932) 政治家。首相(在職1931-1932)。1910立憲国民党を結成し、1912第一次護憲運動で活躍、1922革新倶楽部(かくしんくらぶ)に改組し、1924第二次護憲運動でも活躍、1925立憲政友会と合同し、1929政友会総裁に就任、1931首相となり、金輸出再禁止を実行、1932満州国建国と承認に反対するが、五・一五事件で射殺された。

今川義元(いまがわよしもと)
 (1519-1560) 武将。駿河等守護。今川氏親(うじちか)の子。長兄氏輝(うじてる)死後、1536花倉の乱で次兄の玄光恵探(げんこうえたん)を破って家督を継ぎ、三河の松平氏を併合して尾張東部まで領国を拡張、いち早く検地を行い、商工業振興や富国強兵に努め、1553分国法「今川仮名目録追加(いまがわかなもくろくついか)」を制定、1554善徳寺(ぜんとくじ)の会盟で、甲斐の武田信玄(たけだしんげん)・相模の北条氏康(ほうじょううじやす)と三国同盟を締結、後方の憂いを無くして京都に向かうが、1560桶狭間(おけはざま)の戦いで尾張の織田信長(おだのぶなが)に敗死した。
最強味

上杉謙信(うえすぎけんしん)←上杉政虎(まさとら)←上杉輝虎(てるとら)長尾景虎(ながおかげとら)
 (1530-1578) 武将。越後守護代。関東管領。長尾為景の子。1548家督を継ぎ、1550越後国主となり、信濃北部に進出した甲斐の戦国大名・武田信玄と数度交戦(川中島の戦)、関東管領・上杉憲政(うえすぎのりまさ)の頼みで関東の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)を攻め、1561関東管領を継承、1573越中を平定して織田信長を攻めるが、1578急死した。
撤退味 地震味2

右翼(うよく)
 保守的または国粋的な思想を持つ人々。国家社会主義・天皇主義・農本主義など。昭和時代前期、軍部と結んで力をもった。

ABCD包囲陣(えーびーしーでぃーほういじん)・ABCDライン・ABCD包囲網
 太平洋戦争直前、日本の南進政策に対してアメリカ(America)・イギリス(Britain)・中国(China)・オランダ(Dutch)四国が採った対日経済制裁を主とした包囲網のこと。
制裁味5

援蒋(えんしょう)ルート
 アメリカ・イギリスが蒋介石の国民政府に救援物資を送ったルート。仏印ルート・ビルマルート・香港ルート・新彊(西北)ルートがあった。日本の仏印進駐の目的の一つは、このルートの遮断のため。

韓国(かんこく)=大韓民国(だいかんみんこく)←大韓帝国(だいかんていこく)
 (1897-1910,1948-) アジアの朝鮮半島南部にある国。李氏朝鮮王朝二十六代・高宗(こうそう)が国号を大韓帝国と改めるが、1910韓国併合条約によって日本の植民地になり(日韓併合)、1945-1948アメリカの占領を経て、1948大韓民国として独立した。首都はソウル。

関東軍(かんとうぐん)
 中国の関東州(遼東半島西南端)に駐屯していた日本の陸軍部隊。関東州と南満州鉄道を警備した。1931満州事変勃発後、司令部を旅順から奉天、新京(長春)に移し、実質的に満州を支配した。

京都(きょうと)
 現在の京都府京都市。府庁所在地。794桓武天皇による平安京遷都から1868明治天皇による事実上の東京遷都まで日本の帝都として繁栄、明治維新後も文化の中心として発展した。

軍部(ぐんぶ)
 陸海空軍などの総称。特に陸軍省(長は陸相)・海軍省(長は海相)・参謀本部(長は参謀総長)・軍令部(長は軍令部総長)など政治に関わる上層部のこと。

血盟団事件(けつめいだんじけん)
 井上日昭(いのうえにっしょう)が組織した暗殺集団「血盟団」が「一人一殺」を目標とし、政財界の要人を付け狙った事件。1932小沼正(おぬましょう)が前蔵相・井上準之助を、菱沼五郎(ひしぬまごろう)が三井合名理事長・団琢磨(だんたくま)を射殺するが、背後関係をかぎつけられて井上らは自首した。
凶弾味

五・一五(ご・いちご)事件
 1932.5/15に起きた海軍青年将校らによる反乱事件。古賀清志(こがきよし)・三上卓(みかみたく)ら海軍青年将校や、陸軍士官候補生、橘孝三郎(たちばなこうさぶろう)ら愛郷塾(あいごうじゅく)のメンバーが陸相・荒木貞夫(あらきさだお)を首班とする軍事政権樹立を画策し、首相官邸・警視庁・日本銀行を襲撃、首相・犬養毅(いぬかいつよし)を射殺したが、即日全員自首した。処罰は軽く、最高刑は橘の無期懲役。政党内閣を終焉(しゅうえん)させた事件として知られる。

国際連盟(こくさいれんめい)≦国連(こくれん)
 (1920-1946) アメリカ大統領ウィルソンの提唱によって成立した国際平和機関。本部はジュネーブ。総会・理事会(イギリス・フランス・イタリア・日本の四常任理事国(後にドイツも追加)と非常任理事国四か国(後九か国)からなる)・事務局からなる。日本は1933脱退。1931-1933満州事変や1939-1945第二次世界大戦などを阻止することができず、1946解散した。

国際連盟脱退(こくさいれんめいだったい)
 1933日本が国際連盟を脱退した事件。1931満州事変を起こした日本に対し、中国の国民政府が国際連盟に提訴、国際連盟理事会はリットン調査団を派遣し、その報告書を基に決議案を作成、日本軍の撤退と中国の満州統治権を承認した対日避難勧告を総会の議決にかけた結果、四十二対一(棄権一)で採択したため、日本代表・松岡洋右(まつおかようすけ)は退席、国連を脱退した。
制裁味2

国民精神総動員運動(こくみんせいしんそうどういんうんどう)
 1937日中戦争開始後、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が呼びかけた、ナチスやファシスト党のような挙国一致の戦時体制を目指した国民組織運動。

国民政府(こくみんせいふ)=中華民国(ちゅうかみんこく)国民政府=国府
 1925中国国民党が広東(カントン)で興した政府。台湾の源流。初め汪兆銘(おうちょうめい)が主席となるが、孫文(そんぶん)の後継者として北伐(ほくばつ)を追えた蒋介石(しょうかいせき)が執権を握り、広州(こうしゅう)から武漢(ぶかん)、南京(ナンキン)へ遷都、日中戦争中には重慶(じゅうけい)に移り、1945戦後南京へ還都するが、共産党との内戦に敗れ、1949台湾へ逃れた。

御前会議(ごぜんかいぎ)
 大日本帝国憲法下で重大事を決めるときに、天皇も出席した最高会議のこと。

近衛文麿(このえふみまろ)
 (1891-1945) 政治家。首相(在職1937-1939,1940-1941)。1931貴族院副議長に、1933貴族院議長になり、1937首相に就任、国家精神総動員運動を唱え、日中戦争を遂行、1938「国民政府を対手とせず」「東亜新秩序」「近衛三原則」声明を発し、1939国家総動員法を制定、1939総辞職後は枢密院(すうみついん)議長に転じ、1940再び組閣、基本国策要綱を決定し、新体制運動を展開、大政翼賛会・大日本産業報告会を組織し、北部仏印進駐を決行、日独伊三国同盟・1941日ソ中立条約を結ぶが、日米交渉が決裂したため、1941総辞職した。
制裁味

斎藤実(さいとうまこと)
 (1858-1936) 海軍軍人・政治家。首相(在職1932-1934)。1898海軍次官に、1906海相になり、1914シーメンス事件で辞職、朝鮮総督を務めた後、1934五・一五事件後に挙国一致内閣の首相に就任、1932満州国を承認し、国際連盟から脱退するが、1934帝人事件で総辞職、1936内大臣の時に二・二六事件で暗殺された。

斎藤実内閣(さいとうまことないかく)
 (1932-1934) 1932五・一五事件後、海軍大将・斎藤実が挙国一致内閣を組閣、外相・内田康哉(うちだこうさい)が焦土外交を唱え、日満議定書を調印して満州国を承認、国際連盟から脱退するが、1934帝人事件で総辞職した。

蒋介石(しょうかいせき・チアンチエシー)
 (1887-1975) 中国の軍人政治家。孫文(そんぶん)に師事し、黄埔(こうほ)軍官学校を創設、孫文没後、革命軍を継承して北伐(ほくばつ)を成功させ、1927南京国民政府を樹立、1928国民政府主席に就き、日本と結んで反共政策を推進、1936西安事件後は共産党と結び(国共合作)、1937-1945日中戦争で日本と抗戦、第二次世界大戦後、共産党に敗れ、1949台湾に逃れた。

常任理事国(じょうにんりじこく)
 国際連盟や国際連合において、理事国の地位を恒久的に有する国のこと。国際連盟の常任理事国は、イギリス・フランス・イタリア・日本の四か国(後にドイツも追加)、国際連合は、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連(後のロシア)・中国の五か国。

昭和天皇(しょうわてんのう)←裕仁親王(ひろひとしんのう)
 (1901-1989) 伝百二十四代天皇(在位1926-1989)。大正天皇の第一皇子。母は貞明(ていめい)皇后。1921大正天皇の摂政となり、1926即位、戦前は現人神として崇敬されたが、1945人間宣言を行い、1947日本国憲法にて国民の象徴とされた。制裁味

清(しん)
 (1616-1912) 近世〜近代の中国の王朝。1616太祖ヌルハチが女真族を統一して後金(ごきん)を興し、二代太宗ホンタイジが国号を清と改称、三代世祖順治帝が北京を攻略して首都となし、中国を統一したが、1840アヘン戦争を機に諸外国に侵食され、1894-1895日清戦争で日本に敗北、1911辛亥(しんがい)革命が起こり、1912宣統帝溥儀(ふぎ)の退位によって滅びた。

真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)
 1941.12/8(ハワイ時間12/7)に日本海軍がアメリカのハワイ基地に行った奇襲攻撃。太平洋戦争における最初の戦い。連合艦隊司令長官・山本五十六(やまもといそろく)の構想、第一航空艦隊司令長官・南雲忠一(なぐもちゅういち)の指揮で、淵田三津雄(ふちだみつお)ら航空機動部隊が出撃、ハワイのオアフ島にあるアメリカ軍基地を奇襲空爆し、戦艦八隻を撃沈大破するなど太平洋艦隊の主力を撃滅、緒戦の優位を確定させた。ただ、駐米大使・野村吉三郎(のむらきちさぶろう)の最後通告が攻撃に間に合わなかったため、アメリカの非難を受けた。翌日、アメリカは日本に宣戦布告。

新体制運動(しんたいせいうんどう)
 1940近衛文麿(このえふみまろ)が中心となり、ナチスやファシスト党のような挙国一致の戦時体制を目指した国民組織運動。

枢軸国(すうじくこく)=枢軸陣営
 第二次世界大戦の戦前・戦中における日本・ドイツ・イタリアを中心とした勢力のこと。名付け親はムッソリーニ。連合国と対立し、第二次世界大戦を起こして敗れた。

スターリン(J.V.Stalin)
 (1879-1953) ソ連(ロシア)の軍人政治家。最高指導者。共産党書記長。ロシア革命で活躍し、1922共産党初代書記長に就任、1924レーニン死後は一国社会主義論を主張し、対立するトロツキー・ジノビエフ・ブバーリンなどを追放、大粛清を行って実権を掌握し、第二次世界大戦では、初め1939ドイツと独ソ不可侵条約を、1941日本と日ソ中立条約を結んで枢軸(すうじく)国と提携するが、ドイツの侵攻によって独ソ戦争を、1945対日参戦を行って連合国の勝利に貢献、戦後はアメリカと「冷たい戦争」を展開した。

戦国大名(せんごくだいみょう)
 戦国時代に各地に割拠した大領主。甲斐の武田(たけだ)氏・駿河の今川(いまがわ)氏・周防の大内(おおうち)氏・・豊後の大友(おおとも)氏・薩摩の島津(しまづ)氏など守護(しゅご)大名から移行したものや、越後の上杉(うえすぎ)氏・出雲の尼子(あまこ・あまご)氏・阿波の三好(みよし)氏・越前の朝倉(あさくら)氏・尾張の織田(おだ)氏など守護代ほかから台頭したものや、安芸の毛利(もうり)氏・土佐の長宗我部(ちょうそかべ。長曽我部)氏・北近江の浅井(あざい・あさい)氏など国人(こくじん)などから台頭したものや、相模の北条(ほうじょう)氏・美濃の斎藤(さいとう)氏・大和の松永(まつなが)氏など陪臣(ばいしん)その他から成り上がったものもある。

ソビエト連邦=ソ連=ソビエト社会主義共和国連邦
 (1917-1991) ユーラシア大陸北部にあった最初の社会主義国。現在のロシアほか。首都モスクワ。1917ロシア革命によって成立し、レーニンやスターリンらによって社会主義政策が推進されたが次第に行き詰まり、ゴルバチョフのペレストロイカもむなしく1991八月政変で共産党は解散、ソビエト連邦は倒壊し、独立国家共同体(CIS)が形成された。

第一次上海事変(だいいちじシャンハイじへん)=上海事変
 1932上海で起こった日本軍と中国軍の衝突事件。日本が満州事変によって排日運動が激化した上海に海軍陸戦隊を派遣したため、国民政府軍や便衣隊(ゲリラ)が応戦、犬養毅(いぬかいつよし)内閣は陸軍を増援したが治まらず、イギリスの仲介で上海停戦協定に調印した。爆弾三勇士の軍国美談は有名。
爆弾味

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
 (1914-1918) 1914サラエボ事件を機に行われた同盟国(ドイツ・オーストリア・トルコ・ブルガリア)と連合国(イギリス・フランス・ロシア・日本・イタリア・アメリカなど)との世界戦争。日本は日英同盟を理由に参戦し、山東省(さんとうしょう)のドイツ租借地・青島(チンタオ)やドイツ領・南洋諸島を占領、中国に1915二十一か条の要求を突きつけた。

大政翼賛会(たいせいよくさんかい)
 (1940-1945) 新体制運動をすすめる近衛文麿(このえふみまろ)らが結成した単独政党。総裁は近衛。全政党が解散し、これに加わった。

大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)
 太平洋戦争中に日本がアジア支配を正当化させるために唱えた標語。

第三次近衛文麿内閣(だいさんじこのえふみまろないかく)=第三次近衛内閣
 (1941) 第二次近衛内閣に続き近衛文麿が組閣、帝国国策遂行要領を決定するが、日米和平交渉に失敗、対米強硬派の陸相・東条英機(とうじょうひでき)と対立して総辞職した。

第二次近衛文麿内閣(だいにじこのえふみまろないかく)=第二次近衛内閣
 (1940-1941) 米内光政(よないみつまさ)内閣総辞職後、枢密院(すうみついん)議長・近衛文麿が陸軍の期待を受けて組閣、基本国策要綱を決定し、新体制運動を展開、大政翼賛会(たいせいよくさんかい)・大日本産業報告会を組織し、北部仏印進駐を決行、日独伊三国同盟・1941日ソ中立条約を結ぶが、独ソ戦争開始後、外相・松岡洋右(まつおかようすけ)排除のために総辞職し、第三次近衛文麿内閣を組閣した。

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)
 (1939-1945) 枢軸国(日本・ドイツ・イタリアなど)と連合国(イギリス・アメリカ・フランス・中国・ソ連など)との世界戦争。1939ドイツのポーランド侵攻に始まり、1941日本の真珠湾攻撃(対アメリカ参戦)・マレー半島上陸(対イギリス参戦)によってアジア・太平洋に戦渦が拡大、当初、ドイツがヨーロッパの大半を制圧し、日本が東南アジアを占領するなど枢軸国優勢だったが、次第に連合国に巻き返され、1943にイタリアが、1945ドイツと日本がそれぞれ無条件降伏して終結した。
制裁味 攻撃味 軍艦味

第二次若槻礼次郎内閣(だいにじわかつきれいじろうないかく)
 (1931) 浜口雄幸内閣総辞職後、立憲民政党総裁・若槻礼次郎が組閣し、浜口内閣の緊縮財政(井上財政)と協調外交(幣原外交)を継承したが、満州事変が勃発、不拡大方針を表明するが、軍部を抑えられず、閣内不一致で総辞職した。

大日本産業報告会(だいにほんさんぎょうほうこくかい)
 産業報告会(戦争協力体制の労働団体組織)の全国連合組織。

太平洋戦争(たいへいようせんそう)
 (1941-1945) 第二次世界大戦のうち、太平洋で行われた日本とアメリカ・イギリス・中国・オランダなど連合国との戦争。1941.12/8日本のマレー半島上陸と真珠湾攻撃に始まり、緒戦は日本優勢であったが、1942ミッドウェー海戦で形勢は逆転、以後、1943アッツ島戦・ガダルカナル島撤退・1944インパール戦・マリアナ沖海戦・レイテ島(比島沖)海戦・1945硫黄島(いおうじま)の戦い・沖縄戦など日本は敗戦を重ね、広島・長崎の原爆投下、ソ連の対日参戦により8/15ポツダム宣言を受諾、無条件降伏した。
軍艦味1 攻撃味

武田信玄(たけだしんげん)←武田晴信(はるのぶ)
 (1521-1573) 武将。甲斐等守護。信虎(のぶとら)の子。1541父を追放して家督を継ぎ、1547分国法「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい。「信玄家法」とも)」を制定、1542信濃へ侵攻して諏訪頼重(すわよりしげ)を討ち、小笠原長時(おがさわらながとき)・村上義清(むらかみよしきよ)らを撃破、越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)と数度交戦し(川中島の戦い)、1554駿河の今川義元(いまがわよしもと)・相模の北条氏康(ほうじょううじやす)と同盟を結ぶが(善徳寺の会盟)、1560桶狭間の戦いで義元が敗死するや1568駿河に侵攻して今川氏を滅ぼし、1572三方原(みかたがはら)の戦いで徳川・織田連合軍を破るが、まもなく病没した(鉄砲で狙撃されたという説もある)。
撤退味 大雪味3 惨敗味

チャーチル(W.L.S.Churchil)
 (1874-1965) イギリスの軍人政治家。首相。保守党党首。商相・陸相・海相・植民地相などを歴任後、第二次世界大戦で首相に務め、連合国の指導者として戦争に勝利、戦後は「鉄のカーテン」演説を行い、『第二次大戦回顧録』を執筆、ノーベル文学賞を受賞した。

中国(ちゅうごく)・中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)←中華民国(ちゅうかみんこく)
 (1912-) 東アジアにある国。1912孫文(そんぶん)が臨時大統領になって中華民国が成立、袁世凱(えんせいがい)が専制支配を確立し、1928蒋介石(しょうかいせき)が国内を統一するが、1937-1945日中戦争で衰退、1949中華人民共和国が成立した。首都は北京。

張学良(ちょうがくりょう・チャンシュエリアン)
 (1901-) 中国の軍人政治家。張作霖(ちょうさくりん)の子。父の死後、蒋介石(しょうかいせき)に接近し、国民政府に合流、満州の実権を握るが、1931-1933満州事変で下野、1936西安事件で蒋介石を監禁し、国共合作と抗日運動を強制した。

朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)=北朝鮮(きたちょうせん)
 (1948-) 東アジアの朝鮮半島北部にある社会主義国。1945日本降伏後ソ連が占領、金日成(キムイルソン・きんにっせい)らが臨時人民委員会を組織し、1948韓国に対抗して独立した。首都は平壌(ピョンヤン・へいじょう)。

東条英機(とうじょうひでき)
 (1884-1948) 陸軍軍人・政治家。首相(在職1941-1944)。統制派の代表として台頭し、関東軍参謀長・陸軍次官等を経て1940陸相に就任、1941首相を兼ね、太平洋戦争を開始、真珠湾攻撃・マレー作戦等緒戦を優位に進め、1942翼賛選挙を実施、大東亜省を設けるが、ミッドウェー海戦で形勢は逆転、1943軍需省を設け、大東亜会議を開催、1944参謀総長を兼ねるが、サイパン島陥落により総辞職、その後も重臣として終戦に反対し続けた。

東条英機内閣(とうじょうひできないかく)=東条内閣
 (1941-1944) 第三次近衛文麿(このえふみまろ)内閣総辞職後、陸相・東条英機が首相を兼ねて組閣し、太平洋戦争を開始、真珠湾攻撃・マレー作戦等緒戦を優位に進め、1942翼賛選挙を実施、大東亜省を設けるが、ミッドウェー海戦で形勢は逆転、1943軍需省を設け、大東亜会議を開催、1944参謀総長を兼ねるが、サイパン島陥落により総辞職した。

独ソ戦争(どくそせんそう)
 (1941-1945) 第二次世界大戦のうち、ヨーロッパで行われたドイツとソ連の戦争。1941ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連を奇襲、首都モスクワに迫ったが反撃と冬将軍のため撤退、1942スターリングラードの戦や1943クルスクの戦なども敗れ、1945ドイツの降伏により終戦した。

独ソ不可侵条約(どくそふかしんじょうやく)
 1939ドイツとソ連の間で結ばれた条約。この条約は日独伊三国防共協定に反するもので、三国同盟調印を目指していた平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣は総辞職した。

ナチス(Nazis)=国家社会主義ドイツ労働者党=国民社会主義ドイツ労働者党=ナチ
 (1920-1945) ヒトラーが率いたドイツの政党。1919ミュンヘンで結成されたドイツ労働者党を改組して成立。1921ヒトラーが党首になり、反民主・反共産・反ユダヤ主義・反ベルサイユ体制を掲げ、1933政権を掌握、軍拡を行い、1939第二次世界大戦を引き起こすが、1945敗戦によって消滅した。

南京大虐殺(ナンキンだいぎゃくさつ)=南京虐殺事件=南京事件
 1937日本軍が南京で起こした虐殺事件。日中戦争で松井石根(まついいわね)率いる上海派遣軍と柳川平助(やながわへいすけ)率いる第十軍は国民政府の首都・南京を攻略、捕虜や一般市民に対して略奪・強姦・放火・暴行・殺人などを行った。死者数は数万から四十数万人まで諸説ある。

南進政策(なんしんせいさく)
 日中戦争の拡大に伴った日本の南進政策。日露戦争以来、日本は北進してきたが、1938張鼓峰(ちょうこほう)事件・1939ノモンハン事件でソ連に敗れて挫折(ざせつ)、逆に経済資源を求めて南へ向かおうとする動きが現れ、1940北部仏印進駐と日ソ中立条約調印によって決定的となった。

南部仏印進駐(なんぶふついんしんちゅう)
 1941日本軍が南部仏印(フランス領インドシナ。南ベトナム)に進駐したこと。南進政策の一環で、石油・ゴム・アルミ等の資源確保を目的とした。対してアメリカは、在外日本人の資産を凍結し、石油の対日輸出禁止に踏み切り、イギリスは日英通商航海条約の廃棄を通告した。

日英同盟(にちえいどうめい)=日英同盟協約
 (1902-1923) 1902日本とイギリスの間で結ばれた同盟。ロシアの南下を阻止するため、北清事変を契機に調印。同盟国が他国と戦うときは中立を守り、他の二国以上と戦うときは参戦することにした。有効期間五年。1905・1911諸事項を追加して期限を延長したが、ワシントン会議の四か国条約により1923失効した。

日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく)
 1941日本とソ連の間で結ばれた条約。外相・松岡洋右とソ連の首相兼外相モロトフと最高実力者スターリンが会談して調印。互いに中立を守ることと領土不可侵を約束した。1945ソ連の対日参戦によって失効した。

日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい)=日独伊三国同盟条約
 1940日本とドイツとイタリアの間で結ばれた同盟。外相・松岡洋右がドイツ特使シュターマー(スターマー)と下ごしらえし、駐独大使・来栖三郎(くるすさぶろう)が調印。日本のアジアでの立場、ドイツ・イタリアの欧州での立場を互いに容認し合い、第三国から攻められた場合は参戦することなど規定した。対してアメリカはこれと北部仏印進駐に怒り、鉄の対日輸出禁止に踏み切った。  制裁味4

日独伊三国防共協定(にちどくいさんごくぼうきょうきょうてい)=日独伊防共協定
 1937日本とドイツとイタリアの間で結ばれた協定。1936日独防共協定にイタリアが加わったもので、日独伊三国同盟の基になった。  制裁味3

日独防共協定(にちどくぼうきょうきょうてい)
 1936日本とドイツとの間で結ばれた協定。共産主義拡大を阻止し、ソ連に対する軍事牽制を目的とした。

日米交渉(にちべいこうしょう)
 太平洋戦争直前に行われた日本とアメリカの和平交渉。駐米大使・野村吉三郎(のむらきちさぶろう)と国務長官ハルとの間で戦争回避交渉がなされたが、日本の三国同盟締結や仏印進駐、アメリカの対日経済制裁、ハル・ノートの提示によって決裂、日米開戦によって失敗した。

日米通商航海条約廃棄通告(にちべいつうしょうこうかいじょうやくはいきつうこく)
 1939アメリカが対日経済制裁の障害になる日米通商航海条約の廃棄を通告してきたこと。日本の中国の侵略に抗議して行った。条約は1940失効し、その後アメリカは鉄や石油の輸出禁止など、経済制裁を行った。

日満議定書(にちまんぎていしょ)
 1932日本と満州国との間で結ばれた協定。満州国は、領内における日本の権益を尊重し、日本軍の駐留を認めることなどを規定した。

日中戦争(にっちゅうせんそう)=支那事変(しなじへん)=日華事変=北支事変
 (1937-1945) 第二次世界大戦のうち、中国で行われた日本と中国との戦争。1937盧溝橋(ろこうきょう)事件で中国北部で戦闘が始まり、第二次上海事変で中国南部へ拡大、日本軍は首都・南京を攻略するが、中国の国民政府は重慶に移って徹底抗戦、1945日本の降伏により終戦した。

二・二六(に・にろく)事件
 1936.2/26に起きた陸軍皇道(こうどう)派の青年将校らによる反乱事件。安藤輝三(あんどうてるぞう)・香田清貞(こうだきよさだ)・野中四郎(のなかしろう)ら陸軍将校に率いられた歩兵千数百名が首相官邸・警視庁・政府高官私邸等を襲撃、高橋是清(たかはしこれきよ。蔵相)・斎藤実(さいとうまこと。内大臣)・渡辺錠太郎(わたなべじょうたろう。教育総監)らを殺害し、鈴木貫太郎(すずきかんたろう。侍従長)らを負傷させ、永田町など日本の政治・軍事中枢部を占拠するが、昭和天皇の命令や石原莞爾(いしはらかんじ)ら陸軍首脳の説得によって三日後に鎮圧された。野中は自殺し、安藤ら十七名が死刑になったほか、彼らに影響を与えた思想家の北一輝(きたいっき)や西田祝(にしだみつぎ)も処刑された。事件後、皇道派は衰退した。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

ノモンハン事件=ハルハ河戦争
 1939に満州・モンゴル国境で起こった日本の関東軍とソ連・モンゴル連合軍との国境紛争。小松原道太郎(こまつばらみちたろう)率いる第二十三師団は、ジューコフ率いるソ連の機械化部隊に圧倒され、死傷者二万人を出す大敗北を喫した。ドイツとソ連が独ソ不可侵条約を結んだことにより、駐ソ大使・東郷茂徳(とうごうしげのり)とソ連外相モロトフが停戦協定を調印した。

浜口雄幸(はまぐちおさち)
 (1870-1931) 政治家。首相(在職1929-1931)。逓信次官・大蔵次官・蔵相・内相等を歴任し、1927立憲民政党(りっけんみんせいとう)結成で総裁に就任、1929首相となるが、世界恐慌が発生、産業合理化を推進し、1931重要産業統制法・工場組合法などを制定、蔵相井上準之助(いのうえじゅんのすけ)が1930金解禁(金輸出解禁)を実施し、緊縮財政を行うが、昭和恐慌を招き、外相幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は協調外交を方針とし、1930ロンドン海軍軍縮条約を締結するが、海軍・野党・右翼から統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)だと非難され、1930右翼青年・佐郷屋留雄(さごうやとめお)に狙撃されて負傷、1931総辞職した。 不況味

林銑十郎(はやしせんじゅうろう)
 (1876-1943) 陸軍軍人・政治家。首相(在職1937)。1931満州事変に朝鮮軍司令官として関与し、1934陸相に就任、真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)ら皇道派を外し、永田鉄山(ながたてつざん)ら統制派を起用するが、1935相沢事件で辞任、1937首相兼外相となり、祭政一致を掲げて財界と接近するが(軍財抱合)、選挙に敗れて総辞職した。

林銑十郎内閣(はやしせんじゅうろうないかく)=林内閣
 (1937) 外相・宇垣一成(うがきかずしげ)組閣未遂後、元陸相・林銑十郎が組閣、祭政一致を掲げ、蔵相に結城豊太郎(ゆうきとよたろう)を招聘(しょうへい)、財界との接近を試みたが、選挙に敗れ、総辞職した。

ハル(Cordell Hull)
 (1871-1955) アメリカの外交官・政治家。国務長官。ルーズベルトの側近。駐米大使・野村吉三郎(のむらきちさぶろう)と日米交渉を行い、1941日本の中国・仏印からの撤退、中国における蒋介石以外の政権を認めないこと、日独伊三国同盟の廃棄、満州事変以前の中国に戻すことを要求するハル・ノートを提示、国際連合設立に尽力し、ノーベル平和賞を受賞した。

ハル・ノート(Hull Note)
 太平洋戦争直前に、アメリカの国務長官ハルが日本に提示した覚書。日本軍・警察の中国・仏印からの完全撤退、日独伊三国同盟の廃棄、中国に存在する蒋介石以外のすべての政権の否認、中国を満州事変以前の状態に戻すことを要求した。日本はこれを最後通牒(つうちょう)と受け止め、日米開戦を決意した。

東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)→東久邇稔彦
 (1887-1990) 皇族・陸軍軍人・政治家。首相(在職1945)。久邇宮朝彦親王の王子。東久邇宮家を創立し、軍事参議官を務め、1945昭和天皇に請われて組閣、軍の解体・連合軍の進駐の承認・降伏文書の調印等
終戦処理を行ったが、GHQの政策についていけずに総辞職、1947臣籍降下し、新興宗教の開祖になったりした。

ヒトラー(Adolf Hitler)
 (1889-1945) ドイツの軍人政治家。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首として1933首相となり、1934大統領を兼ねた総統に就任、ファシズム独裁政権を確立し、1939ソ連と独ソ不可侵条約を調印、ポーランドに侵攻して第二次世界大戦を起こし、デンマーク・ノルウェー・オランダ・ベルギー・フランスなどを併合、1937日本・イタリアと日独伊三国防共協定を、1940日独伊三国同盟を結んで枢軸(すうじく)国を形成したが、1945イギリス・アメリカなど連合国の反攻に敗れ、ベルリンで自殺した。

平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)
 (1867-1952) 政治家。首相(在職1939)。検事総長・枢密院議長等を歴任し、国会主義団体・国本社を結成、1939組閣して日独軍事同盟を推進するが、独ソ不可侵条約に「欧州情勢は複雑怪奇」と声明して総辞職した。

ファシスタ党・ファシスト党
 (1919-1945) ムッソリーニが率いたイタリアの政党。国家主義・全体主義を唱え、1922政権を掌握、一党独裁体制を確立するが、第二次世界大戦の敗戦によって崩壊。ファシズムの語源となった。

藤原氏(ふじわらし・ふじわらうじ)
 特に古代に繁栄した氏族。四姓の一。氏祖は中臣鎌足(なかとみのかまたり)。奈良時代に南家(なんけ)・北家(ほっけ)・式家(しきけ)・京家(きょうけ)の四家に分かれ、南家、次いで式家が繁栄したが、平安時代になると北家が台頭、摂政・関白を独占し、いわゆる摂関政治を現出した。鎌倉時代に北家の嫡流である摂関家は五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)に分裂し、摂家将軍も輩出した。⇒藤原氏系図

北部仏印進駐(ほくぶふついんしんちゅう)
 1940日本軍が北部仏印(フランス領インドシナ。北ベトナム)に進駐したこと。南進政策の一環で、援蒋ルート遮断と軍事拠点確保を目的とした。フランスがドイツに降伏後、外相・松岡洋右(まつおかようすけ)とフランス駐日大使・アンリが協定(松岡・アンリ協定)を調印、日本軍は北部仏印に進駐した。対してアメリカはこれと日独伊三国同盟締結に怒り、鉄の対日輸出禁止に踏み切った。

松岡洋右(まつおかようすけ)
 (1880-1946) 外交官・政治家。幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)の協調外交を批判し、1932国際連盟総会の主席全権として国際連盟を脱退、1935満鉄総裁に、1940外相になり、大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)を提唱、1940松岡・アンリ協定を結んで北部仏印進駐を実現し、日独伊三国同盟・1941日ソ中立条約を調印、独ソ戦争が始まるとソ連との交戦を主張するが排除された。制裁味

マレー半島上陸(まれーはんとうじょうりく)=マレー進攻作戦=マレー作戦
 1941.12/8に日本軍がイギリス領マレー半島に上陸した作戦。真珠湾攻撃に先んじた太平洋戦争における最初の作戦。山下奉文(やましたともゆき)率いる陸軍第二十五軍は、海軍の協力のもと、タイからマレー半島北部のコタバルに奇襲上陸、シンガポールを目指した。翌日、イギリスは日本に宣戦布告した。

満州(まんしゅう)
 中国の東北地方のこと。遼寧(りょうねい)・吉林(きつりん)・黒竜江(こくりゅうこう)省と内モンゴル自治区の一部。

満州国(まんしゅうこく)
 (1932-1945) 日本が中国東北地方に建国した国。1931日本の関東軍が満州事変を起こして満州に進駐、1932愛新覚羅溥儀(あしんかくらふぎ)を執政に、鄭孝胥(ていこうしょ)を国務総理に担いで建国を宣言し、関東軍司令官・武藤信義(むとうのぶよし)が日満議定書を調印、斎藤実内閣が建国を承認した。首都は新京(長春)。1934溥儀が皇帝に即位して帝国化。東宮鉄男(とうみやかねお)の発案で満州移民が盛んになるが、1945日本の敗戦によって消滅した。

満州事変(まんしゅうじへん)
 (1931-1933) 満州をめぐる日本の関東軍と中国軍との戦争。1931関東軍高級参謀・板垣征四郎(いたがきせいしろう)と同軍参謀・石原莞爾(いしはらかんじ)が柳条湖(りゅうじょうこ)事件を計画実行、1932元清皇帝・溥儀(ふぎ)を擁して満州国を独立させ、日満議定書を調印した。対して国民政府主席・蒋介石(しょうかいせき)は国際連盟に提訴、国連は満州にリットン調査団を派遣し、リットン報告書に基に日本に撤退を求めたが日本は拒否、国連を脱退した。1933塘沽(タンクー)停戦協定で一応停戦し、国民政府は事実上日本の満州支配を黙認した。
制裁味1

ムッソリーニ(Benito Mussolini)
 (1883-1945) イタリアの軍人政治家。首相。1919ファシスト党(戦闘ファッシ)を結成してファシズムを唱え、1922政権を獲得、1936エチオピアを、1939アルバニアを併合するが、1943失脚し、1945処刑された。

米内光政(よないみつまさ)
 (1880-1948) 海軍軍人・政治家。首相(在職1940)。1936連合艦隊司令長官・海相になり、日独伊三国同盟調印に反発、1940首相となり、日米交渉を重視しようとするが、ドイツの快進撃に刺激された陸軍によって倒閣され、三国同盟調印後も重臣として日米開戦に反対するがかなわず、戦争終結に尽力した。

米内光政内閣(よないみつまさないかく)=米内内閣
 (1940) 阿部信行(あべのぶゆき)内閣総辞職後、海相で親米派の米内光政が組閣し、日米交渉を重視しようとするが、ドイツの快進撃に刺激された陸軍が三国同盟締結を目指し、近衛文麿(このえふみまろ)の新体制運動に期待、陸相・畑俊六(はたしゅんろく)を単独辞職させて後任を出さなかったため、内閣は総辞職した。

リットン調査団(りっとんちょうさだん)
 1932国際連盟が満州事変の調査のため、東京や中国に派遣した調査団。1931設置。イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・アメリカの五か国の委員で構成。団長はイギリスのリットン。調査を基に報告書を提出した。

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)=南満州鉄道爆破事件=柳条溝(りゅうじょうこう)事件
 1931.9/18に起きた関東軍による謀略事件。関東軍が旅順郊外で南満州鉄道の線路を爆破し、中国軍の仕業と主張して報復のため出兵、満州事変の契機となる。

ルーズベルト・ローズベルト(Franklin Roosevelt)
 (1882-1945) アメリカの政治家。第32代大統領。民主党党首。ニューディール政策を行って世界恐慌に対処し、第二次世界大戦では連合国の指導者として枢軸国と戦い、1943カイロ会談・テヘラン会議・1945ヤルタ会談を開催、連合国を勝利に導き、国際連合設立にも尽力するが、終戦を待たずに急死した。制裁味
攻撃味

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)
 1937北京郊外で起こった日本軍と中国軍の衝突事件。北京郊外の盧溝橋付近で日本軍が夜間軍事演習中、中国軍の攻撃を受けたため、待ってましたと応戦、協定を結んで停戦するが、近衛文麿(このえふみまろ)内閣が五個師団の中国派遣を決定したため、日中戦争に発展した。

若槻礼次郎(わかつきれいじろう)
 (1866-1949) 官僚・政治家。首相(在職1926-1927,1931)。大蔵次官・蔵相・内相を経て首相に就任するが、金融恐慌が発生し、緊急勅令案が枢密院を通らず辞任、1930主席全権としてロンドン海軍軍縮条約に調印、1931再度首相に就くが、満州事変の収拾がつかなくなって辞任した。

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system