8.まんぞくまんぞく

歴史チップス>バックナンバー2023>令和五年9月号(通算263号)処理味 嘉吉の乱8.まんぞくまんぞく

プリゴジン&処理水
1.その男
2.錯 乱
3.夜の戦士
4.雲ながれゆく
5.賊 将
6.まぽろしの城
7.あほうがらす
8.まんぞくまんぞく

 嘉吉元年(1441)閏九月二十一日、嘉吉の乱の論功行賞が行われた。

  播磨守護 山名持豊
  備前守護 山名教之
  美作守護 山名教清
  摂津中島郡 細川持春
  播磨東三郡 赤松満政

 これで山名氏は明徳の乱以前には及ばないものの、一族で八か国の守護を兼ねる太守になった。
 それでも、山名持豊は満足していなかった。
「戦功第一の俺が播磨守護になったのは当然だ。しかしなぜ満政に播磨三郡が与えられるのだ? 俺は播磨守護になったのだ! 残る三郡も俺のものだ!」
 持豊は細川持之に圧力をかけると、翌年一月二十二日にこの三郡も自分のものにしてしまったのである。

[2023年8月末日執筆]
参考文献はコチラ

※ 安国寺には足利義教の首塚があります。
※ 城山城落城後、赤松教康は室津に逃れ。伊勢国司・北畠教顕を頼りましたが、裏切られようで馬場城で自害しました。
※ 赤松則繁は備前に逃れ、朝鮮に渡海、帰国後は少弐氏を頼りましたが大内氏に敗れ、畠山氏を頼って河内に逃れますが、細川持常に攻められ、当麻寺で自害しました。
※ 足利義尊は坂本城落城の際に備中に逃れたとみられ、畠山持国にかくまってもらおうとしましたが殺されました。
※ 山名持豊に播磨三郡を奪われた赤松満政は、城山城を脱出して行方知れずになっていた常陸則尚と組んで反乱を起こしましたが、有馬持家に裏切られて討たれました。後に則尚も備前の鹿久居島で自害しています。

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