5.賊 将

歴史チップス>バックナンバー2023>令和五年9月号(通算263号)処理味 嘉吉の乱5.賊 将

プリゴジン&処理水
1.その男
2.錯 乱
3.夜の戦士
4.雲ながれゆく
5.賊 将
6.まぽろしの城
7.あほうがらす
8.まんぞくまんぞく

 嘉吉元年(1441)七月六日、等持院で足利義教の葬儀が営まれた。
 政情不安のため、武家では管領・細川持之だけが参列した。
「追討軍はいつ派遣するのか?」
 季瓊真蘂に聞かれ、持之は答えた。
「前管領・畠山持国
(はたけやまもちくに)に不穏な動きがある。もう少し様子を見る」
管領殿のその優柔不断さが、赤松と通じているのではないかと疑われている原因なのでは?」
「通じてないって!」

 そんな折、赤松満祐から「挑戦状」が届けられたため、持之はようやく追討軍を派遣することにした。
「大手の大将は阿波守護・細川持常。搦手
(からめて)の大将は但馬守護山名持豊。大手軍は他に備中守護・細川氏久、淡路守護・細川成春、赤松貞村、赤松満政(満祐のいとこ。「赤松氏系図」参照)、有馬持家(満祐のいとこ)。また、伊予の河野、安芸の武田と吉川にも出陣を命じる」
 七月十一日、大手軍のうち細川持常、赤松貞村、有馬持家らが先発出陣し、八月十六日に一斉に播磨に攻め込む手はずになった。
 この日、搦手軍も伯耆守護・山名教清が本国へ向かったが、大将の山名持豊はいつまでも京に居続けた。
 持之はせかした。
「山名殿は侍所頭人である。率先して賊将を討つ立場の者である。貴殿が出陣しなければ追討軍の士気が上がらない」
 持豊は笑った。
「あれ? 管領殿は赤松が討たれないほうがいいのでは?」
「何だと?」
「俺が出陣したら、赤松ではなくて俺を追討するとか?」
「しないって!」
「戦には銭が必要だ。銭がなければ出陣できぬ」
 持豊は京内で金融業を営んでいた土倉酒屋を襲撃した。
「俺は公方を殺した賊将を退治しに行くんだ。戦をするにはカネがいるんだ。銭を出せ! 質物も出せ! いっぱい出せ! もっともっとだ! ありったけ出しやがれコノヤロー!」
 土倉酒屋は持之に訴えた。
「もうほとんど強盗でした。武士を統率する侍所頭人とは思えない所業でした。私たちから見れば、山名持豊こそが賊将です」

 七月十二日、持豊侍所頭人を解任された。
 しかし彼が土倉酒屋に銭や質物を返すことはなかった。
 七月二十八日、持豊は奪った銭や質物を元手に赤松討伐に着手した。
 出陣の際、持豊は一族郎党を鼓舞した。
「みなの衆! 去る明徳の乱
(「戦争味」「平和味」「無念味」参照)で赤松は山名の土地やカネを奪いまくりやがった! 今ここに仕返しの好機がやって来た! 不倶戴天(ふぐたいてん)の仇、赤松のヤローどもをやっつけろ! ここに京中の土倉酒屋から盗んだ銭がしこたまある! 酒もたくさんある! 女も大勢いる! これらを全部お前らに分けてやる! みなの衆、働け! 働いたら働いた分だけ、褒美を望みのままに与えるであろう!」
「おー!」
「おー!」
「おー!」

 七月二十六日、細川持之は、
「賊徒を平定するには主上が御命令するのが一番」
 と思い、時の帝・後花園天皇に追討の綸旨
(りんじ)を奏請した。
「書くよ。朕の筆で平和になるんなら、いくらでも書いてあげるよ」
 後花園天皇は快諾、八月に入って持之に綸旨を下した。

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