6.まぼろしの城 | ||||||||||||||
歴史チップス>バックナンバー2023>令和五年9月号(通算263号)処理味 嘉吉の乱6.まぼろしの城
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「ようやく幕府が追討軍を編制しました!」
「ついに来るか!」
戦が近いと聞いて赤松一族八十八家、総勢二千九百騎が坂本城に集結した。
「どう守る?」
赤松満祐は連日軍議を重ねた。
赤松氏には古今東西の戦略に詳しい喜多野性用という軍師がいた。
「細川持常が攻めてくる大手の摂津方面の大将は彦次郎さま。本陣は明石(あかし。兵庫県明石市)の和坂(かにがさか)がよろしいかと」
「うむ」
「丹波方面(三草口)には宇野国祐殿。山名持豊が攻めてくる搦手の但馬方面もの大将は伊予守殿。本陣は生野峠の手前の田原(兵庫県福崎町)でいいですね」
「うむ」
「また、因幡方面(戸倉口)には常陸則尚(満祐のおい。祐尚の子)殿、備前には小寺職治殿、美作には左馬助殿」
「万全の態勢だな」
各地の戦況は次々と届けられた。
「浦上七郎兵衛ら、兵庫の庫御所(くらごしょ)で有馬持家と交戦ー!」
「細川成春の軍船が塩屋の関(しおやのせき。神戸市垂水区)を急襲し、お味方敗走ー!」
「細川持常ら明石まで進軍してきました!」
「彦次郎さまが人丸塚(ひとまるづか。明石市)で細川持常を撃破ー!」
「但馬から山名持豊が乱入!伊予守殿敗走ー!」
「左馬助殿も敗退ー! 山名教清、美作占領ー!」
「細川氏久備中乱入ー! 公方さま(足利義尊)の弟君を殺害ー!」
「大山口の戦でお味方敗退ー! 直操殿(満祐らの弟)、御自害ー!」
「山名強すぎ!彦次郎さま、坂本城に向かって撤退中ー!」
満祐は訳が分からなかった。
「おかしい。大手の持常らは大したことなさそうだが、どうして搦手の山名はこんなに強いのか?」
「盗んだ銭をばらまいて兵たちの士気を上げているそうですよ」
「邪道だ!そのようなあさましい連中に負けるわけにはいかない!」
しかし、負けてしまった。
坂本城に兵を集中させたものの、ここも落とされ、逃れて籠城した城山城(きのやまじょう。木山城。姫路市)も持豊の猛攻を受けて風前の灯火になってしまった。
「もはやこれまでだ」
嘉吉元年(1441)九月九日、義雅と常陸尚則がひそかに城を脱出した。
義雅は赤松満政の陣に投降し、子の千代丸(ちよまる。後の時勝)の助命を願ったが、自身は自殺して果てたという。享年四十三。
九月十日、満祐は教康と則繁を呼んで勧めた。
「どのみち拙者は老い先短い。ここで死ぬ。しかしお前たちは脱出せよ。脱出して再起を図ってくれ」
「無念です」
「おさらばです」
教康らは涙をのんで脱出した。
満祐は安積行秀に介錯を命じた。足利義教の首を一刀で切り落としたあの男である。
「まさか将軍と同じ刃で死ぬとは思わなかったな」
満祐は自害して果てた。享年六十九。一族六十九人が死を共にしたという。
「さてと最期の大暴れをするか」
行秀は一族の自害を見届けた後、城に火を放って敵陣に切り込んでいった。
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