123.粛清味 基礎用語集

ホーム>バックナンバー2012>基礎用語集

飛鳥(あすか)
 飛鳥時代に主に帝都があった地。現在の奈良県明日香村付近。推古天皇の飛鳥豊浦宮(とゆらのみや)・小墾田宮(おはりだのみや)、舒明(じょめい)天皇の飛鳥岡本宮(おかもとのみや)、皇極(斉明)天皇の飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)、斉明天皇の飛鳥川原宮(かわらのみや)、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)などがあった。

飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)
 飛鳥時代の首都。天武(てんむ)天皇・持統(じとう)天皇の皇居。672大海人皇子(おおあまのおうじ。天武天皇)が遷都して即位。694持統天皇の藤原京(ふじわらきょう)遷都で廃絶。

アメリカ(America)≧アメリカ合衆国(United States of America)=米国(べいこく)
 北アメリカ大陸にある国。1492コロンブスが漂着し、十六世紀初めにスペインが、1607年からイギリスが入植、1776イギリスから独立宣言し、1783パリ条約で独立を承認、徐々に西へ領土を広げ、十九世紀半ばに太平洋側に到達、二度の世界大戦と冷戦を経て、世界一の工業国・農業国・軍事大国に成長した。首都はワシントン。

大津皇子(おおつのおうじ・おおつのみこ)
 (663-686) 皇族。天武(てんむ)天皇の皇子。母は天智天皇の皇女・大田皇女。草壁皇子に継ぐ皇位継承候補者として683初めて朝政に参画するが、686父の没後に謀反を企てたとして捕らえられ、自害した。
粛清味

大友皇子(おおとものおうじ・おおとものみこ)=伊賀皇子(いがのおうじいがのみこ)=弘文天皇(こうぶんてんのう)
 (648-672)伝三十九代天皇(在位671-672)。天智天・皇の第一皇子。671太政大臣になるが、672壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に敗死。

刑部親王(おさかべしんのう)←忍壁皇子(おさかべのおうじ・おさかべのみこ)
 (?-705) 皇族。知太政官事(ちだいじょうかんじ)。天武(てんむ)天皇の皇子。681川島(かわしま)皇子らと「帝紀(ていき)」等を整理し、700文武(もんむ)天皇の命令で「大宝律令(たいほうりつりょう)」を編修、701完成させ、703初代知太政官事に就任した。

朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)=北朝鮮(きたちょうせん)
 (1948-) 東アジアの朝鮮半島北部にある社会主義国。1945日本降伏後ソ連が占領、金日成(キムイルソン・きんにっせい)らが臨時人民委員会を組織し、1948韓国に対抗して独立した。首都は平壌(ピョンヤン・へいじょう)。

百済(くだら・ひゃくさい)
 (前18?-660) 古代朝鮮三国の一つ。四世紀の初めに馬韓(ばかん)五十五国を統一、北の高句麗(こうくり)、東の新羅(しらぎ・しんら)と勢力を三分するが、660唐(とう)・新羅連合軍に攻められて滅亡した。まもなく旧臣たちによって復興運動が起こり、日本も援助するが、663白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦いで唐・新羅連合軍に敗れて壊滅した。

皇太子(こうたいし)=東宮(とうぐう)=春宮(とうぐう)←太子
 皇位を継ぐ予定の唯一の皇子(または王子・皇女・王女)。次期天皇。七世紀頃に成立?

持統天皇(じとうてんのう)
 (645-702)第四十一代天皇(在位690-697)。天智(てんち・てんじ)天皇の皇女。天武(てんむ)天皇の皇后。686夫の死後、継子・大津(おおつ)皇子を粛清し、689実子・草壁(くさかべ)皇子没後690に即位、庚寅年籍(こういんねんじゃく)を作成し、694藤原京に遷都、薬師寺(やくしじ)を完成させ、697皇孫・文武(もんむ)天皇に譲位、701大宝律令(たいほうりつりょう)完成を見届けた。
粛清味

新羅(しらぎ・しんら)
 (前57?-935) 古代朝鮮三国の一つ。四世紀前半に辰韓(しんかん)十二国を統一、唐と連合して西の百済(くだら)と北の高句麗(こうくり)を滅ぼし、684朝鮮半島を統一するが、935高麗(こうらい)によって滅亡した。

壬申の乱(じんしんのらん)
 皇位継承をめぐる飛鳥時代最大の内乱。671天智(てんち・てんじ)天皇の死後、子の大友(おおとも)皇子(弘文天皇)と弟の大海人(おおあま)皇子(天武天皇)が対立、672大海人皇子は吉野(よしの)で挙兵し、伊勢へ下向、村国男依(むらくにのおより)に美濃・尾張国司を懐柔させ、不破(ふわ)・鈴鹿関(すずかのせき)を封鎖、大伴吹負(おおとものふけい)に飛鳥古京を占拠させた。大友皇子は大和・伊賀で攻勢に出るが反撃され、近江の瀬田(せた)で完敗、大津宮(おおつのみや)で自殺した。乱後、大海人皇子は飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)へ遷都、673天武天皇として即位した。

天智天皇(てんちてんのう・てんじてんのう)←中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
 (626-671)伝三十八代天皇(在位668-671)。舒明(じょめい)天皇の皇子。母は皇極(こうぎょく)・斉明(さいめい)天皇。中臣(藤原)鎌足とともに645蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし(乙巳の変)、叔父の孝徳(こうとく)天皇を擁立し、皇太子として大化の改新を断行、654孝徳天皇没後は母を立て、皇太子のまま執政、663白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦で唐・新羅に大敗した後、667近江大津宮(おうみのおおつのみや)に遷都し、668近江令(おうみりょう)を編集、670庚午年籍(こうごねんじゃく)を作成した。工作味 ウソ味 日朝味5

天皇(てんのう)
 古代〜現代に至る日本の国王。もとはヤマト政権の大王。七世紀から天皇に移行。初代天皇(大王)は神武(じんむ)天皇?今上天皇は伝百二十五代。大日本帝国憲法では大日本帝国の元首、日本国憲法では国民統合の象徴。
女帝味

天武天皇(てんむてんのう)←大海人皇子(おおあまのおうじ)
 (631?-686)第四十代天皇(在位673〜686)。舒明天皇の皇子。天智天皇の弟。672壬申(じんしん)の乱で大友皇子(おおとものおうじ)を破り、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)で即位、皇親政治を展開し、684八色(やくさ)の姓(かばね)を制定、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)を編集させた。
粛清味

(とう)
 (618-907) 古代中国の王朝。李淵(りえん)が創始。首都は長安(ちょうあん)。律令制・均田制を確立し、高句麗(こうくり)を滅ぼして繁栄を極めるが、八世紀半ば以後衰退、907朱全忠(しゅぜんちゅう)に滅ぼされた。

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

白村江の戦(はくすきのえのたたかい・はくそんこうのたたかい)
 飛鳥時代に起こった日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦争。660唐・新羅連合軍は百済を滅ぼしたが、百済の遺臣・鬼室福信(きしつふくしん)は日本にいた王子・豊璋(ほうしょう)を召還し、これを国王に擁立して抵抗した。日本もこれを救援するため、阿倍比羅夫(あべのひらふ)・阿曇比羅夫(あずみのひらふ)らを派遣するが、白村江で唐・新羅連合軍に大敗した。この戦によって百済は再度滅亡、豊璋は高句麗に逃亡し、日本は朝鮮半島における足場を失った。日朝味5

藤原鎌足(ふじわらのかまたり)←中臣鎌足(なかとみのかまたり)←中臣鎌子(かまこ)
 (614-669)公卿。内臣(うちつおみ・ないしん)。藤原氏の祖。中臣御食子(みけこ)の子。舒明(じょめい)天皇の代に神祗伯(じんぎはく)を辞退して隠棲、初め軽皇子(かるのみこ。孝徳天皇)に、次いで中大兄皇子(天智天皇)に近づき、645中大兄皇子らと飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺、蘇我蝦夷(えみし)を滅ぼし、孝徳(こうとく)天皇を擁立、中大兄皇子を皇太子に立て、大化の改新で内臣(うちつおみ・ないしん)に就任、近江令編集に関わり、死の直前に藤原姓と大織冠(たいしょくかん)を受けた。
工作味

藤原不比等(ふじわらのふひと)
 (659-720)公卿。右大臣。中臣(藤原)鎌足(なかとみ・ふじわらのかまたり)の子。武智麻呂(むちまろ。南家)・房前(ふささき。北家)・宇合(うまかい。式家)・麻呂(まろ。京家)・光明子(こうみょうし)らの父。仲麻呂(なかまろ)・広嗣(ひろつぐ)・百川(ももかわ)らの祖父。701刑部(おさかべ)親王とともに大宝律令(たいほうりつりょう)を完成させ、718養老(ようろう)律令も編修、710平城京(へいじょうきょう)遷都や721『日本書紀(にほんしょき)』編修にも関与した。
偽装味粛清味

万葉集(まんようしゅう)
 
現存最古の和歌集。770頃完成。20巻。大伴家持(おおとものやかもち)の編集か。万葉仮名で記される。約四千五百首を収録。雑歌(一般歌)・相聞歌(恋愛歌)・挽歌(哀悼歌)に分類される。
怨霊味4

皇子(みこ・おうじ)
 天皇の子のこと。女子は皇女(ひめみこ・おうじょ)。律令成立後は正式には親王と呼ばれた。

薬師寺(やくしじ)←本薬師寺(もとやくしじ)
 奈良県奈良市所在。法相宗大本山。南都七大寺の一。天武天皇(てんむてんのう)の発願で持統天皇(じとうてんのう)が藤原京に創建。710遷都によって平城京へ移転した。東塔・金堂薬師三尊像・東院堂聖観音像・吉祥天像・仏足石歌碑などは国宝。

吉野(よしの)
 大和国南部。現在の奈良県吉野町を中心とする地域。古来、修験道の聖地として栄え、南北朝時代には南朝の拠点となった。

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system