6.恐怖! 車懸の戦法! | ||||||||||||||
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翌九月十日の朝。
案の定、川中島は霧になった。一寸先も見えない、深い深い濃霧である。
武田信玄は、すでに八幡原に着ていた。
子の刻(午前零時頃)に妻女山へ向かう馬場・飯富・高坂ら別働隊一万二千人の出発を見届けた後、寅の刻(午前四時頃)に本隊八千人を引き連れて千曲川を渡河、八幡原に布陣していたのである。
陣立もすでに整えていた。
「魚鱗の陣」である。
上から見ると縦に長い紡錘形、つまり魚の形をした攻撃型の陣立である。妻女山から追い出されてきた上杉政虎を、巨大な魚雷が突っ込むように一気に粉砕しようと考えたのであろう。
「これで政虎も終わりだな」
信玄の弟・武田信繁(のぶしげ。典厩)はワクワクしていた。
が、信玄には気になることがあった。
それは、朝になっても妻女山の方から物音が聞こえないことであった。
「おかしい。攻撃はもう始まっているはずだが……」
しかも、様子を探りに行かせた忍者も一人も帰ってこないので、状況把握ができない。
行軍に手間取っているのであろうか? 道を間違えたのであろうか? それとも……。
あれこれ考えているうち、次第に霧が晴れてきた。
すると、それまで見えていなかった川岸の景色や薄青い空の色、そして、とんでもないものも目に飛び込んできた。
毘!
毘!
毘!
毘! 毘! 毘!
毘! 毘! 毘! 毘! 毘!
毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘!
毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘! 毘!
見覚えのある旗をなびかせた大軍勢が、突如として武田軍の目の前に出現したのである。
兵たちは驚愕(きょうがく)した。
「どういうこと?」
「ひょっとして、上杉軍!?」
「ちょっと! 早すぎじゃないの!!」
上杉軍は動き始めた。何やらグルグルと回っているようである。
信玄がうめくように言った。
「『車懸の戦法』だ」
「車懸(車掛)の戦法」とは、軍勢を車輪が回転するようにグルグル移動させながら、常に新手を繰り出しながら絶え間なく猛攻を繰り返すという、世にも恐ろしい攻撃型の陣立である。
信玄は軍配を横に振った。
「陣立を『鶴翼の陣』に変更する! 急げ! 信繁は左翼へ! 十二段に構えるのだっ!」
「は!」
「鶴翼の陣」とは、鶴が翼を広げたときのように横に長い陣形である。つまり、敵軍の攻撃をかわして包み込もうとする、守備型の陣形といえよう。
「キツツキ戦法は、失敗でしたね」
信玄の長男・武田義信(よしのぶ)が冷ややかに言った。
山本晴幸が小さくなって信玄に謝った。
「お館様、申し訳ございません。完全なる私の過失です」
信玄は首を横に振った。
「そんなことはない。政虎を予定通りこの八幡原に誘い出すことができたではないか。キツツキ戦法は成功した!
この戦いは勝てるぞ! あとは別働隊がやって来るまで、何が何でも持ちこたえるのだ!」
「お館様……」
山本は涙ぐんだ。そして、立ち上がった。
「では、私は信繁様の救援に……」
「勘助、死ぬなよ」
山本は返事をしなかった。