96.役人味 基礎用語集

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位田(いでん)
 律令制で五位以上の位階を持つ者に与えられた田。正一位は八十町〜従五位下は八町(女は各三分の二)。輸租田(課税田)だが、次第に私物化されていった。

畿内(きない)=五畿(ごき)=山城国(やましろのくに)+大和(やまと)国+河内(かわち)国+摂津(せっつ)国+和泉(いずみ)国・七道(しちどう)=東海道(とうかいどう)+東山(とうさん)道+北陸(ほくりく)道+山陽(さんよう)道+山陰(さんいん)道+南海(なんかい)道+西海(さいかい)道
 古代の行政区分。首都(西海道は大宰府)を起点にした官道(主要道路)が通っていた。以下の七つ。所属国・国数・郡数は平安中期のもの。⇒旧国名一覧

蔵人所(くろうどどころ)
 令外官(りょうげのかん)の一。天皇に近侍し、極秘文書や訴訟をつかさどった役所。810嵯峨(さが)天皇が設置。長官は蔵人頭(くろうどのとう)。後にその上に別当(べっとう)が置かれた。事務所は内裏(だいり)校書殿(きょうしょ)にあった。詐欺味1

国府(こくふ)≧国衙(こくが)≒国庁(こくちょう)
 古代諸国の官庁街または役所所在地のこと。現在でいう都道府県庁に相当。国司官庁を国衙(または国庁)といい、国司館・倉庫群などをひっくるめて国府といったという(区別の仕方には諸説あり)。国府の近くには国分寺・国分尼寺・総社・国府津などが置かれた。

国司(こくし)
 古代に諸国の政務をつかさどった地方官。現在でいう都道府県庁高官に相当。長官(守・かみ)・次官(介・すけ)・判官(掾・じょう)・主典(目・さかん)という四等官(しとうかん。幹部のこと)が朝廷から派遣され、国衙(こくが。国庁とも。役所のこと)に勤務し、郡司(ぐんじ)・里長(りちょう・さとおさ)らを支配した。天武天皇の頃に成立し、鎌倉時代に守護・地頭勢力に押されて衰退した。

近衛文麿(このえふみまろ)
 (1891-1945) 政治家。首相(在職1937-1939,1940-1941)。1931貴族院副議長に、1933貴族院議長になり、1937首相に就任、国家精神総動員運動を唱え、日中戦争を遂行、1938「国民政府を対手とせず」「東亜新秩序」「近衛三原則」声明を発し、1939国家総動員法を制定、1939総辞職後は枢密院(すうみついん)議長に転じ、1940再び組閣、基本国策要綱を決定し、新体制運動を展開、大政翼賛会・大日本産業報告会を組織し、北部仏印進駐を決行、日独伊三国同盟・1941日ソ中立条約を結ぶが、日米交渉が決裂したため、1941総辞職した。
制裁味

今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)
 平安時代の説話集。三十一巻(三巻散在)。現存千四十話。編集者は不明だが、源隆国(みなもとのたかくに)とも伝えられている。大正時代の文豪・芥川竜之介(あくたがわりゅうのすけ)が考証し、『鼻』『芋粥(いもがゆ)』などを著した。
熊野味アユ味泥棒味役人味

墾田(こんでん)=治田(はりた)
 新たに開墾した田。

在庁官人(ざいちょうかんじん・ざいちょうかんにん)=在庁=在庁人
 平安時代中期〜鎌倉時代に国衙(こくが)で実務をとった役人。中央から派遣される国司より格下で、主に地方豪族が任命され、同職を世襲した。

●嵯峨上皇(さがじょうこう)←嵯峨天皇←神野親王=賀美能親王(かみのしんのう)
 (786-842) 伝五十二代天皇(在位809-823)。三筆(さんぴつ)の一人。桓武(かんむ)天皇の皇子。平城(へいぜい)天皇の弟。兄の譲位で即位し、検非違使(けびいし)や810蔵人所(くろうどのところ)を設置、蔵人頭に北家の藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)らを登用し、式家の藤原仲成(なかなり)・薬子(くすこ)兄妹らを排斥(薬子の変)、820『弘仁格式(こうにんきゃくしき)』を完成、漢詩集814『凌雲集(りょううんしゅう)』・818『文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)』・814系譜集『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』を編集させた。842死後、承和(じょうわ)の変が起こった。
内乱味

防人(さきもり)
 律令制で九州北部沿岸を守った兵士。白村江の戦以後に大陸からの侵攻を防ぐために三年交代で諸国(後には東国のみ)の兵士が防備に当たったが、10世紀には廃れた。

職田(しきでん)=職分田(しきぶでん)
 律令制で特定の官職を持つ者に与えられた田。大納言以上の公卿と大宰府官人・国司・郡司などに与えられた。

四等官(しとうかん)=長官(かみ)+次官(すけ)+判官(じょう)+主典(さかん)
 律令制における役所幹部の総称。代表者である長官(かみ)、補佐役の次官(すけ)、事務職の判官(じょう)、書記の主典(さかん)の四階級ある。読みは同じだが、漢字は役所によって異なる。八省は卿(かみ)・輔(すけ)・丞(じょう)・録(さかん)、寮は頭(かみ)・助(すけ)・允(じょう)・属(さかん)、衛府は督(かみ)・佐(すけ)・尉(じょう)・志(さかん)、大宰府は帥(そち)・弐(に)・監(げん)・典(てん)、鎮守府は将軍(しょうぐん)・副将軍(ふくしょうぐん)・軍監(ぐんげん)・軍曹(ぐんそう)、国司は守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)など。

自由民主党(じゆうみんしゅとう)=自民党(じみんとう)
 (1955- )自由党と民主党の保守合同によって成立した政党。初代総裁は鳩山一郎(はとやまいちろう)。結党以来一貫して政権を保持したが、1993に分裂、初めて野党に転落するが、1994再び政権党に返り咲き、2009再び野党に転落した。

衆議院(しゅうぎいん)=衆院(しゅういん)
 (1890- )日本国憲法のもと、参議院とともに国会を構成する両院の一つ。戦前は、大日本帝国憲法のもと、貴族院とともに帝国議会を構成。戦前は予算の先議権が認められ、戦後は加えて法律の再議決などが認められている(衆議院の優越)。

称徳天皇(しょうとくてんのう)←孝謙上皇(こうけんじょうこう)←孝謙天皇←阿倍内親王(あべないしんのう)
 (718-770) 伝四十六・四十八代天皇(在位749-758,764-770)。聖武天皇皇女。738日本初の女性皇太子になり、749即位、752東大寺大仏開眼法要を開き、758淳仁天皇に譲位するが、まもなく不和となって実権を奪還、764恵美押勝(えみのおしかつ)の乱を鎮圧し、再び天皇に即位、戦没者のために百万塔(ひゃくまんとう)を作らせ、寵愛する道鏡(どうきょう)を大臣禅師に765太政大臣禅師(だじょうだいじんぜんじ)に766法王(ほうおう)とし、769皇位まで譲ろうとしたが、和気清麻呂(わけのきよまろ)に阻まれた。
女帝味

受領(ずりょう)
 平安時代中期以降、現地へ赴任した国司のうち最高位の者。遙任(ようにん)国司に対していった。普通は守だが、守が赴任しない場合は介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)のうち最高位のものをいった。任国で貪欲(どんよく)に税を徴収し、富裕する者が多かった。
役人味

側用人(そばようにん)
 江戸幕府の職名。将軍の側近。老中との取次役。徳川綱吉が設置。初代側用人は牧野成貞(まきのなりさだ)。柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は特に有名。

徳川綱吉(とくがわつなよし)
 (1646-1709) 江戸幕府五代将軍(在職1680-1709)。家光(いえみつ)の子。1661上野館林(たてばやし)藩主となり、1680兄・家綱(いえつな)の死後に将軍職を継承、大老(たいろう)・堀田正俊(ほったまさとし)、側用人(そばようにん)・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)らの補佐を受け、文治(ぶんち)政治を推進、1681母・桂昌院(けいしょういん)のため護国寺(ごこくじ)を建立、1690江戸忍岡(しのぶがおか)に湯島聖堂(ゆしませいどう)を設立し、林信篤(はやしのぶあつ)を大学頭(だいがくのかみ)に、渋川春海(しぶかわしゅんかい)を天文方(てんもんがた)に、北村季吟(きたむらきぎん)を歌学方(かがくがた)に任命、荻原重秀(おぎわらしげひで)を勘定吟味役(かんじようぎんみやく)に抜擢(ばってき)して元禄金銀(げんろくきんぎん)を改鋳させ、1685生類憐(しょうるいあわれ)みの令を発して動物を無理やりかわいがらせた。
仇討味

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

(はん)
 江戸時代の地方行政区域。大名が治めた領地及びその統治機構。現在の都道府県より規模が小さい。1871廃藩置県で消滅。

平安時代(へいあんじだい)
 (794-1185頃) 平安京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。794桓武(かんむ)天皇の平安遷都に始まり、初期は天皇家が、前中期は藤原氏が、後期は院政の主が、末期は平家が政権を担った。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置(事実上の鎌倉幕府の創立)頃までをいう。

北条時頼(ほうじょうときより)
 (1227-1263) 鎌倉幕府五代執権(在職1246-1256)。時氏(ときうじ)の子。泰時(やすとき)の孫。1246兄の経時(つねとき)より執権職を譲られ、1246藤原頼経(よりつね)・名越光時(なごえみつとき)らを退け、1247宝治合戦(ほうじがっせん)で三浦泰村(みうらやすむら)を追討、1249引付衆(ひきつけしゅう)を設置し、1252皇族将軍・宗尊親王(むねたかしんのう)を擁立、執権退任後も実権を握り続け、諸国遍歴の伝説が生じた。

民主党(みんしゅとう)
 @(1947-1950) 1947日本進歩党と日本自由党の一部、国民協同党の一部などで結成。総裁は芦田均(あしだひとし)。1949分裂し、1950連立派が民主自由党と合同して自由党を、野党派が国民協同党と合同して国民民主党を結成した。
 A(1996-) 1996鳩山由紀夫(はとやまゆきお)と菅直人(かんなおと)が結成し、1997新進党分裂で野党第一党となり、2003自由党を吸収、2009自民党に代わって政権を担った。

目代(もくだい)
 国司遙任(ようにん)や不在の際に任国の実務を取り仕切った役人。在庁官人のうち、有力な者が任命された。

律令(りつりょう)=律+令
 古代の法律。律は刑法、令は行政法・民法のこと。
 律は刑罰を規定し、天武(てんむ)天皇の飛鳥浄御原律(あすかきよみはらのりつ)に始まり、701大宝(たいほう)律、718養老(ようろう)律で整備された(ただし、飛鳥浄御原律の存在には疑問がある)。
 令はその他の重要事を規定し、天智(てんじ・てんち)天皇の668近江令(おうみりょう)に始まり、701大宝令、718養老令で整備された(ただし、近江令の完成・施行には疑問がある)。

郎党=郎等(ろうとう・ろうどう)
 有力者の側近や子分。中世武家社会では、惣領に仕える従者。

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