160.悪党味 基礎用語集

ホーム>バックナンバー2015>基礎用語集

桓武天皇(かんむてんのう)=柏原帝(かしわばらてい)←山部(やまべ)親王←山部王
 (737-806) 伝五十代天皇(在位781-806)。光仁(こうにん)天皇の皇子。781父の譲位によって即位し、784長岡京(ながおかきょう)へ遷都するが、785造長岡宮使(ぞうながおかぐうし)・藤原種継(ふじわらのたねつぐ)の暗殺で挫折(ざせつ)、792健児(こんでい)の制を制定し、794和気清麻呂(わけのきよまろ)の勧めで平安京へ遷都、勘解由使(かげゆし)を置き、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍として蝦夷を征伐、藤原継縄(つぐただ)・菅野真道(すがののまみち)らに正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』を編集させた。 ヤミ味 菅降味怨念味 怨霊味

公卿(くぎょう)
 古代の閣僚。上級官人層。公(太政大臣・左右大臣)と卿(大中納言・参議・その他三位以上の者)のこと。中世以降は武家に実権を奪われ、概して国政を担うことはなくなった。

検非違使(けびいし)
 令下官(りょうげのかん。律令未規定の官職)の一つ。平安京の治安維持に努めた。九世紀初めに嵯峨(さが)天皇が設置し、824検非違使庁を創設した。次第に権限を拡大し、弾正台(だんじょうだい)・京職(きょうしき)・衛門府(えもんふ)などを有名無実化していった。

菅原道真(すがわらのみちざね)
 (845-903) 学者。公卿。右大臣。是善(これよし)の子。母は伴氏。877文章(もんじょう)博士になり、894遣唐使(けんとうし)廃止を進言、887〜888阿衡(あこう)の紛議に意見して宇多(うだ)天皇の信頼を得、892史書『類聚国史(るいじゅうこくし)』を編集、893参議になり、899右大臣に昇って正史『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』・詩集『菅家文集(かんけぶんそう)』を編集するが、901左大臣・藤原時平(ときひら)の讒言(ざんげん)によって大宰府(だざいふ)に左遷され(昌泰の変)、任地で没して怨霊となり、天神として祭られた。スト味
受験味 入試味 教育味 悪党味

平 貞盛(たいらのさだもり)
 (?-?) 武将。国香(くにか。良望)の子。上洛して左馬允(さまのさかん)に就くが、935父が平将門(まさかど)に殺されたため常陸に帰国、叔父・平良兼(よしかね)らとともに将門と戦うが敗れ、一時京に戻った後、下野の武将・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らと結んで将門を討ち、右馬助(うまのすけ)に就任、鎮守将軍(ちんじゅしょうぐん)・丹波守(たんばのかみ)・陸奥守(むつのかみ)等を歴任した。

平 将門(たいらのまさかど)
 (?-940) 武将。良将(よしまさ)または良持(よしもち)の子。初め京都で関白・藤原忠平(ふじわらのただひら)に仕え、下総に帰国後、931伯父・平良兼(よしかね)と抗争、931伯父・平国香(くにか)を殺し、その子・平貞盛や良兼らを撃破、常陸(ひたち)・下野(しもつけ)・上野(こうずけ)・武蔵(むさし)・相模(さがみ)国府を攻略し、ほぼ関東一円を支配、新皇(しんのう)を称し、下総猿島(さしま)を内裏としたが、940貞盛・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らに討たれた(平将門の乱)。
悪党味

平将門の乱(たいらのまさかどのらん)
 (939or931-940) ^平将門が関東で起こした反乱。931平将門は叔父・平良兼と抗争し、935源護(みなもとのまもる)と平真樹(まさき)に介入、伯父・平国香とも対立して殺害して936入獄し、大赦で帰国後も一族と抗争、武蔵や常陸の紛争に介入し、939藤原玄明(はるあき)を支援して常陸国司に反旗を翻し、関東諸国を次々と制圧、新皇を自称し、兄弟らを関東諸国司に任じたが、940藤原秀郷(ひでさと)・平貞盛(さだもり)に敗死した。
悪党味

滝口の武士(たきぐちのぶし)=滝口=滝口武者
 平安〜鎌倉時代に滝口(内裏の清涼殿の北東)に詰めていた武士のこと。宇多天皇が用心棒として設置したのが始まり。蔵人所所属で、腕の立つ者が雇われた。定員十名。後、三十名。

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

武士(ぶし)・侍(さむらい)・武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。もともとは貴族の用心棒。

藤原忠平(ふじわらのただひら)
 (880-949) 公卿。摂政・関白・太政大臣。藤原基経(もとつね)の子。母は人康親王(さねやすしんのう)の女。時平(ときひら)らの弟。900参議になるが辞退し、908還任、914右大臣となり、927『延喜式』を完成、930朱雀(すざく)天皇の摂政に就き、935-941承平・天慶の乱を平定、941関白に転じ、日記『貞信公記(ていしんこうき)』を残した。
受験味 入試味 教育味 悪党味

律令(りつりょう)=律+令
 古代の法律。律は刑法、令は行政法・民法のこと。
 律は刑罰を規定し、天武(てんむ)天皇の飛鳥浄御原律(あすかきよみはらのりつ)に始まり、701大宝(たいほう)律、718養老(ようろう)律で整備された(ただし、飛鳥浄御原律の存在には疑問がある)。
 令はその他の重要事を規定し、天智(てんじ・てんち)天皇の668近江令(おうみりょう)に始まり、701大宝令、718養老令で整備された(ただし、近江令の完成・施行には疑問がある)。

律令制(りつりょうせい)
 律令によって運営される制度。日本では飛鳥時代後期に成立し、奈良・平安時代初期に機能したが、平安時代中期以降に崩壊した。

和歌(わか)
 日本固有の詩歌。古代歌謡の流れを汲む五音・七音を基調とする短歌・長歌・旋頭歌などの総称。『万葉集(まんようしゅう)』で確立され、平安時代以降は主に短歌をさすようになった。

inserted by FC2 system