55.国境味 基礎用語集

右翼(うよく)
 保守的または国粋的な思想を持つ人々。国家社会主義・天皇主義・農本主義など。昭和前期、軍部と結んで力をもった。

大臣(おおおみ)
 臣姓氏族(大王家の支流氏族)の中で最高位の者。葛城(かずらき)氏・平群(へぐり)氏・巨勢(こせ)氏・蘇我(そが)氏から選ばれた。

大王(おおきみ)
 大和政権の首長。皇族の代表。天武(てんむ)天皇の頃から天皇と呼ばれるようになった。

大伴氏(おおともしおおともうじ)→伴氏(ともし)
 古代の大豪族。氏祖は天孫降臨に従った天忍日命(あめのおしひのみこと)という。摂津(せっつ)・和泉(いずみ)、後に大和の城上(しきのかみ)・十市(とおち)郡を本拠とした。大和政権で重きをなし、次々と大連(おおむらじ)を輩出、軍事を担当するが、540金村失脚後に衰退した。平安時代に淳和(じゅんな)天皇の諱(いみな)を避けて伴氏となった。⇒大伴氏伴氏系図

大伴金村(おおとものかなむら)
 (?-?)大連(おおむらじ)。武烈(ぶれつ)天皇・継体(けいたい)天皇を擁立して執政、新羅征討を行い、大連・物部麁鹿火(もののべのあらかひ)に527-528磐井(いわい)の乱を鎮圧させるが、512任那(みまな。加羅)四県を百済に割譲したことを大連・物部尾輿(おこし)らに責められ、540失脚した(任那四県割譲問題)。国境味
日朝味2

大伴家持(おおとものやかもち)
 (718?-785)公卿。歌人。中納言。三十六歌仙の一。大伴旅人(たびと)の子。内舎人(うどねり)として聖武(しょうむ)天皇に仕え、越中守(えっちゅうのかみ)・薩摩守(さつまのかみ)・衛門督(えもんのかみ)等を経て、780参議に就任、782氷上川継(ひかみのかわつぐ)の変に関係して解任されるが、783中納言(ちゅうなごん)に昇り、『万葉集』を編集したと思われるが、785藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に関わった罪で死後に処罰された。怨念味1

大連(おおむらじ)
 連姓氏族(大王とは祖先が違う神別氏族)の中で最高位の者。大伴(おおとも)氏や物部(もののべ)氏などから選ばれた。

樺太(からふと)サハリン(Sakhalin)
 北海道の北にある島。1808間宮林蔵が島であることを確認、1854or1855日露通好(和親)条約で雑居地となるが、1875千島樺太交換条約でロシア領となり、1905日露戦争後のホーツマス(日露講和)条約で南樺太が日本領に、1920北樺太も日本領になるが、1945ソ連(ロシア)に占領され、1951サンフランシスコ平和(講和)条約で正式にソ連領となった。

韓国(かんこく)大韓民国(だいかんみんこく)←大韓帝国(だいかんていこく)
 (1897-1910,1948-) アジアの朝鮮半島南部にある国。李氏朝鮮王朝二十六代・高宗(こうそう)が国号を大韓帝国と改めるが、1910韓国併合条約によって日本の植民地になり(日韓併合)、1945-1948アメリカの占領を経て、1948大韓民国として独立した。首都はソウル。

桓武天皇(かんむてんのう)←山部(やまべ)親王←山部王
 (737-806) 伝五十代天皇(在位781-806)。光仁(こうにん)天皇の皇子。781父の譲位によって即位し、784長岡京(ながおかきょう)へ遷都するが、785造長岡宮使(ぞうながおかぐうし)・藤原種継(ふじわらのたねつぐ)の暗殺で挫折(ざせつ)、792健児(こんでい)の制を制定し、794和気清麻呂(わけのきよまろ)の勧めで平安京へ遷都、勘解由使(かげゆし)を置き、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍として蝦夷を征伐、藤原継縄(つぐただ)・菅野真道(すがののまみち)らに正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』を編集させた。怨念味 怨霊味 ヤミ味

欽明天皇(きんめいてんのう)
 (509?-571) 伝二十九代天皇(在位539?-571)。継体(けいたい)天皇の皇子。母は仁賢(にんけん)天皇の皇女・手白香(たしらか)皇女。安閑(あんかん)天皇・宣化(せんか)天皇の弟。大臣(おおおみ)は蘇我稲目(そがのいなめ)。大連(おおむらじ)は物部尾輿(もののべのおこし)。538or552に百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)から仏像・経典を送られ(仏教公伝)、562加羅(から。任那)が滅亡したという。
宗教味

百済(くだら・ひゃくさい)
 (前18?-660) 古代朝鮮三国の一つ。四世紀の初めに馬韓(ばかん)五十五国を統一、北の高句麗(こうくり)、東の新羅(しらぎ・しんら)と勢力を三分するが、660唐(とう)・新羅連合軍に攻められて滅亡した。まもなく旧臣たちによって復興運動が起こり、日本も援助するが、663白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦いで唐・新羅連合軍に敗れて壊滅した。

高句麗(こうくり)
 (前47?-668) 古代朝鮮三国の一。朱蒙(しゅもう)が建国。313楽浪郡を滅ぼし、五世紀初めに朝鮮半島に進出してきた倭(わ)を撃退、427平壌に都を移し、唐・百済・新羅と争ったが、668唐・新羅連合軍に滅ぼされた。

五経博士(ごきょうはかせ)
 儒教の経典である五経(『詩経』『尚書』『易経』『春秋』『礼記(らいき)』)の専門家。継体(けいたい)天皇の代に段楊爾(だんように)らが来日し、日本に儒教を浸透させた。

古事記(こじき)
 現存日本最古の歴史書。3巻。紀伝体。天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗唱していた昔話を太安万侶(おおのやすまろ)が編集。神代〜推古朝までを収録。

サンフランシスコ平和条約(さんふらんしすこへいわじょうやく)サンフランシスコ講和条約対日平和条約・日本国との平和条約
 日本と連合国四十八か国との太平洋戦争の講和条約。1951サンフランシスコで開催。1952発効。ダレスが条約案を作成。日本全権は吉田茂(よしだしげる)首相以下。戦争終結・日本の主権回復(第一章)、朝鮮独立の承認、台湾・千島列島・南樺太等の放棄(第二章)、武装解除・国連への協力・外国軍駐留の容認(第三章)等が調印された。

GHQ(ジーエイチキュー・General Headquarters)連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)
 (1945-1952) アメリカによる日本占領機関。1945東京に設置。最高司令官はマッカーサー。日本政府に対して間接統治を行い、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣に五大改革指令を発令、財閥解体・政教分離・第一次農地改革・1946第二次農地改革・極東国際軍事裁判・公職追放・日本国憲法制定などを指示した。

新羅(しらぎ・しんら)
 (前57?-935) 古代朝鮮三国の一つ。四世紀前半に辰韓(しんかん)十二国を統一、唐と連合して西の百済(くだら)と北の高句麗(こうくり)を滅ぼし、684朝鮮半島を統一するが、935高麗(こうらい)によって滅亡した。

聖明王(せいめいおう)聖王(せいおう・ソンワン)
 (?-554) 伝二十六代百済(くだら)国王(在位523-554)。武寧王(ぶねいおう)の子。538or552欽明(きんめい)天皇に仏像・経典を送り(仏教公伝)、任那(みまな。加羅)復興に尽力したが、554高句麗と連合した新羅(しらぎ)を攻めようとして戦死した。
宗教味

ソビエト連邦ソ連ソビエト社会主義共和国連邦
 (1917-1991) ユーラシア大陸北部にあった最初の社会主義国。現在のロシアほか。首都モスクワ。1917ロシア革命によって成立し、レーニンやスターリンらによって社会主義政策が推進されたが次第に行き詰まり、ゴルバチョフのペレストロイカもむなしく1991八月政変で共産党は解散、ソビエト連邦は倒壊し、独立国家共同体(CIS)が形成された。

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)=第二次大戦
 (1939-1945) 枢軸国(日本・ドイツ・イタリアなど)と連合国(イギリス・アメリカ・フランス・中国・ソ連など)との世界戦争。1939ドイツのポーランド侵攻に始まり、1941日本の真珠湾攻撃(対アメリカ参戦)・マレー半島上陸(対イギリス参戦)によってアジア・太平洋に戦渦が拡大、当初、ドイツがヨーロッパの大半を制圧し、日本が東南アジアを占領するなど枢軸国優勢だったが、次第に連合国に巻き返され、1943にイタリアが、1945ドイツ・日本がそれぞれ無条件降伏して終結した。

渡来人(とらいじん)帰化人(きかじん)
 古代に朝鮮・中国から日本に移住したきた人々。大陸の先端技術を有するものが多く、大和政権の政治や文化に大きな影響を与えた。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

日本書紀(にほんしょき)
 日本最古の勅撰歴史書。編年体。30巻。系譜1巻(現存せず)。舎人親王(とねりしんのう)・藤原不比等らが編集。神代〜持統朝までを収録。

風土記(ふどき)
 奈良時代に編集された地誌。713元明天皇が諸国に編集を命令。出雲(ほぼ全文)・播磨・常陸・肥前・豊後の五か国がまとまって現存。二十数か国の逸文が諸書に残存。

任那(みまな)≧加羅(から)
 朝鮮南部の小国家群のこと。狭義にはその中の一国・金官加羅(きんかんから)国のこと。562新羅に滅ぼされた。

仏教(ぶっきょう)
 釈迦(しゃか)を開祖とする宗教。日本には欽明(きんめい)天皇の時代に百済の国王・聖明王(せいめいおう)によってもたらされた。年代については552説(『日本書紀』による)と538説(『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』『元興寺縁起(がんごうじえんぎ)』による)がある。これを「仏教公伝」とするが、これ以前にも渡来人・司馬達等(しばたっと)が自宅で仏像を礼拝していたという(仏教私伝)。以後、従来からあった神道(しんとう)と並んでわが国に浸透した。

北方領土(ほっぽうりょうど)択捉島(えとろふとう)+国後島(くなしりとう)+歯舞群島(はぼまいぐんとう)+色丹島(しこたんとう)
 1798近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)らが択捉島に「大日本恵登呂府(だいにほんえとろふ)」の標柱を立て、1854or1855日露通好(和親)条約で日本領となるが、1945ソ連(ロシア)が占領、1956日ソ共同宣言で平和条約締結後に歯舞群島・色丹島の返還が同意されたが、いまだ平和条約は締結されていない。北方味

(わ・やまと)
 中国から見て東方に住む連中のこと。つまり日本などのこと。日本または大和国の古名。

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