3.三河併合

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今川義元戦国史上最強論
1.花倉の乱
2.河東一乱
3.三河併合
4.善徳寺の会盟
5.美濃・尾張攪乱
6.桶狭間の戦

 今川義元が東へ兵を向けている間、西の方があわただしくなっていた。
 尾張領主・織田信秀
(おだのぶひで)が、三河領主・松平広忠(まつだいらひろただ)の本拠・岡崎城(おかざきじょう。愛知県岡崎市)を攻囲、追い詰められた広忠が義元に助けを求めてきたのである。

 織田信秀は、もともと尾張守護代織田氏の家老だったが、いつしか主家をしのいで尾張一帯を領するようになっていた。
 戦争大好きの荒れくれ男で、三河の松平氏、美濃の斎藤氏と絶えず交戦していた。
 ところが、美濃領主・斎藤道三
(さいとうどうさん)はことのほか強かった。何度戦っても勝てないため、あきらめて東へ目を向けた。
「弱いほうから倒しておこう」
 松平広忠は、当時はまだ十代後半。油商人から美濃国主に強引に転職した老獪
(ろうかい)な道三と比べ、とても弱そうである。しかも広忠の後ろ盾である今川氏は、北条氏に国境を侵されて東へ兵力を集中させている。
「今が好機!」
 天文九年(1540)、信秀は三河安祥城
(あんじょうじょう。愛知県安城市)城を攻略、その二年後には今川・松平連合軍を小豆坂(あずきざか。岡崎市)で破り(第一次小豆坂の戦)三河刈屋城(かりやじょう。刈谷城。愛知県刈谷市)城主・水野信元(みずののぶもと)を投降させた。
 水野信元は広忠の妻・於大
(おだい。伝通院)の兄である。
 広忠は激怒し、於大を離縁、安祥城を取り戻すべく出陣したが、信秀の返り討ちにあってしまった。
 信秀は余勢を駆って岡崎城を攻囲したというわけだ。

 義元は考えた。
「このまま信秀を野放しにしておけば、ろくなことがない。松平は諸刃
(もろは)の剣(つるぎ)だ」
 義元は岡崎城に援軍を送った。おかげで織田軍を撃退することができた。
「助かった!」
 単純に喜ぶ広忠に、義元が怒った。
「喜んでいる場合ではない! 今回は引き上げたが、織田は何度でも攻めてくることであろう。最近、そちの家中では織田に寝返る者が続出しているではないか! 家臣団の崩壊は、そのまま国の崩壊である! そちは織田に滅ぼされたいのか!」
 しょげる広忠に、義元は今度は手の平を返したように優しく言った。
「松平家中の結束を固めるため、そちの御子息・竹千代
(たけちよ。後の徳川家康)殿をお預かりしたい。今川家には太原崇孚という軍師がいる。その者のもとで御子息を立派な武将に育て上げてみせよう」
 ものは言いようであるが、ようするに人質である。
 悩む広忠に、義元が追い討ちをかけた。
「このまま竹千代殿がそちのそばにいれば、そちが滅ぼされた時、ともに死ぬことになるのだぞ」
 広忠は断れなかった。義元には、岡崎城を救ってもらったという恩もあった。信玄に対してもそうであったが、義元は着せた恩は確実に返してもらう主義なのである。
「分かりました。竹千代をよろしく頼みます」
 広忠は竹千代を駿府に送ることを約束させられた。
 義元は満足した。
(竹千代さえ人質に取れば、松平党は余の思うがままに働き、三河は安定するであろう)

 ところが、そう簡単に義元の計算どおりにはいかなかった。
 三河田原城
(たわらじょう。愛知県田原市)主・戸田康光(とだやすみつ)が裏切り、信秀に投降してしまったのである。
 その際、康光は手土産として信秀に竹千代を差し出した。
「えへへ。松平の子せがれです。駿府へ連れていくところを横取りしてやりました」
「でかした!」
 信秀は狂喜した。
 戸田氏といえば、東三河随一の大勢力である。戸田氏というカモが松平の御曹司というネギをしょってやって来たのだ。信秀はもはや、三河一国を手に入れたも同然だった。
「これで織田と今川は二か国大名同士! 対等ぞ! 勝てる! あの義元に勝てるぞ!」

 信秀の喜びようはすぐさま義元のもとにも伝えられた。
 義元は商人や山伏に化けた忍者を数多く尾張に潜ませていた。そいつらが逐一尾張の状況をもたらしてくれる。
「何が対等じゃ。信秀は自分を知らぬ。今川の力も知らぬ。ここは松平党の動揺を押さえるため、今川が織田より格段に強いということを見せ付けておかねばなるまい」
 義元はすぐさま大軍でもって田原城を攻撃、康光を討死にさせ、瞬く間に東三河を平定してしまった。

「今川強し」
 広忠は恐れおののいた。我が子・竹千代が捕われの身とはいえ、とても信秀につく勇気はなかった。
「そりゃ、そりゃ、戦え! 戦え! 竹千代殿を救いたければ、信秀に勝て!」
 松平党は義元にけしかけられるように信秀と戦った。
「勝つのだ! そして、竹千代様を救うのだ!」
 死に物狂いで攻め寄せる松平党に、信秀は押された。
 信秀は縁起のいい小豆坂で今川・松平連合軍を迎え撃ったが、ものの見事に惨敗した
(第二次小豆坂の戦)

「やはり今川は織田より強い。圧倒的に強い」
「いや、松平党だけでも十分織田より強いだろう」
「信秀の時代の終わった」
 尾張三河の武将たちにそんなうわさが流れ、新鋭大名・信秀の権威は失墜、一転して窮地に立たされた。
「なんとかしなければ」
 そんな折、信秀にとってはとってもいいニュースが入ってきた。
「何! 広忠が死んだだと……」
 なんでも家臣に殺されて命を落としたのだという。一説には、信秀が刺客を遣わしたとも、病死とも伝えられている。
 いずれにしても、これで松平党の当主は信秀の掌中
(しょうちゅう)にある竹千代のみということになった。
 信秀は身体を揺らして笑った。
「今度こそ、松平党は織田の味方につくであろう! 運は我にあり!」

 ところが、義元はそんなに甘くはなかった。
 彼は太原崇孚に兵を与え、機先を制して安祥城を攻撃、守将・織田信広
(のぶひろ。信秀の長男。信長の庶兄)を生け捕り、信秀に竹千代との人質交換を持ちかけてきたのである。
「バカ息子め、捕われるくらいなら、死ね!」
 信秀は激怒した。竹千代は三河を制するための大事な持ち駒だが、やはり息子の命には替えられない。涙をのんで義元の提案に応じ、人質を交換した。
「竹千代様が帰ってこられた!」
 松平党は喜んで幼君を迎えたが、今度は今川の人質として駿府に連れて行かれることになった。竹千代にとっては捕われ先が替わっただけのことだ。
 義元は城主のいなくなった岡崎城に配下の山田某を送り込んだ。
 こうして義元は戦わずして岡崎城を接収、駿河遠江三河三国ほぼ百万石を領する大大名になったのである。

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