歴史チップス>バックナンバー2023>令和五年10月号(通算264号)衆道味 遮那王1.硝子(ガラス)の少年
私のお父さんはたくさんいた。
当然、実のお父さん(源義朝)は一人だが、彼の死後に急増した。
私はまだ乳飲み子だったので覚えてないが、後に兄(義円or阿野全成。「清和源氏系図」参照)から教えてもらった。
「実のお父さんが決闘で負けて死んだ後、次からのお父さんは日替わりになった」
「一晩に何人もお父さんがいる時もあった」
「優しいお父さんもいたけど、怖いお父さんもいた」
「いろいろなお父さんに『遊んで〜』と、ねだったけど、こんなふうに言うお父さんもいた。『俺はおまえと遊びに来たわけじゃないの。おまえのお母さんと遊びに来たの。シッシッ!
ジャマだよ! 子供は早く寝なっ!』」
私はお母さん(常盤御前)にお父さんたくさんの理由を聞いた。
お母さんは答えた。
「人間は死んじゃったらおしまいなの。だから、生きるためには何でもしたのよ。あたしは三人の子(今若・音若・牛若)を育てなければならなかったから、食べ物や銭をくれるお父さんを途切れさせることはできなかった」
「実のお父さんって、どんなヒトだったの?」
「強くてかっこいい人だったわ。それなのに、ブサイクで見苦しいヤツに負けて死んじゃったわ。この世の中はまっすぐで仕事ができる筋肉バカは生きられないの。ブサイクでも要領がよくて悪知恵の働く卑怯なヤツが生き残るのよ。おまえも長生きしたかったら卑怯になりなさい。弱い者いじめしてでも強い者を頼りなさい。正義なんて、勝った者しか唱えられないタワゴトでしかないわ」
この時は知らなかったが、お母さんはその卑怯なヤツ(平清盛)の妾になったこともあった。
「あたしは三人の子の命を助けるために、最良の選択をしたつもりよ」
後にお母さんは卑怯なヤツに飽きられ、最後のお父さん(藤原長成)に下げ渡された。
「牛若、牛若」
最後のお父さんは私をかわいがってくれたが、どうしても実子、つまり私の異父弟(藤原能成)のほうがかわいいようだった。
ある時、異父弟がこんなことを言った。
「おとうさま、ホントはおにいちゃまのことがジャマなんだって。どっかいってほしいんだって。このウチにはいらないコなんだって」
私は大いに傷ついた。