2.謀略!佐久間信盛!! | ||||||||||||||
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天正三年(1575)年四月〜五月、武田勝頼が一万五千(一万九千、一万七千などとも)の兵を率いて三河長篠城(愛知県新城市)を攻囲した。このときに例の日本史上最高の英雄的人質・鳥居強右衛門勝商(とりいすねえもんかつあき)が登場するのである(「人質味」参照)。
「武田勝頼、三河乱入! なにとぞ援軍を!」
徳川家康は美濃岐阜(ぎふ。岐阜県岐阜市)城に使者・小栗重常(おぐりしげつね)を遣わした。
が、織田信長の返答はつれなかった。
「であるか」
それだけであった。あとは何一つ出なかった。
「ぶ〜」
重常は失望して帰った。
信長の家臣・滝川一益(たぎわかずます。伊勢長島城主)が言った。
「上様。三河殿は大事な同盟国当主。断るにもちょっと、おっしゃり方があるのでは――」
宿老・柴田勝家も同じた。
「三河が破られれば、尾張も危険ですぞ」
「余は詭道(きどう)を用いるときは、多くを語らず」
信長はそう言うと、宿老・佐久間信盛(さくまのぶもり。近江永原城主)をチラリと見た。
こころなしか、信盛は小刻みに震えていた。
彼は先の三方原(みかたがはら。静岡県浜松市)の戦で武田軍の強さを身をもって味わっていた(「惨敗味」参照)。
「武田が怖いか?」
知らぬ間に信長がすぐ横に立っていたため、信盛はハッとした。
「い、いえ」
「震えておるが」
「武者震いでございまする」
「援軍を出さぬというのはウソだ。武田との決戦にはなんじも連れて行く」
「ふえっ!」
信長は信盛の頭を扇子でポンポンたたいた。
「もうそろそろなんじには活躍してもらわねばならぬ。茶室へ来い」
信長は茶室へ入った。
信盛もついて小さく入った。
信長は自ら茶を立てて信盛に差し出した。
「いただきまする」
ズルズル、ゴックン。
「うまいか?」
「結構なお手前で」
「つまらぬ。型にはまったことを申すな」
信長は苦笑した。自分でも飲み、扇子を開いてパタパタあおった。
「なんじ、武田勝頼に手紙を書け」
「……。え? え? なんでまた? どういうことで!?」
「武田に内応したふりをするのじゃ」
「はあ……、なるほど」
「ふりだけだぞ。実際にはするな」
「と、と、と、当然のことでっ」
「その際、手紙には三つの要点を入れること」
信長は扇子を渡した。
信盛が扇子を開くと、それが扇面に書かれていた。
信盛は読み終えると、扇子を閉じて懐にしまった。
「承知いたしました」
「扇子は燃やせよ」
「ははーっ。重ねて承知」
信盛は手紙を書くと、それを信長に見せた。
信長はザッと読んで感心した。
「うまい! まるで誠に裏切るかのようじゃ」
「そうですか。ありがとうございます〜」
「まさか、誠に叛意(ほんい)があるのではあるまいな?」
「めめっ、めっそうもない!」
こうして信盛の偽りの寝返りの手紙が勝頼に届けられた。
後年、信盛は信長に怠慢を責められて追放されることになるが、それは天正八年(1580)のことである。