75.銃器味 基礎用語集

今川義元(いまがわよしもと)
 (1519-1560) 武将。駿河等守護。今川氏親(うじちか)の子。長兄氏輝(うじてる)死後、1536花倉の乱で次兄の玄光恵探(げんこうえたん)を破って家督を継ぎ、三河の松平氏を併合して尾張東部まで領国を拡張、いち早く検地を行い、商工業振興や富国強兵に努め、1553分国法「今川仮名目録追加(いまがわかなもくろくついか)」を制定、1554善徳寺(ぜんとくじ)の会盟で、甲斐の武田信玄(たけだしんげん)・相模の北条氏康(ほうじょううじやす)と三国同盟を締結、後方の憂いを無くして京都に向かうが、1560桶狭間(おけはざま)の戦で尾張の織田信長(おだのぶなが)に敗死した。
最強味

桶狭間の戦(おけはざまのたたかい)=田楽狭間(でんがくはざま)の戦
 1560尾張の戦国大名・織田信長が、駿河・遠江・三河の戦国大名・今川義元(いまがわよしもと)を桶狭間(田楽狭間。愛知県)で破った戦い。義元は敗死し、三河の戦国大名・松平元康(まつだいらもとやす。徳川家康)は独立、今川氏は衰退した。
最強味6

織田信長(おだのぶなが)
 (1534-1582) 武将。織田信秀(のぶひで)の子。父の死後、尾張を統一、1560桶狭間(おけはざま)の戦で今川義元(いまがわよしもと)を討ち、1567美濃の斎藤氏を追って岐阜城に入城、1568足利義昭(あしかがよしあき)を擁して上洛し、1570姉川(あねがわ)の戦で浅井(あさい)・朝倉(あさくら)氏を倒し、1571比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼き打ち、1573義昭を追放して室町幕府を滅ぼし、1574長島一向一揆(いせながしまいっこういっき)を、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(たけだかつより)を撃破、1576近江に安土(あづち)城を築いて移り、楽市(らくいち)・楽座(らくざ)を実施、1580石山本願寺(いしやまほんがんじ)を大坂から立ち退かせ、1582天目山(てんもくざん)の戦で勝頼を滅ぼすが、本能寺(ほんのうじ)の変で家臣の明智光秀(あけちみつひで)に討たれた。
最強味 鼓舞味 大雪味 騒乱味 暴力味 虐殺味 人質味 銃器味 俺様味 ロス味 ロス味   

京都(きょうと)
 現在の京都府京都市。府庁所在地。政令指定都市。ユネスコ世界文化遺産。794桓武天皇による平安京遷都から1868明治天皇による事実上の東京遷都まで日本の帝都として繁栄、明治維新後も文化の中心として発展した。

柴田勝家(しばたかついえ)
 (?-1583) 武将。織田信長に仕え、畿内・近江・越前平定戦に活躍、1575越前一向一揆を平定し、越前北庄(きたのしょう)城主として越前の大半を支配、検地や刀狩(かたながり)を行い、1580加賀一向一揆を鎮圧、越後の上杉景勝(うえすぎかげかつ)と対決するが、1582本能寺(ほんのうじ)の変後、信長の三男・信孝(のぶたか)と結んで羽柴(はしば。豊臣)秀吉と争い、1583賤ヶ岳((しずがたけ))の戦いで敗れ、北庄で自殺した。 

相国寺(しょうこくじ)=万年山相国承天寺
 京都市上京区所在。臨済宗相国寺派大本山。京都五山第二位。1382夢窓疎石(むそうそせき)を開山(実際は春屋妙葩開山)として足利義満(あしかがよしみつ)が創建。塔頭(たっちゅう。支院)の鹿苑院(ろくおんいん)住持が僧録を兼任し、禅宗寺院を統括した。歴代住持の日記『鹿苑日録』は有名。

武田勝頼(たけだかつより)=諏訪(すわ)勝頼
 (1546-1582) 武将。甲斐等領主。信玄(しんげん)の子。父の死後も勢力を拡大したが、1575長篠(ながしの)の戦で織田信長・徳川家康連合軍に大敗して衰退、1582天目山(てんもくざん)の戦で敗れて自害した。惨敗味2
人質味銃器味 ニセ味

武田信玄(たけだしんげん)←武田晴信(はるのぶ)
 (1521-1573) 武将。甲斐等守護。信虎(のぶとら)の子。1541父を追放して家督を継ぎ、1547分国法「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい。「信玄家法」とも)」を制定、1542信濃へ侵攻して諏訪頼重(すわよりしげ)を討ち、小笠原長時(おがさわらながとき)・村上義清(むらかみよしきよ)らを撃破、越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)と数度交戦し(川中島の戦)、1554駿河の今川義元(いまがわよしもと)・相模の北条氏康(ほうじょううじやす)と同盟を結ぶが(善徳寺の会盟)、1560桶狭間の戦で義元が敗死するや1568駿河に侵攻して今川氏を滅ぼし、1572三方原(みかたがはら)の戦で徳川・織田連合軍を破るが、まもなく病没した(鉄砲で狙撃されたという説もある)。
撤退味 大雪味3 惨敗味 ニセ味

鉄砲(てっぽう)=火縄銃(ひなわじゅう)≦種子島(たねがしま)
 火薬の爆発力によって弾丸を発射する武器。1543ポルトガル人が種子島にもたらした鉄砲を島主・種子島時尭(たねがしまときたか)が購入、八板金兵衛(やいたきんべえ)らに模作させた(鉄砲伝来)。後に和泉堺(さかい)・紀伊根来(ねごろ)・近江国友(くにとも)などの鉄砲鍛治(かじ)が製造し、戦国大名の間で普及した。1575織田信長が三千丁(千丁とも)の鉄砲を駆使して長篠の戦(ながしののたたかい)で勝利したことは有名。南蛮味
銃器味

徳川家康(とくがわいえやす)←松平元康(まつだいらもとやす)←松平元信(もとのぶ)
 (1542-1616) 武将。江戸幕府初代将軍(在職1603-1605)・大御所。三河岡崎(みかわおかざき)城主・松平広忠(まつだいらひろただ)の子。1560桶狭間(おけはざま)の戦後に岡崎城主となり、織田信長と同盟を締結、今川氏を滅ぼして遠江浜松(とおとうみはままつ)城主となるが1572三方原(みかたがはら)の戦で武田信玄(たけだしんげん)に惨敗、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(かつより)を撃退し、1582本能寺(ほんのうじ)の変後、1584小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦後に豊臣秀吉と講和、1590小田原(おだわら)攻めに従って武蔵江戸(えど)城主となり、関東を統治、五大老に列し、秀吉の死後の1600関ヶ原の戦で石田三成らを撃破、1603征夷大将軍となって江戸幕府を開き、1605将軍職を秀忠(ひでたた)に譲渡、駿河府中(するがふちゅう)に退くが、大御所として実権を掌握、1614〜1615大坂の役で豊臣秀頼(ひでより)を滅ぼし、1615武家諸法度(ぶけしょはっと)・禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)・一国一城令(いっこくいちじょうれい)などを定めた。惨敗味 変節味
裏金味4 籠城味 銃器味

豊臣秀吉(とよとみひでよし)←羽柴(はしば)秀吉←木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)
 (1537-1598) 武将。関白・太政大臣。織田信長に仕えて出世し、1573近江長浜(おうみながはま)城主となり、1577中国攻めを開始、1582備中高松(びっちゅうたかまつ)城攻撃中に信長横死の知らせを受け、山崎(やまざき)の戦で明智光秀(あけちみつひで)を、1583賤ヶ岳(しずがたけ)の戦で柴田勝家(しばたかついえ)を滅ぼし、石山本願寺(いしやまほんがんじ)跡に大坂(おおさか)城を築城、1584小牧・長久手の戦を経て徳川家康と講和、1585関白となって紀伊の根来(ねごろ)・雑賀(さいが)一揆を、四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を降し、1586太政大臣に就任、1587九州の島津義久を、1590東北の伊達政宗(だてまさむね)・最上義光(もがみよしあき)らを、関東の北条氏政(ほうじょううじまさ)・氏直(うじなお)を降して天下を統一、太閤検地(たいこうけんち)や刀狩(かたながり)を行い、バテレン追放令や身分統制令などを発令、聚楽第(じゅらくだい)や伏見城を築いたが、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は失敗した。 怪談味2 地震味4 日朝味7 芸人味 花見味 変節味

長篠(ながしの)の戦=長篠合戦
 織田信長・徳川家康が三河長篠(愛知県新城市)で武田勝頼(たけだかつより)の侵攻を食い止めた戦い。1574勝頼は徳川領に侵攻、遠江高天神城(たかてんじんじょう。静岡県掛川市)を落とし、1575三河長篠城を攻囲、城将・奥平信昌(おくだいらのぶまさ)は家康に助けを求め、家康は信長に救援を依頼、織田・徳川連合軍は設楽原(したらがはら)に馬防柵(ばぼうさく)・土塁・空掘を設け、足軽鉄砲隊で迎撃、当時最強といわれていた武田軍を壊滅させた。以後、武田氏は衰退し、1582滅亡する。
 人質味 銃器味

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

前田利家(まえだとしいえ)
 (1538-1599) 武将。五大老の一。織田信長に仕え、柴田勝家(しばたかついえ)の名代として能登七尾(ななお)城主となり、1583賤ヶ岳(しずがたけ)の戦で豊臣秀吉に属して加賀金沢(かなざわ)城主となり、秀吉死後は遺児秀頼の後見役を務めた。 

源義家(みなもとのよしいえ)=八幡太郎(はちまんたろう)
 (1039-1106) 武将。源頼義(よりよし)の子。1051-1062前九年の役(ぜんくねんのえき。前九年合戦)に従軍し、1063出羽守に、1083陸奥守・鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に就任、1083-1087後三年の役(ごさんねんのえき。後三年合戦)で清原清衡(きよはらのきよひら。後の藤原清衡)を助け、清原家衡(いえひら)・清原武衡(たけひら)を討ち、武家の棟梁(とうりょう)の地位を確立、1098院の昇殿を許された。

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