64.大豆味 基礎用語集

天照大神=天照大御神(あまてらすおおみかみ)≒卑弥呼(ひみこ)
 (?-?) 太陽神。皇室の祖神。伊勢神宮内宮などの祭神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと。伊邪那岐命)の娘。月読尊(つくよみのみこと)とともに高天原(たかまがはら)を治め、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と誓約を行って五男三女神を生み、彼の乱暴に耐えかねて天の石屋(岩窟)にこもり、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国(あしはらなかつくに)に天孫降臨させた。神武天皇(じんむてんのう)の東征も助けたされる。大豆味
倭国味 天狗味

伊勢神宮(いせじんぐう)=神宮=大神宮=皇大神宮(こうだいじんぐう。内宮)+豊受大神宮(とようけだいじんぐう・とゆけだいじんぐう。外宮)
 三重県伊勢市所在。皇室の祖神。祭神は内宮は太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)、外宮は穀物神・豊受大神(とようけのおおかみ・とゆけのおおかみ。豊受姫神・豊宇気毘売神)。建築様式は神明造。創立は内宮は垂仁(すいにん)天皇代、外宮は雄略(ゆうりゃく)天皇代とされ、室町時代以降に庶民の参詣も流行、明治時代には国家神道の中心になった。

江戸時代(えどじだい)=徳川(とくがわ)時代
 (1600or1603-1867) 江戸幕府が支配していた時代。1600関ヶ原の戦(せきがはらのたたかい)で徳川家康(とくがわいえやす)が政権を握ったこと、または1603家康が江戸幕府を開いたことに始まり、徳川氏が代々将軍に就任した。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して終わった。⇒江戸時代年表

京都(きょうと)=京(きょう)
 現在の京都府京都市。府庁所在地。政令指定都市。平安〜江戸時代の日本の首都(帝都)。794桓武天皇による平安京遷都に始まり、平安時代は皇族のち貴族が政治を主導、武家政権が鎌倉に成立した後も京都守護のち六波羅探題が、室町時代には室町幕府が、江戸時代には京都所司代が置かれ、明治維新後も文化の中心として継続した。

遣唐使(けんとうし)=入唐使(にっとうし)=もろこしの使い
 (630-894) 古代に日本から唐(とう)に派遣された公式使節。飛鳥〜平安時代に19回にわたって任命された(渡海は15回。諸説あり)。初代遣唐大使は犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)。以後、高向玄理(たかむこのくろまろ・げんり)・阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)・玄ム(げんぼう)・吉備真備(きびのまきび)・最澄(さいちょう)・空海(くうかい)・円仁(えんにん)・円珍(えんちん)ら名だたる著名人が渡海し、さまざまな文物をもたらした。最後の遣唐大使は菅原道真(すがわらのみちざね)だが、894停止を建議して廃絶した。
中国味 受験味

高野山(こうやさん)
 和歌山県高野町にある標高千メートル内外の山地。真言宗(しんごんしゅう)総本山・金剛峰寺(こんごうぶじ)がある。三密味
引籠味

後三年の役(ごさんねんのえき)後三年合戦(ごさんねんかっせん)
 (1083-1087) 奥羽の豪族・清原(きよはら)氏が朝廷に起こした反乱。清原氏の相続争いに陸奥守・源義家(みなもとのよしいえ)が介入、清原清衡(きよはらのきよひら。後の藤原清衡)を推し、清原家衡(いえひら)・清原武衡(たけひら)と交戦、1087金沢柵(かねざわのさく。秋田県横手市)にこれらを滅ぼした。以後、義家は武家の棟梁の地位を確立、清衡は奥州藤原三代(四代)の基を築いた。

縄文時代(じょうもんじだい)
 (1万3000年前頃-前5〜4世紀頃) 縄文文化が栄えた時代。縄文土器・磨製石器を使用し、狩猟・漁労の生活をした。草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に分類。旧石器時代の後を受け、弥生時代まで続くが、北海道では引き続き八世紀ごろまで縄文文化が栄えた(続縄文文化)。

中国(ちゅうごく)≧中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)←中華民国(ちゅうかみんこく)
 (1912-) 東アジアにある国。1912孫文(そんぶん)が臨時大統領になって中華民国が成立、袁世凱(えんせいがい)が専制支配を確立し、1928蒋介石(しょうかいせき)が国内を統一するが、1937-1945日中戦争で衰退、1949中華人民共和国が成立した。現在の首都は北京。
中国味

奈良時代(ならじだい)
 (710-784) 平城京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。710元明(げんめい)天皇の平城京遷都に始まり、律令国家の最盛期にあたり、天平文化が栄えた。784桓武天皇の長岡京(ながおかきょう)遷都で幕を閉じたが、784-794長岡京の時代も含む場合もある。⇒奈良時代年表

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。1869から事実上の首都は東京。

平安時代(へいあんじだい)
 (794-1185頃) 平安京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。794桓武(かんむ)天皇の平安遷都に始まり、初期は天皇家が、前中期は藤原氏が、後期は院政の主が、末期は平家が政権を担った。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置(事実上の鎌倉幕府の創立)頃までをいう。⇒平安時代年表

源義家(みなもとのよしいえ)=八幡太郎(はちまんたろう)
 (1039-1106) 武将。源頼義(よりよし)の子。1051-1062前九年の役(ぜんくねんのえき。前九年合戦)に従軍し、1063出羽守に、1083陸奥守・鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に就任、1083-1087後三年の役(ごさんねんのえき。後三年合戦)で清原清衡(きよはらのきよひら。後の藤原清衡)を助け、清原家衡(いえひら)・清原武衡(たけひら)を討ち、武家の棟梁(とうりょう)の地位を確立、1098院の昇殿を許された。

室町時代(むろまちじだい)=足利時代(あしかがじだい)
 (1336-1573) 三代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の京都室町邸(花の御所)にちなむ。室町に幕府が置かれ、武士が支配していた時代。1336足利尊氏(たかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)政権を倒して始まり、足利氏が代々将軍に就任、管領(かんれい)がこれを補佐したが、権力は脆弱(ぜいじゃく)、北山文化・東山文化が栄えた。1573十五代将軍・足利義昭(よしあき)が織田信長に追放されて終わった。1392南北朝合体(南北朝合一)までを南北朝時代、1467-1477応仁の乱以後を戦国時代ともいう。⇒室町時代年表

弥生時代(やよいじだい)
 (前5〜4世紀頃-3世紀頃) 弥生文化が栄えた時代。弥生土器・金属器を使用し、農耕の生活をした。貧富の差が生まれ、各地に小国家が乱立した。前期・中期・後期に分類。縄文時代の後を受け、大和(古墳)時代まで続く。

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