72.政権味 基礎用語集 | ||||||||||||||
●安倍晋三(あべしんぞう)
(1954-) 政治家。首相(在職2006-2007,2012-2020)。1982父・安倍晋太郎の外相秘書官となり、1993衆院議員に当選、自民党幹事長や官長を経て2003自民党総裁として首相に就任するが、2007消えた年金問題が発覚して退陣、2012再び首相となりアベノミクスを掲げて経済対策に尽力、森友・加計学園などの疑惑を官僚支配・マスコミ支配で切り抜け、2020史上最長の首相になるが、コロナ禍で行き詰まり、病気を理由に退陣した。
●今川義元(いまがわよしもと)
(1519-1560) 武将。駿河等守護。今川氏親(うじちか)の子。長兄氏輝(うじてる)死後、1536花倉の乱で次兄の玄光恵探(げんこうえたん)を破って家督を継ぎ、三河の松平氏を併合して尾張東部まで領国を拡張、いち早く検地を行い、商工業振興や富国強兵に努め、1553分国法「今川仮名目録追加(いまがわかなもくろくついか)」を制定、1554善徳寺(ぜんとくじ)の会盟で、甲斐の武田信玄(たけだしんげん)・相模の北条氏康(ほうじょううじやす)と三国同盟を締結、後方の憂いを無くして京都に向かうが、1560桶狭間(おけはざま)の戦で尾張の織田信長(おだのぶなが)に敗死した。
●上杉景勝(うえすぎかげかつ)
(1555-1623) 武将。大名。大老。謙信(けんしん)の養子。1578-1579御館(おたて)の乱で義兄・上杉景虎(かげとら)を破って家督となるが、1584豊臣秀吉に服属、陸奥会津(あいづ)百二十万石を領し、豊臣政権の五大老に列するが、1600関ヶ原の戦で徳川家康に歯向かったため、戦後出羽米沢(よねざわ)三十万石へ飛ばされた。
●上杉謙信(うえすぎけんしん)←上杉輝虎(てるとら)←上杉政虎(まさとら)←長尾景虎(ながおかげとら)
(1530-1578) 武将。越後守護代。関東管領。長尾為景(ためかげ)の子。1548家督を継ぎ、1550越後国主となり、信濃北部に進出した甲斐の戦国大名・武田信玄(たけだしんげん)と数度交戦(川中島の戦)、関東管領・上杉憲政(うえすぎのりまさ)の頼みで関東の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)を攻め、1561関東管領を継承、1573越中を平定して織田信長(おだのぶなが)を攻めるが、1578急死した。
●関東管領(かんとうかんれい)
鎌倉公方の補佐役。室町幕府関東支店長代理。1336足利義詮(あしかがよしあきら)鎌倉下向で斯波家長(しばいえなが)に補佐させたのが起源。初代関東管領は高師冬(こうのもろふゆ)と上杉憲顕(うえすぎのりあき)。上杉氏が世襲し、永享(えいきょう)の乱後は鎌倉公方の勢力をしのぐが、内部抗争や後北条氏の台頭で関東地方を追われた。最後の関東管領は上杉謙信(うえすぎけんしん)。
●高野山(こうやさん)
和歌山県高野町にある標高千メートル内外の山地。真言宗(しんごんしゅう)総本山・金剛峰寺(こんごうぶじ)がある。
●自由民主党(じゆうみんしゅとう)=自民党(じみんとう)
(1955- )自由党と民主党の保守合同によって成立した政党。初代総裁は鳩山一郎(はとやまいちろう)。結党以来一貫して政権を保持したが、1993に分裂、初めて野党に転落するが、1994再び政権党に返り咲いた。
●鎌倉新仏教(かまくらしんぶっきょう)
平安末期〜鎌倉中期に興った仏教宗派。浄土教系(浄土宗・浄土真宗)・禅宗系(臨済宗・曹洞宗)・新宗教系(時宗・法華宗)がある。
宗派 (別名) |
開祖(異称) (生没年) |
本山・本拠 (所在地) |
著作・教典 | 思想・教義 |
浄土宗 | 法然(源空) (1133-1212) |
知恩院 (京都市東山区) |
『選択本願念仏集』 | 専修念仏 「南無阿弥陀仏」 |
浄土真宗 (一向宗) |
親 鸞 (1173-1262) |
本願寺 (京都市下京区) |
『教行信証』 『歎異抄』(唯円編) |
悪人正機説 |
臨済宗 | 明庵栄西 (1141-1215) |
建仁寺 (京都市東山区) |
『興禅護国論』 『喫茶養生記』 |
臨済禅・公案 |
曹洞宗 | 道 元 (1200-1253) |
永平寺 (福井県永平寺町) |
『正法眼蔵』 『正法眼蔵随聞記』 |
只管打坐 |
時宗 | 一遍(智真) (1239-1289) |
清浄光寺 (神奈川県藤沢市) |
『一遍上人語録』 | 踊念仏・遊行 |
法華宗 (日蓮宗) |
日 蓮 (1222-1282) |
久遠寺 (山梨県身延町) |
『立正安国論』 『観心本尊鈔』 |
題目 「南無妙法蓮華経」 |
●武田信玄(たけだしんげん)←武田晴信(はるのぶ)
(1521-1573) 武将。甲斐等守護。信虎(のぶとら)の子。1541父を追放して家督を継ぎ、1547分国法「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい。「信玄家法」とも)」を制定、1542信濃へ侵攻して諏訪頼重(すわよりしげ)を討ち、小笠原長時(おがさわらながとき)・村上義清(むらかみよしきよ)らを撃破、越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)と数度交戦し(川中島の戦)、1554駿河の今川義元(いまがわよしもと)・相模の北条氏康(ほうじょううじやす)と同盟を結ぶが(善徳寺の会盟)、1560桶狭間の戦で義元が敗死するや1568駿河に侵攻して今川氏を滅ぼし、1572三方原(みかたがはら)の戦で徳川・織田連合軍を破るが、まもなく病没した(鉄砲で狙撃されたという説もある)。
●伴 善男(とものよしお)
(804-872) 公卿。摂政・太政大臣。大伴(伴)国道(くにみち)の子。844右少弁(うしょうべん)になり、846善ト(ぜんがい)訴訟事件を経て847蔵人頭(くろうどのかみ)・848参議に昇進、855藤原良房(ふじわらのよしふさ)らと『続日本後紀(しょくにほんこうき)』編集に携わり、中納言を経て864大納言に昇進するが、866応天門(おうてんもん)の変で失脚、伊豆へ流された。
●福田赳夫(ふくだたけお)
(1905-1995) 政治家。首相(在職1976-178)。大蔵官僚を経て、衆院議員に当選、蔵相・外相・自民党幹事長・副相などを歴任し、1976首相・自民党総裁に就任、1978日中平和友好条約に調印、経済改革に尽力し、「日米防衛協定のための指針」を閣議決定した。