2.上杉謙信にも負けなかった

ホーム>バックナンバー2005>2.上杉謙信にも負けなかった

地震は怖い
1.武田信玄にも負けなかった
2.上杉謙信にも負けなかった
3.織田信長にも負けなかった
4.豊臣秀吉にも負けなかった
5.それなのに……
    

 天文十六年(1547)、内ヶ島雅氏は没し、氏理は白川郷を相続、帰雲城主になった。
 相変わらず白川郷の周りには群雄が戦いに明け暮れていたが、この地だけは極めて平和であった。

「いい心地だ」
 内ヶ島氏理は、帰雲城下のお花畑で大の字になり、目を閉じて寝そべっていた。
 うとうとしていた氏理は、何やらムニョッとほおが変形したのを感じて目を開けた。
 見ると、彼の娘がしゃがんで棒で突付いてきたのであった。
「あら、生きてた?」
 娘が言った。顔が残念そうだった。名が伝わっていないので、仮にE子としておく。
「当たり前だ!」
 氏理が起き上がって怒ると、E子は、
「キャハハ!」
 と、笑ってダンナのもとに逃亡した。

 E子のダンナは、東常尭(とうのつねたか)
 古今伝授で知られる、かの東常縁
(つねより)の曽孫(そうそん)である。
 常尭は、元は南接する美濃郡上
(ぐじょう。岐阜県郡上市)領主であったが、親類・遠藤(えんどう)氏といざこざを起こし、領主の座を追われてこの地に逃れていた。
「義父
(とう)さん、また、お昼寝ですか?」
 常尭、妻の肩を抱いて氏理に近寄ってきた。
 氏理が不機嫌に言った。
「今、起きたところだ。お前も昼間っからイチャイチャしてないで、多少は馬の稽古なり、武芸の稽古なり、してはどうだ?」
「いーじゃないですか。どーせ誰も攻めてこないんだから」
 が、氏理は疑った。
「それはどうかな。世の中には変わり者がおるからのう」

 あれから二十数年を経て、周囲の戦国地図は変わっていた。
 北の上杉謙信、西の加賀の一向一揆はそのままであったが、東は天正元年(1573)に武田信玄が没し、その子・勝頼の代になっていた。
 また、南には斎藤氏を追い出した織田信長が進出していた。
 信長は、永禄十一年(1568)に将軍家継嗣・足利義昭を奉じて京都に上洛、天正元年(1573)には義昭を追放して室町幕府を倒し、越前の朝倉義景
(あさくらよしかげ)近江北部の浅井長政(あさいながまさ・あざいながまさ)を撃滅(「2003年2月号 大雪味」参照)、天下人を目指すようになっていたのである。

 おもしろくないのは、越後の飛竜・上杉謙信
「何が天下人だ! 天下は室町幕府のものだ!」
2005年1月号 撤退味」で述べたように、謙信は永禄四年(1561)に関東管領に任ぜられている。関東管領室町幕府の重職であるから、彼の役職は幕府崩壊とともに有名無実のものになってしまったわけである。
「幕府を復活させなければ、我には関東管領として関東を統治する名目がない!」
 謙信は西征を開始した。
 天正二年(1574)、謙信越中に侵攻、一向一揆に奪われた富山城
(富山県富山市)を奪還し、加賀にまで進撃した。そして積年の宿敵・加賀の一向一揆と手を結び、共に信長と戦おうとしたのである。

 謙信は当然、飛騨にも手を伸ばした。
 天正四年(1576)に目代・塩屋秋貞
(しおやあきさだ。筑前守)を侵攻させ、南飛騨領主・姉小路自綱(あねがこうじよりつな。頼綱。三木良頼の孫)を降した。
「姉小路が上杉になびいたそうだ」
 北飛騨領主・江馬氏は驚き、動揺した。
 そして、天正六年(1578)、あくまで武田を支持する当主・時盛を嫡子・輝盛
(てるもり)が暗殺、謙信になびいたのである(一説に天正元年)
 謙信は満足した。
「これで飛騨は上杉色一色に塗り変わった」
 塩屋秋貞が言った。
「お待ちください。まだ、白川郷が残っています」

 その塩屋が、帰雲城下にやって来た。川尻氏信に案内されて。
 氏理が、こちらに向かってくる一行を指差して言った。
「見よ。うわさをすれば影だ」

「おお、殿。ちょうどよいところにいてござった」
 川尻は息を切らせながら、塩屋を紹介した。
「あ、こちらは上杉家家臣の塩屋殿じゃ」
 塩屋も息を切らせていた。ぺこりと頭を下げて自己紹介した。
「初めまして。上杉謙信の目代・塩屋筑前守秋貞です」
 氏理の目が光った。
「ほう。その謙信の目代が、白川郷に何の用だ?」
 氏理の問いに、塩屋が答えた。
「内ヶ島殿には、上杉家に対して臣下の礼をとっていただきたいのです。北飛騨の江馬殿、南飛騨の姉小路殿のように」
「ほう。この内ヶ島に、上杉の家来になれと?」
「その通りです。このことは内ヶ島殿のためにもなるんですよ」
 氏理は常尭を見た。常尭は笑っていた。
 氏理は塩屋に聞いてみた。
「断ったら、どうなる?」
「仕方ありません。容赦なく攻め滅ぼすまでのこと」
「うぷぷっ!」
 氏理は吹き出した。声高らかに笑うと、常尭に言った。
「聞いたか、常尭! 上杉は今まで誰も攻めてこなかったこの白川郷に、攻めてくるそうだ!」
 常尭も笑って言った。
「塩屋殿。貴殿はここまで来るだけでもヒーヒー息を切らせていたじゃないですか。その状態で城攻めは到底無理でしょう。戦になれば、我々は帰雲城の詰めの城にこもって戦うでしょう。ほら、あの雲で山頂も見えない高い山の上にある城です。いくら上杉軍が強いといっても、攻められるはずないでしょう」
 塩屋は言い切った。
「我が上杉軍の前に、難攻不落という城はありません!」
 氏理は言い返した。
「おもしろい! 攻められるものなら、攻めてみろ!」
 氏理は川尻に命令した。
「川尻。塩屋殿に帰雲城の『仕掛け』の一部を見せてやれ」
「いいんですか?」
「いいのだ。どうだ、塩屋殿。難攻不落の『仕掛け』見たくはないか? それを見れば、とても攻める気は失せてしまうと思うが」
 塩屋は、額の青筋をピクピク踊らせながら言った。
「下見しておきましょう。城攻めの参考として。でも、内ヶ島殿。城を落とされてからピーピー命乞いしても知りませんからねっ」
 こうして塩屋は、川尻に帰雲城内を案内された。

 日が西に傾く頃、塩屋と川尻は帰ってきた。
 塩屋はすっかりゲッソリしていた。
 氏理が聞いた。
「どうです? 多少は城攻めの参考になりましたかな?」
「へ!」
 塩屋はビクッとした。激しく首を横に振って否定した。
「とっ、とっ、とんでもない! 上杉は金輪際、白川郷に攻め入ることはないでしょう。あるはずないじゃないですかっ! はははっ! 白川郷、万歳ー!」
 塩屋は、川尻にずっしり重たいお土産の箱をもらうと、いそいそ足早に帰っていった。
「何だ、あの豹変ぶりは?」
「帰雲城の『仕掛け』に、すっかり恐れ入ったようだ」

 事実、それ以後上杉軍が帰雲城を攻めることはなかった。
 というよりこの年、謙信は急死している。

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system