5.それなのに…… | ||||||||||||||
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佐々成政と姉小路自綱は、羽柴秀吉に敗れ、降伏した。
佐々は富山城を奪われ、領地を減収された。
姉小路は京都へ逃亡し、二年後に没した。
しかし、内ヶ島氏理だけは、そのまま帰雲城主であり続けた。
「攻められるものなら、攻めてみろ!」
あくまで氏理が言い張ったことで、秀吉は激怒したに違いない。
「誰に向かってものを言っているのじゃ! 望みどおり攻め滅ぼして、張り付けにしてくれよう!」
が、金森長近が必死になって止めたのであろう。
「いくら関白殿下といえども、あの城だけは落とせません! おやめください! あんな小城を落とせないことが天下に知れ渡ったら、それこそ殿下の権威は失墜いたします!」
「では、おぬしが内ヶ島を見張っていよ」
「ははぁ」
後に長近は高山城主となり、飛騨一円を治めることになる。
秀吉が攻めてこないのを知って、氏理は本気でがっかりした。
「なんじゃ、つまらぬ。天下人でも攻めてこないようでは、先祖代々の難攻不落の『仕掛け』が全く役に立たないではないか!
何が天下人だ。こんな小城一つ落とせぬ武将のくせに! 片腹痛いわ!」
栃餅(とちもち)にかぶりついて怒る氏理に、東常尭は、どぶろくを勧めてなだめた。
「まあまあ。これで義父さんが天下人より強いことがはっきりしたではありませんか。義父さんこそが真の天下人ですよ!」
E子も栃餅に手を伸ばしながら、父に尋ねた。
「ところで、帰雲城の『仕掛け』って、いったいなんなんですか?」
「ほう。おぬしは知らなかったか?」
「ええ。今まで何も教えてくれなかったじゃないですか」
氏理が明かした。
「何のことはない。山中がアリの巣のようになっているだけだ。内ヶ島氏は昔、信濃で山師をやっていた。鉱山開発をしていた(「裏金味」参照)。だから穴掘りが得意でな、帰雲山にアリの巣のような地下要塞を造り始めたのだ。いつしか地下にはたくさんの迷路ができ、部屋ができ、食糧や水や武器や武具だけではなく、近辺の金銀山から掘り出した財宝などもどんどんとそこに貯め込むようになった。抜け道もたくさん作った。どこからでも攻撃ができるように、逃げ出せるようにな。そして百数十年を経て、火攻め・水攻め・兵糧攻め、どんな攻撃にも耐えうる難攻不落の要塞に変貌(へんぼう)したのだ。飯富や塩屋や佐々や金森には、その一部を見せてやった。ヤツらは仰天していた。その上で砂金の詰まったお土産の箱を与えた。『財力が豊富だから、買収だってできるんですよ』そうやって暗黙の脅しをかけたわけだ。だからヤツらは尻尾を巻いて逃げ、二度とここにやって来なくなったというわけだ」
常尭はほめたたえた。
「さすがは義父さん!
あくどい!
えげつない!」
氏理はいい気になった。
「わしはあの信玄にも謙信にも信長にも秀吉にも負けなかった。こんなスゴい武将は、現在の日本だけではなく、過去にも存在せず、未来永劫(えいごう)現れないであろう。後世には、わしの名は燦然(さんぜん)と輝いているであろうな」
「よっ!
日本一!」
「まさしく神のようなお方!」
氏理はますますいい気になった。
「そうだ。わしは神仏よりもすごいのかもしれない。神仏とはなんだ? 結局何も物言わぬお人ではないか!
何の力もない、ただ空気のような無力のような存在ではないか! それに比べてわしを見よ!
この最強のわしを見よ! 神よ! 仏よ! 悔しかったら、わしを倒してみよ! 殺してみよっ!」
周囲はしんとなった。
雪がこっこと降っているため、ますます静かに思えるのであろう。
「静かねえ」
「神も仏も、義父さんには何も言い返せないのでしょう」
「帰雲城の名前の由来を知っているか? 『内ヶ島の威勢を恐れて、雲ですらすごすごと帰っていく城』という意味なのだ。神も仏も雲と同じだ!
内ヶ島の威勢の前には手も足も出せず、すごすご帰っていくしかないのだ! ぐぁははは!」
氏理は笑った。豪快に笑った。
徳利がカタカタ揺れるほど笑った。
いや、それは笑っているから揺れているわけではなかった。
ごごごごご!
何やら得たい知らない地響きが揺らしているのであった。
ガタガタ!
ガタガタ!
掛け軸が震え始めた。
柱が揺れ始めた。
徳利が倒れ、こぽこぽとどぶろくがこぼれた。
城全体が上下に左右に激しく揺れ、ボロボロと壁が崩れ落ち始めた。
「なんだ!?
なんだ!?」
「地震?」
「何、すぐ収まる」
ずずずずずずずず!
ガラガラガラガラ!
ガチャーン!
ガチャーン!
ばた! ごっちーん!
「ギャー!」
ぐしゃ!
「ぐぁあぁー!」
ぐちょ!
「いたいー!」
どどどどどどどどどどどどど!
ずごーん!
ぐおーん!
ぱおーん!
……。
……。
……。
しばらくして、地震は終わった。
同時に、氏理や常尭やE子らの人生も終結した。
帰雲山(三方崩山。標高2059m。現在は庄川対岸に同名の山がある)は真っ二つに割れ、帰雲城は土砂と雪崩に埋没、庄川がせき止められて洪水も発生し、内ヶ島一族や城下の人々約三百人、誰一人として生き残った者はいなかった。
天正十三年(1585)十一月二十九日亥の刻(午後十一時頃)のことであった。
この地震で、越中木船(きふね。富山県高岡市)城主・前田秀継(まえだひでつぐ。利家の弟)夫妻や、近江長浜(ながはま。滋賀県長浜市)城にいた山内与祢(やまうち・やまのうちよね。一豊の娘)らも圧死、近江長浜城・美濃大垣(おおがき。岐阜県大垣市)城・伊勢長島(ながしま。三重県桑名市)城・威徳寺(いとくじ。岐阜県下呂市)などが全壊、三河岡崎(おかざき。愛知県岡崎市)城などは大破している。
[2005年1月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ 震度7超またはM8超または死者100名超の地震を掲載しました。
※ 死者数は関連死を除きました。
【河内地震】允恭天皇五年(416)7/14
M?
日本の記録にある最初の地震。允恭天皇が葛城玉田宿祢を殺害。
【白鳳南海地震】天武天皇十三年(684)10/14
M8.4 津波(東海〜九州)。死者多数。東海・東南海・南海三連動地震?
【天平地震】天平六年(734)4/7
M7 山崩。全国で家屋倒壊・死者多数。
【関東地震】弘仁九年(818)7/?
M7.9 山崩。死者多数。洪水?
【伊豆地震】承和八年(841)?/?
M7 死者多数。丹那断層の活動?
【出羽地震】嘉祥三年(850)?/?
M7 山崩。死者多数。城柵損壊。
【越中・越後地震】貞観五年(863)6/17
M?
死者多数。越後で数個の小島壊滅。
【貞観地震(貞観津波)】貞観十一年(869)5.26
M8.3〜8.6 津波。多賀城損壊。死者約1000人。
【相模・武蔵地震】元慶二年(878)9/29
M7.4
関東諸国庁崩壊。往来不通。死者多数。
【仁和地震】仁和三年(887)7/30
M8.5〜9 津波(摂津)。京都で被害大。死者多数。東海・東南海・南海三連動地震?
【永長地震】永長元年(1096)11/24
M8.4〜8.5 津波(伊勢・駿河)。東大寺の鐘落下。死者10000超?東海・東南海地震。
【康和地震】康和元年(1099)1/24
M8〜8.5 津波(土佐)。京都で大被害。死者数万。南海地震。
【文治京都地震】文治元年(1185)7/9
M7.4
京都で被害大。死者多数。法勝寺阿弥陀堂等被害。
【鎌倉地震(鎌倉大地震)】永仁元年(1293)4/13
M7.1
火災(鎌倉)。建長寺など炎上。死者数千〜23000。
【紀伊・摂津地震】正平十五年(1360)10/4〜6
M8 津波。死者多数。
【康安地震(正平地震)】康安元年(1361)6/24
M8.5 津波(摂津・阿波・土佐)。死者多数。東海・東南海・南海三連動地震?
【相模地震】永享五年(1433)9/16
M6.7津波。利根川逆流。死者多数。
【山城・大和地震】宝徳元年(1449)4/12
M6.5
山崩。死者多数。淀大橋等落下。
【日向地震】明応七年(1498)6/11
M7.5
山崩。九州で被害大。死者多数。
【明応地震(明応津波)】明応七年(1498)8/25
M8.2〜8.4 津波(太平洋岸)。死者約20000〜数万。東海・東南海・南海三連動地震。
【越後地震】文亀元年(1502)12/10
M7 越後国府で被害大。死者多数。
【摂津・河内地震】永正七年(1510)8/8
M7 死者多数。諸寺被害。余震70日。
【天正地震(天正大地震)】天正十三年(1586)11/29
M8.1 山崩(飛騨・越中)。死者多数。家屋倒壊多数。帰雲城埋没。内ヶ島氏滅亡。前田秀継ら圧死。
【慶長豊後地震】慶長元年(1596)閏7/12
M7 山崩・津波(豊後)。瓜生島陥没? 死者708。
【慶長伏見地震】慶長元年(1596)閏7/13
M7 伏見城天守閣倒壊。死者1200。『地震加藤』で有名。
【慶長地震(慶長大地震)】慶長九年(1604)12/16
M7.9〜8津波(太平洋岸)。死者数千〜20000。東海・東南海・南海三連動地震。
【会津地震】慶長十六年(1611)8/21
M6.9
山崩(会津)。多くの湖沼出現。死者約3700。
【慶長三陸地震(慶長三陸地震津波)】慶長十六年(1611)10/28
M8.1〜8.5 津波(三陸〜北海道)。死者約5000。
【元和江戸地震】元和元年(1615)6/1
M6
家屋倒壊・死者多数。
【松代地震】寛永四年(1627)9/14
M6
家屋倒壊80。死者多数。
【相模・駿河・伊豆地震】寛永十年(1633)1/21
M7.1
山崩。津波(駿河熱海)。死者110。
【大聖寺地震】寛永十七年(1640)10/10
M6
家屋倒壊・死者多数。
【武蔵・下野地震】慶安二年(1649)6/21
M7.1
川越で被害大。死者多数。
【近江・山城地震】寛文二年(1662)5/1
M7.8
家屋倒壊約5000。死者数千。
【日向・大隅地震】寛文二年(1662)9/20
M7
山崩。津波。家屋倒壊約3300。死者多数。
【高田地震】寛文五年(1665)12/27
M6.4
火災(高田)。城下で家屋倒壊約700。死者約1400〜1500。
【延宝房総沖地震】延宝五年(1677)10/9
M7.4〜8.5 津波(磐城〜房総)。死者500〜600。
【遠江・三河地震】貞享二年(1685)3/?
M6〜7 山崩(三河)。家屋倒壊・死者多数。
【能代地震】元禄七年(1694)5/27
M7 山崩(陸奥)。家屋倒壊1273。死者394。
【元禄地震(元禄大地震)】元禄十六年(1703)11/22
M8.1〜8.5 津波(南関東)。火災(小田原)。死者5200超。家屋倒壊20162。
【宝永地震(宝永大地震)】宝永四年(1707)10/4
M8.4〜9.3 津波(紀伊〜九州)。死者20000超。家屋倒壊60000〜80000。道後温泉一時枯渇。富士山の宝永大噴火と関連。東海・東南海・南海三連動地震。
【因伯美地震】宝永七年(1710)閏8/11
M6.6
山崩。大山六坊倒壊。死者多数。
【糸魚川地震】正徳四年(1714)3/15
M6.4
山崩。死者約100。姫川満水。
【寛保地震津波】寛保元年(1731)7/19
M8.4〜6.9 津波(佐渡・能登・若狭)。死者約2033。
【越後・越中地震】宝暦元年(1751)4/25
M6.6
火災(高田)。山崩(越後)。死者約1100。家屋倒壊約5700。
【津軽地震】明和三年(1766)1/28
M6.9
弘前城損壊。死者約1500。家屋倒壊約7000。
【八重山地震津波(明和の大津波)】明和八年(1771)3/10
M7.4 津波(八重山で世界最高85m)。死者約12000(石垣島で死亡率32%)。家屋倒壊2176。
【島原地震(島原大変肥後迷惑)】寛政四年(1792)4/1
M6.4
山崩(雲仙岳眉山)・津波(有明海沿岸)。死者約15000。家屋倒壊約6000。
【寛政地震】寛政五年(1793)4/1
M8.4〜8 津波。死者約100。家屋倒壊多数。
【金沢地震】寛政十一年(1799)5/26
M6.41 死者640超。家屋損壊6000。
【象潟地震】文化元年(1804)6/4
M7.1 津波(出羽)。象潟湖隆起。死者約550。家屋倒壊5000超。
【武蔵・相模地震】文化九年(1812)11/4
M6
家屋倒壊・死者多数。
【伊勢・美濃・近江地震】文政二年(1819)6/12
M7
家屋倒壊・死者多数。
【越後三条地震】文政十一年(1828)11/12
M6.9 死者1443〜1681。家屋損壊9808。
【京都地震】天保元年(1830)7/2
M6.4
御所・二条城損壊。死者約280。負傷者約1300。余震635回。
【出羽・越後・佐渡地震】天保四年(1833)10/26
M7.4
津波(出羽・越後・佐渡・能登)。死者129。家屋倒壊約1000。
【仙台地震】天保六年(1835)6/25
M7 津波?
仙台城損壊。死者多数。
【根室沖地震】天保十四年(1843)3/26
M8.4
津波(厚岸)。死者46。家屋倒壊75。
【善光寺地震(弘化大地震)】弘化元年(1847)3/24
M7.4 山崩(信濃・越後)。洪水。善光寺詣客壊滅。犀川堰止め数十か村水没。死者13000超。家屋倒壊約31500。
【小田原地震】嘉永六年(1853)2/2
M6.5 山崩(相模)。死者24〜100。家屋倒壊約1000。
【伊賀上野地震】安政元年(1854)6/15
M7.6
上野で被害大。死者約1800。家屋倒壊約4300。
【安政東海・東南海地震】安政元年(1854)11/4
M8.4
津波(房総〜土佐)。駿河・甲府で被害大。死者2000〜3000。
【安政南海地震】安政元年(1854)11/5
M8.4
津波(紀伊〜伊予)。大坂・紀伊で被害大。死者約3000。家屋倒壊約50000。
【安政江戸地震(安政大地震)】安政二年(1855)10/2
M7.1〜6.9 火災(江戸)。死者4700〜11000。家屋倒壊約16000。藤田東湖ら圧死。
【安政八戸沖地震】安政二年(1855)10/2
M8.3〜7.5 津波(八戸)。死者29。
【飛越地震】安政五年(1858)2/26
M7.6〜6.8 山崩(飛騨・越中)。洪水(飛騨)。死者343。家屋倒壊約2000。
【浜田地震】明治五年(1872)2/6
M7.1
死者約800。家屋崩壊約5800。
【濃尾地震(濃尾大震災)】明治二十四年(1891)10/28
M8 山崩。岐阜・愛知で被害大。死者7273。負傷者17175。家屋倒壊約142000。日本最大級の内陸地震。根尾谷断層発生。震災予防調査会設置の契機。
【庄内地震】明治二十七年(1894)10/22
M7 火災(庄内)。死者726。家屋倒壊6006。全滅の村あり。
【明治三陸地震(明治三陸地震津波・三陸大津波)】明治二十九年(1896)6/15
M8.6〜8.2 津波(三陸沿岸。最大30m)。死者22000〜27000。家屋倒壊11723。船舶被害6930。
【陸羽地震】明治二十九年(1896)8/31
M7.2 山崩(大曲)。死者209。家屋倒壊5792。川舟・千屋断層発生。
【喜界島地震】明治四十四年(1911)6/15
M8.1〜8 死者7。家屋倒壊422。石垣破壊4000。
【大正関東地震(関東大震災)】大正十二年(1923)9/1
M7.9〜7.1 最大震度6。火災(東京・横浜)・津波(相模湾・房総)・山崩。死者約142000〜105000。家屋倒壊575394。朝鮮人虐殺事件・甘粕事件・亀戸事件など発生。日本史上最悪の災害。震災日9/1は防災の日になる。
【北但馬地震】大正十四年(1925)5/23
M6.8 最大震度6。火災(豊岡・城崎)。死者465。家屋倒壊4061。
【北丹後地震】昭和二年(1927)3/7
M7.5〜7.1 最大震度6。火災。死者2925。家屋倒壊約12584。郷村断層発生。
【北伊豆地震】昭和五年(1930)11/26
M7.3〜7 最大震度6。山崩。死者272。家屋倒壊2165。丹那断層発生。
【昭和三陸地震(昭和三陸津波)】昭和八年(1933)3/3
M8.4〜8.1 最大震度5。津波(三陸)。死者3064。家屋倒壊5851。船舶被害8078。
【鳥取地震】昭和十八年(1943)9/10
M7.4〜7 最大震度6。死者1083。家屋倒壊7485。鹿野・吉岡断層発生。
【昭和東南海地震】昭和十九年(1944)12/7
M8.2〜7.9 最大震度7。津波(伊豆〜紀伊)。名古屋被害大。死者1223。家屋倒壊約21000。
【三河地震】昭和二十年(1945)1/13
M7.1〜6.6 最大震度5。津波。死者2306。家屋倒壊7221。深溝断層発生。
【昭和南海地震】昭和二十一年(1946)12/21
M8.4〜8 最大震度5。津波(房総〜九州)。死者1330。家屋倒壊15640。
【福井地震】昭和二十三年(1948)6/28
M7.3〜7 最大震度6。火災(福井)。死者3769。家屋倒壊40035。震度7新設の契機の地震。
【十勝沖地震】昭和二十七年(1952)3/4
M8.1
津波(北海道〜東北)。死者33。家屋倒壊906。
【チリ地震津波(昭和三陸津波)】昭和三十五年(1960)5/23
M8.5
津波(全国)。死者142。家屋倒壊2830。船舶被害約3600。
【根室半島沖地震】昭和四十八年(1973)6/17
M8.1〜7.4 津波。最大震度5。死者0。
【日本海中部地震】昭和五十八年(1983)5/26
M8.1〜7.7 津波(北海道〜能登)。死者104。家屋倒壊986。
【北海道南西沖地震】平成五年(1993)7/12
M8.1〜7.7 津波(奥尻島。最大10m)。死者230。家屋倒壊多数。
【北海道東方沖地震】平成六年(1994)10/14
M8.3〜8.1 最大震度6。北方領土で死者11。家屋倒壊多数。
【兵庫県南部地震(阪神大震災・阪神淡路大震災)】平成七年(1995)1/17
M7.3 最大震度7(観測史上初)。火災(兵庫)。死者6433。家屋倒壊110000超。
【十勝沖地震(十勝沖地震津波)】平成十五年(2003)9/26
M8.3〜8 最大震度6。津波(北海道)。死者2。
【中越地震】平成十六年(2004)10/23
M6.8〜6.7 最大震度7。山崩・洪水(新潟)。死者68。家屋倒壊多数。余震多数。
【東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)】平成二十三年(2011)3/11
M9〜8.4 最大震度7。津波(東北〜関東)・山崩。死者行方不明者19000。家屋倒壊多数。余震多数。日本史上最大級の大津波。福島第一原発事故を誘発。
【小笠原諸島西方沖地震】平成二十三年(2011)3/11
M8.1〜7.8 最大震度5強。死者0。
【平成28年熊本地震】平成二十八年(2016)4/14・16
M7.3 最大震度7。山崩。死者50。家屋倒壊多数。余震多数。日本史上初震度7を二度記録。
【平成30年北海道胆振東部地震】平成三十年(2018)9/6
M6.7 最大震度7(厚真町)。山崩。死者多数。家屋倒壊多数。余震多数。北海道初の震度7。
※ 帰雲城跡には、今のお金に換算して五千億円〜二兆円もの財宝が埋まっていると伝えられています。