1.道鏡の躍進 | ||||||||||||||
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鑑真は唐僧にして闘僧である。
彼が五度の失敗にもめげず根性で来日し、真の仏教を広めるために唐招提寺を創建した時期は、奈良時代最強の権力者・藤原仲麻呂の全盛期であった。
当時、仲麻呂は正一位・大師(たいし。太師。太政大臣)を極め、自ら擁立した淳仁天皇(じゅんにんてんのう)から恵美押勝の名を賜り、息子や親族たちを次々と要職に抜擢(ばってき)、貨幣の鋳造権も独占し、この世の春をこれでもかと謳歌(おうか)していた。
仲麻呂の娘たちも同様であった。
「末は皇后や国母になられる方々だ」
と、蝶(ちょう)よ花よともてはやされ、華美で優雅な生活を満喫していたのである。
中に際立つ美少女がいた。
名は伝わっていないので仮にHとしておくが、額(ひたい)か東子(あずまこ・ひがしこ)、どちらかのことであろう。
ある日、美少女Hが鑑真を呼んで頼んだ。
「私の将来を占ってみて」
鑑真は失明していたが、予知能力を持ち備えていたという。
鑑真が占って言った。
「あなたは将来、千人の男を知るであろう」
美少女Hは吹き出した。笑ってしまった。
「アハハ!
いくら私がキレイだからって、そんなにもてないよ!」
美少女Hは本気にしなかったが、彼の予言はやがて的中してしまうのである。
天平宝字八年(764)九月、仲麻呂は孝謙上皇(後の称徳天皇)に反逆、追討軍にあっさりと敗れ、近江の高島(たかしま。滋賀県高島市)にて殺害された(「日朝味」 参照)。
その折、仲麻呂一族は藤原刷雄(よしお。薩雄。仲麻呂の六男とも)ただ一人を残して皆殺しにされ(「怨霊味」参照)、美少女Hは官軍千人に輪姦(りんかん)されて絶命したと伝えられている。
美少女Hは、孝謙上皇ともよく顔を合わせていたことであろう。仲も良かったかもしれない。
孝謙上皇は彼女の最期を聞き、恐怖に震えた。
「もし、朕(わたし)が負けていたら、彼女の運命は朕の運命だったのよ」
おびえる孝謙上皇を支えたのが、怪僧・道鏡であった。
道鏡は言い切った。
「女帝は負けませぬ! 私が誰にも指一本触れさせませぬ! たとえ日本中のすべてが敵に回ったとしても、この私が思い付く限りの手段を尽くし、全身全霊をもって女帝だけは守り通してみせましょう!」
孝謙上皇はうれしかった。彼にすがりついた。
「あなただけが頼りだわ」
同年、孝謙上皇は称徳天皇として再び即位、道鏡を大臣禅師(だいじんぜんじ)に任じ、翌年には太政大臣禅師(だじょうだいじんぜんじ)に、翌々年には法王にと、前代未聞の昇進をさせた。
役人たちはざわめいた。
「法王ってなんじゃ?」
「なんでも、かの聖徳太子以来のすごい偉いお役職だそうな」
「太政大臣よりも偉いってことは、摂政ということか?」
「天皇に準じる御身分だそうな」
「なんてことだ! もともと道鏡は身分の低い庶民ではないか! そんなヤツがどうして天皇に準じる御身分になることができるのだ!」
「シッ! 声がでかい! 今は『そんなヤツ』ではない。『偉い偉い御方』なのだ」