88.変化味 基礎用語集 | ||||||||||||||
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●アメリカ≧アメリカ合衆国(United States of America)=米国(べいこく)
北アメリカ大陸にある国。1492コロンブスが漂着し、十六世紀初めにスペインが、1607年からイギリスが入植、1776イギリスから独立宣言し、1783パリ条約で独立を承認、徐々に西へ領土を広げ、十九世紀半ばに太平洋側に到達、二度の世界大戦と冷戦を経て、世界一の工業国・農業国・軍事大国に成長した。首都はワシントン。
●上杉景勝(うえすぎかげかつ)
(1555-1623) 武将。大名。大老。謙信(けんしん)の養子。1578-1579御館(おたて)の乱で義兄・上杉景虎(かげとら)を破って家督となるが、1584豊臣秀吉に服属、陸奥会津(あいづ)百二十万石を領し、豊臣政権の五大老に列するが、1600関ヶ原の戦で徳川家康に歯向かったため、戦後出羽米沢(よねざわ)三十万石へ飛ばされた。
●宇喜多秀家(うきたひでいえ)
(1572-1655) 武将。大名。大老。直家の子。 豊臣秀吉の養子となり、1581備前岡山を領有、1585四国・1587九州・1590小田原攻めに従い、1592-1596文禄・1697-1598慶長の役で活躍、五大老に列したが、1600関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦い、敗れて八丈島(はちじょうじま)に島流しにされた。
●大坂の役(おおさかのえき)=大坂冬の陣(ふゆのじん)+大坂夏の陣
(冬の陣) 1600関ヶ原の戦に勝って天下を取った徳川家康(とくがわいえやす)は、豊臣家滅亡を謀り、1614方広寺(ほうこうじ)の鐘銘(しょうめい)にいちゃもんをつけて豊臣家を挑発、多数の牢人(ろうにん)を雇ったことを口実に二十万の大軍で大坂城を攻囲するが、真田幸村(さなだゆきむら。信繁)らの奮戦で攻めきれず、講和した。
(夏の陣) 家康は大坂城の外堀だけを埋めるという講和条件を無視し、内堀まで埋めて豊臣家を挑発、重ねて無理難題を突きつけ、受け入れられないと知るや諸大名に出陣命令、十五万の大軍で再び大坂城に攻め寄せた。豊臣方も奮戦するがかなわず、真田幸村(さなだゆきむら。信繁)らは戦死、大坂城は炎上し、淀殿(よどぎみ)・豊臣秀頼(ひでより)母子は自害、豊臣家は滅亡した。
●関白(かんぱく)
天皇が国政を執り行うのを補佐する者。初めての関白は光孝朝の藤原基経(ふじわらのもとつね)。
●楠木正成(くすのきまさしげ)
(1294?-1336) 武将。1333元弘(げんこう)の乱で後醍醐(ごだいご)天皇につき、河内赤坂(あかさか)城・千早(ちはや)城に籠城(ろうじょう)、鎌倉幕府軍を撃退し、建武(けんむ)の新政(中興)に参与、摂津・河内・和泉守護・河内国司に任じられ、1336謀反を起こした足利尊氏(あしかがたかうじ)を敗走させるが、再挙した尊氏に湊川(みなとがわ)の戦で敗死した。
●古今伝授(こきんでんじゅ)
『古今和歌集』の解釈の秘伝を弟子に伝授すること。美濃郡上(みのぐじょう)領主・東常縁(とうのつねより)が正風連歌(しょうふうれんが)の祖・宗祗(そうぎ)に伝えたのが特に有名。三箇大事・三鳥大事・三才大事などの秘事がある。
●五大老(ごたいろう)
豊臣政権の職名。政務機関・五奉行(ごぶぎょう)の顧問。徳川家康・前田利家(まえだとしいえ)・毛利輝元(もうりてるもと)・宇喜多秀家(うきたひでいえ)・小早川隆景(こばやかわたかかげ)の五人の大老のこと。1597隆景死後は上杉景勝(うえすぎかげかつ)が加えられた。
●消費税(しょうひぜい)
物品・サービスの消費に課される税。中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣が売上税導入に失敗した後、1989竹下登(たけしたのぼる)内閣が税率を三パーセントとして創設、1997税率五パーセントに上げられた。
●千利休(せんのりきゅう)=千宗易(せんのそうえき)
(1522-1591) 茶人・豪商。茶道(千家流)の祖。武野紹鴎(たけのじょうおう)にわび茶を学び、茶道を大成、織田信長・豊臣秀吉に仕え、多くの貴族や武将たちを弟子とし、政界にも大きな発言力を持つにいたるが、1591秀吉の不興を買って切腹させられた。
●大名(だいみょう)
所領を多く持つ有力な武士のこと。もとは名田(みょうでん)を多く者の意味で、室町時代に守護大名が、戦国時代に戦国大名が登場、江戸時代では将軍に直属した一万石以上の武家のことをいった。
●太政大臣(だじょうだいじん・だいじょうだいじん)
律令制における最高責任者。太政官の最高官。常置ではなく、適任者がいなければ欠員。671大友(おおとも)皇子が任じられたのが最初。臣下初の太政大臣は857藤原良房(ふじわらのよしふさ)。
●天守閣(てんしゅかく)=天守=天主閣
城郭の中心となる高層建築物。現存最古の天守閣は犬山城のもの。以下、戦国〜江戸時代に建てられた城のうち、以下の十二の天守閣が現存する。
城名(別名) |
所在地 |
築城年 |
築城者 |
規模 |
犬山城(白帝城) |
愛知県犬山市 |
1537 |
織田信康 |
三層四階 |
丸岡城(霞ヶ城) |
福井県坂井市 |
1576 |
柴田勝豊 |
二層三階 |
松本城(深志城) |
長野県松本市 |
1596 |
石川康長 |
五層六階 |
彦根城(金亀城) |
滋賀県彦根市 |
1604 |
井伊直継 |
三層三階 |
宇和島城(板島城) |
愛媛県宇和島市 |
1604 |
藤堂高虎 |
三層三階 |
姫路城(白鷺城) |
兵庫県姫路市 |
1609 |
池田輝政 |
五層七階 |
松江城(千鳥城) |
島根県松江市 |
1611 |
堀尾吉晴 |
五層六階 |
丸亀城(亀山城) |
香川県丸亀市 |
1641 |
山崎家治 |
三層三階 |
高梁城(松山城) |
岡山県高梁市 |
1683 |
水谷勝宗 |
二層二階 |
高知城(大高坂城) |
高知県高知市 |
1747 |
山内豊敷 |
三層六階 |
弘前城(高岡城) |
青森県弘前市 |
1810 |
津軽寧親 |
三層三階 |
松山城(勝山城) |
愛媛県松山市 |
1852 |
松平勝善 |
三層四階 |
※ 丸亀・高梁・高知・弘前・松山は江戸時代途中に再建。 ※ 宇和島は伊達宗利の時代に細部を改修。 |
●徳川家康(とくがわいえやす)←松平元康(まつだいらもとやす)←松平元信(もとのぶ)
(1542-1616) 武将。江戸幕府初代将軍(在職1603-1605)・大御所。三河岡崎(みかわおかざき)城主・松平広忠(まつだいらひろただ)の子。1560桶狭間(おけはざま)の戦後に岡崎城主となり、織田信長と同盟を締結、今川氏を滅ぼして遠江浜松(とおとうみはままつ)城主となるが1572三方原(みかたがはら)の戦で武田信玄(たけだしんげん)に惨敗、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(かつより)を撃退し、1582本能寺(ほんのうじ)の変後、1584小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦後に豊臣秀吉と講和、1590小田原(おだわら)攻めに従って武蔵江戸(えど)城主となり、関東を統治、五大老に列し、秀吉の死後の1600関ヶ原の戦で石田三成らを撃破、1603征夷大将軍となって江戸幕府を開き、1605将軍職を秀忠(ひでたた)に譲渡、駿河府中(するがふちゅう)に退くが、大御所として実権を掌握、1614〜1615大坂の役で豊臣秀頼(ひでより)を滅ぼし、1615武家諸法度(ぶけしょはっと)・禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)・一国一城令(いっこくいちじょうれい)などを定めた。
●徳川秀忠(とくがわひでただ)
(1579-1632) 江戸幕府二代将軍(在職1605-1623)。家康の子。父より将軍職を譲られ、1614-1615大坂の役で豊臣秀頼(とよとみひでより)を滅ぼして元和偃武(げんなえんぶ)を実現、武家諸法度・禁中並公家諸法度などを制定、1623子の家光に将軍職を譲ってからも大御所として実権を握り続けた。
●豊臣秀吉(とよとみひでよし)←羽柴(はしば)秀吉←木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)
(1537-1598) 武将。関白・太政大臣。織田信長に仕えて出世し、1573近江長浜(おうみながはま)城主となり、1577中国攻めを開始、1582備中高松(びっちゅうたかまつ)城攻撃中に信長横死の知らせを受け、山崎(やまざき)の戦で明智光秀(あけちみつひで)を、1583賤ヶ岳(しずがたけ)の戦で柴田勝家(しばたかついえ)を滅ぼし、石山本願寺(いしやまほんがんじ)跡に大坂(おおさか)城を築城、1584小牧・長久手の戦を経て徳川家康と講和、1585関白となって紀伊の根来(ねごろ)・雑賀(さいが)一揆を、四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を降し、1586太政大臣に就任、1587九州の島津義久を、1590東北の伊達政宗(だてまさむね)・最上義光(もがみよしあき)らを、関東の北条氏政(ほうじょううじまさ)・氏直(うじなお)を降して天下を統一、太閤検地(たいこうけんち)や刀狩(かたながり)を行い、バテレン追放令や身分統制令などを発令、聚楽第(じゅらくだい)や伏見城を築いたが、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は失敗した。
●日本(にほん・にっぽん・やまと)
東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。
●能(のう)=能楽(のうがく)
奈良時代に伝わった散楽(さんがく)や、平安時代に起こった猿楽(さるがく)、鎌倉・南北朝時代の発展した田楽(でんがく)などの流れをくむ芸能。室町時代に観阿弥清次(かんあみきよつぐ)・世阿弥元清(ぜあみもときよ)父子が庶民的な舞台芸能に改良した。
●前田利家(まえだとしいえ)
(1538-1599) 武将。五大老の一。織田信長に仕え、柴田勝家(しばたかついえ)の名代として能登七尾(ななお)城主となり、1583賤ヶ岳(しずがたけ)の戦で豊臣秀吉に属して加賀金沢(かなざわ)城主となり、秀吉死後は遺児秀頼の後見役を務めた。