2.病臥!嵯峨天皇!!

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自衛隊が暴走することはないのか?
1.発病!平城天皇!!
2.病臥!嵯峨天皇!!
3.策動!藤原仲成!!
4.言訳!藤原内麻呂!!

「もうだめ。こんなに苦しいんじゃ、帝なんてやってられないよー!」
 大同四年(809)四月一日、病気が良くならない平城天皇は弟の皇太子神野親王に譲位した。
天皇?なんかやる気ないなあ」
 三筆の一人にも列している芸術家肌のため、初めは渋っていた神野親王も、十三日に大極殿
(だいごくでん。天皇政務所)で即位した。伝五十二代・嵯峨天皇である。
 十四日、嵯峨天皇平城上皇の皇子・高岳親王
(たかおかしんのう。「不戦味」参照)皇太子に立てた。
 皇后はまだ定めなかった。
 前述したように嵯峨天皇は藤原緒夏よりも橘嘉智子を愛していたため、藤原内麻呂に遠慮して見送ったのである。

三筆
嵯峨天皇(さがてんのう)
空海(くうかい)
橘逸勢(たちばなのはやなり)

 藤原仲成平城天皇の譲位に当初は反対していた。
 が、「気になること」があったため、しぶしぶ容認したのである。
(いったん退くだけだぞ)
 その後、平城上皇は病魔を振り切るように平安京内で五度引っ越したが治まらなかった。
「こんなに努力しているのに、どうして治らないんだよー!」
 そんなとき、平城上皇の妃の一人・朝原内親王
(あさはらないしんのう)がこんなことを言い出した。
「お祖母様のたたりじゃ〜」
 朝原内親王の祖母は光仁天皇皇后・井上内親王
(いのうえないしんのう)であり、母は桓武天皇妃・酒人内親王(さかひとないしんのう)である。
 ちなみに平城上皇には皇后や夫人はいない。
 愛する藤原薬子に遠慮して定めていないのである
(ただし、すでに没している藤原帯子には、没後に皇后位を贈っている)
 仲成が提案した。
「鎮魂のため旧都平城京へ行かれてはいかがですか?」
「うん。そうだね。考えられることは何でもやってみよー」

 平城上皇平城京に行幸し、故右大臣・大中臣清麻呂(おおなかとみのきよまろ)旧邸に住んでみたところ、なぜか病気はケロッと治ってしまった。
「ありゃ。なんだこれは。ここにいると調子いいぞ」
「それはもう、平城京は古くからの大寺社に守られていますから、その霊力は平安京より強力です」
「なーるほど」
 平城上皇はしばらく平城京に居ることにし、仲成を造宮使に命じて宮殿を修築させた。

 人々はうわさした。
「先の帝が平城京に行幸したまま戻らないそうだ」
平安京に新帝。平城京に先帝。何か二所朝廷のようじゃな」
「『壬申の乱』でも起こるんじゃなかろうか?」

 実はこれが仲成巻き返しの策略だったのである。
(大和を本拠にすれば、大和の古豪や大寺社など反藤原勢力を結集することができる。平安京で劣勢のおれが内麻呂に対抗するにはそれしかあるまい)
 かつて仲成の父・藤原種継はこれらを目の敵にしていたが、そんなことにはこだわっていられなかった。昨日の敵と手を結んででも「気になること」を振り払い、かつ、内麻呂を倒したかったのである。

 大同五年(810)春、今度は嵯峨天皇が病気になった。
「おかしい。朕
(ちん)は兄と違って健康のはずなのだが……」
 人々はまたうわさした。
「たたりじゃ〜。廃后や廃太子のたたりは帝位に就く者もれなくたたるのじゃ〜」
平城京仲成薬子兄妹が先帝をそそのかし、重祚
(ちょうそ。復位)をたくらんでいるそうな」
「ワルの仲成ならやりかねん」
「実は先の伊予親王の変は仲成の謀略だったというぞ」
「それも仲成ならやりかねん」
「まさか、薬子を使って新帝に毒を盛ったのではあるまいか?」
「それすらも仲成ならやりかねん」
「元斎宮
(さいぐう。伊勢斎王)のお妃様(朝原内親王)に頼んで帝を呪い殺そうとされているのでは?」
「どれもこれも仲成ならやりかねん」
「怖いよー!」
「先帝は新帝が新設した蔵人所が気に入らないらしい」
 ちなみに初代蔵人頭
(蔵人所長官。「 詐欺味」参照)は、藤原冬嗣と巨勢野足(こせののたり)である。
「新帝と先帝との間に戦が起こるのだろうか?藤原仲麻呂の乱のような……」
「物騒な世の中になってきたな」

 仲成平城上皇の側近であると同時に、嵯峨朝廷の参議でもあった(観察使はこの年六月に参議に戻された)。よって、平城京平安京の間を行き来するわけだが、その間の山城の山本(やまもと。京都府京田辺市)に藤原緒嗣の別邸があった。
「緒嗣殿。いるかな?」
「いますよ」
「おれのうわさは聞いているか?」
「ええ、まあ。いろいろ悪いうわさばかりを」
「フッ!うわさほど信じられないものはない」
「そうは言っても、知らない人にはうわさがすべてですからね」
 仲成は開き直った。
「うわさがどうであれ、おれがワルだということは否定しがたい事実だ。そうだ。おれが悪で、内麻呂が善なのだ。――あ、あなたもおれが出入りすると迷惑だろうな?」
「迷惑ですよ〜。私一人ならともかく私には家族がいますから〜」
「悪い。すぐ消える」
 立ち上がろうとした仲成に、緒嗣が聞いた。
「何か意見を求めに来たのではありませんか?先の政変のときのように」
 仲成は座りなおした。彼が周りを見回すと、緒嗣が言った。
「誰もいませんて。家族や手下や手の者たちは平安京の本邸にいますから」
 仲成はそれでも小声で言った。
「気になることがあるのだ」
「何ですか?」
「先帝も新帝も即位したとたん病気になった」
「不思議ですね」
「先帝も新帝もたたりのせいだと思っているようだが、おれはそういうものを信じない」
「式家の連中は、みんな信じたくないでしょうね」
「実は最近の人事に非常に気になるものがあるのだ」
「ほう」
「先帝が発病した大同四年から、氷上川継
(ひかみのかわつぐ)が典薬頭(てんやくのかみ。宮内省典薬寮長官。朝廷医療担当)に、文室正嗣(ふんやのまさつぐ)が陰陽頭(おんみょうのかみ。中務省陰陽寮長官。天文・暦数・時刻担当)になっている」
「なるほど。氷上氏も文室氏も天武天皇の子孫。自分たちから皇位継承権を奪い取った天智天皇系の現在の天皇家に対して何か良からぬことを企んでいたとしてもおかしくはありませんね」
 ちなみに氷上氏は新田部親王
(にいたべしんのう)の、文室氏は長皇子(ながのみこ・ながおうじ。長親王・那我親王)の子孫である(「亀虎味」「天皇家系図」「氷上氏系図」「文室氏系図」参照)
「昔、高野女帝
(称徳天皇)が崩御した後、吉備真備が文室氏の祖である智努王(ちぬおう。文氏智努・浄三)と大市王(おおいちおう。文室大市)を時期天皇に推したことがありましたが、私の父(藤原百川)が女帝の御遺言を偽造してまでこれを阻止したことがありました(「ヤミ味」参照)
 仲成が付け足した。
「特に川継はかつて皇位を狙い、柏原帝に対して反乱未遂事件まで起こしている前科者だ

 天応二年(782)閏正月、氷上川継は桓武天皇暗殺を企てたとして伊豆へ流刑に処せられた。この事件でその生母・不破内親王
(ふわないしんのう。聖武天皇皇女)淡路へ流され、岳父(妻の父)・藤原浜成(はまなり)参議ほかを解任され、藤原京家は没落した(「京家系図」参照)。その後、川継は桓武天皇の病気と崩御の恩赦によって帰京し、復位していた(「菅降味」参照)
「よりによってそのような危険分子を典薬頭や陰陽頭に任じるものであろうか?」
「そうですね。典薬頭は帝の毒殺も自由自在、陰陽頭は帝の呪殺も自由自在――」
 仲成は青くなった。
「誰だ?いったい誰が二人を先帝に推挙したのだ?」
 尋ねる仲成に、緒嗣が下からのぞきこんで返した。
「私より、貴殿のほうが知っているのではありませんか?」
「……」
「かつて貴殿はその男に命じられて藤原宗成をそそのかし、藤原南家を没落させ、伊予親王を失脚させました。あのとき貴殿は『南家と北家、双方を共倒れにする究極の策略』だと説明しましたが、初めから南家だけが狙いだったんです。もちろん、北家も倒したかったのは本音でしょうが、それにはまず、それと組んででも目先の南家を始末したかった」
 仲成はクックと笑った。
「なぜそう思う?」
「確信したのは、貴殿が右大臣と言い争っているのを見たときからです。そうです。宗成をそそのかした貴殿は、貴殿自身も宗成だったのです!つまり貴殿は、右大臣の走狗だったのです!」
「……」
「変の直後から私は疑ってました。どうして宗成が近衛舎人
(このえのとねり)に逮捕され、左近衛府(さこのえふ。天皇親衛隊)に連行されたのかを。当時左衛士督(さえじのかみ。左衛士府長官)であった貴殿が変の黒幕であれば、当然、貴殿の部下である衛士が宗成を逮捕し、貴殿の庭である左衛士府に連行したはずです。さらに、その後の左近衛府から左衛士府への護送も円滑に行われました。これはどういうことでしょうか?」
「……」
「考えられることは一つだけです。実は貴殿は左近衛府と示し合わせていた。当時も今も左近衛府
の長である左近衛大将(さこのえたいしょう。左近衛府長官=天皇親衛隊長)右大臣内麻呂の兼官です。そうです。貴殿と内麻呂はグルだったのです!」
 仲成は感服した。
「見事な推理だ。が、南家亡き今、内麻呂は味方ではない。ヤツは天皇家に仇
(あだ)なす最悪最大の敵だ」
「貴殿の考えていることはわかっています。内麻呂の裏の姿を知っている貴殿は、先帝と新帝の病気も内麻呂の仕業だと考えているのでしょう?氷上・文室両名を帝に推挙したのも内麻呂だと考えているのでしょう。おおいにあり得ることではないでしょうか?」
「やはり、あなたもそう思うか……」
 怒りに震えて立ち上がった仲成の肩を、すかさず緒嗣が押さえつけて聞いた。
「どこへ?」
「決まっている!新帝に内麻呂の悪計を報告するのだっ!」
「いけません!証拠がありません!それに、新帝のそばには誰がいます? 新帝の第一の側近として蔵人頭になったのは誰ですか?」
 仲成はハッとした。
「内麻呂の次男冬嗣……」
「そうです。貴殿はつまり、内麻呂の息子にそれを伝えることになるのですよっ」
「クソッ!ならば――」
 行き先を変えようとした仲成を、また緒嗣が捕まえた。
「今度はどこへ?」
「新帝がだめなら、先帝に報告するのだ!」
「先帝の第一の側近は誰です?皇太子時代から常にそばにはべっている男は誰です?」
 仲成は思い出し、ひざを屈した。
「内麻呂の長男真夏
(まなつ)……」
「そうです。内麻呂の布石はすでに双方に打たれているのです。それに、たとえ貴殿の直接の報告がかなったとしても、先帝も新帝も決して貴殿の言うことを信じることはありません。いえ、両帝だけではありません。公卿百官誰一人として信じる者はいないでしょう。なぜなら貴殿はどうしようもない悪人で、一方の内麻呂は善の権化なのですから」
「うう……」
「それでも貴殿が内麻呂を伊予親王の変の黒幕だったと言い張ったとすれば、内麻呂は逆襲に転じることでしょう。『実は仲成こそが黒幕だったのだ』と。その証拠もこれでもかと並べて訴え出ることでしょう。そうなっては、おしまいです。四面楚歌
(しめんそか)の貴殿に勝ち目はありません。――そうです。すべての人が貴殿の敵に回り、すべての悪が貴殿に集まってしまうのです!」
「いやだー!」
 仲成はわめいた。
「――だからといって何もしないわけにはいかない!新帝と先帝が殺されかかっているんだぞ!式家の血を引いた両帝が内麻呂に殺されかかっているのだぞ!あなたも式家の一員であろう!このまま放っておけるはずがあるまい!」
「大丈夫です。内麻呂も帝を殺すつもりであれば、とうに殺しているはずです。内麻呂の目的は帝を殺すことではありません。帝を病気にしてフヌケにさせ、息子に操縦させて実権を握ることなのでしょう」
「すでに目的は成就したということか……」
「いいえ。そうするためにはまだ邪魔者がいます」
「邪魔者?」
「はい。藤原四家のうち、氷上川継の変で京家が、伊予親王の変で南家が政治生命を絶たれました」
「つまり、北家の邪魔者とはあと一家、我々式家ということだな?」
「そのとおりです」
「どうすればいい?」
「どうしようもありません」
 仲成は怒った。
「あなたは自分の家がつぶれてもいいのか!」
「つぶれはしません。政治生命が奪われるだけです。現に南家も京家も存続しています。式家も権力の座から引きずり下ろされるだけに過ぎません。かえってこれでよかったのではありませんか?権力を握っている者の所へは、決して幸せはやって来ません。北家はこれから地獄を見るのです」
「嫌だ!おれは権力を握り続けるのだ!内麻呂だけには負けたくないのだ!確かにおれはワルかも知れない。しかし内麻呂はおれ以上にワルなのだ!羊の皮をかぶっている分だけ、余計にタチが悪いのだ!おれはおれ以上のワルを許さない!ワルというものは、決して自分以上のワルの存在を許さないものだっ!おれは勝つ!おれには奥の手がある!内麻呂や真夏や冬嗣の目も届かない禁断の園がある!見ていろ!それを駆使して必ずヤツの息の根を止めてくれるわーっ!」

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