161.隠岐味 基礎用語集

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アメリカ(America)≧アメリカ合衆国(United States of America)=米国(べいこく)
 北アメリカ大陸にある国。1492コロンブスが漂着し、十六世紀初めにスペインが、1607年からイギリスが入植、1776イギリスから独立宣言し、1783パリ条約で独立を承認、徐々に西へ領土を広げ、十九世紀半ばに太平洋側に到達、二度の世界大戦と冷戦を経て、世界一の工業国・農業国・軍事大国に成長した。首都はワシントン。

織田信長(おだのぶなが)
 (1534-1582) 武将。織田信秀(のぶひで)の子。父の死後、尾張を統一、1560桶狭間(おけはざま)の戦で今川義元(いまがわよしもと)を討ち、1567美濃の斎藤氏を追って岐阜城に入城、1568足利義昭(あしかがよしあき)を擁して上洛し、1570姉川(あねがわ)の戦で浅井(あさい)・朝倉(あさくら)氏を倒し、1571比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼き打ち、1573義昭を追放して室町幕府を滅ぼし、1574伊勢長島一向一揆(いせながしまいっこういっき)を、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(たけだかつより)を撃破、1576近江に安土(あづち)城を築いて移り、楽市(らくいち)・楽座(らくざ)を実施、1580石山本願寺(いしやまほんがんじ)を大坂から立ち退かせ、1582天目山(てんもくざん)の戦で勝頼を滅ぼすが、本能寺(ほんのうじ)の変で家臣の明智光秀(あけちみつひで)に討たれた。
最強味大雪味騒乱味暴力味泥沼味虐殺味銃器味   

鎌倉幕府(かまくらばくふ)
 (1185?-1333) 鎌倉時代の武家政権。源頼朝が鎌倉に1180侍所・1184公文所(政所)・問注所を創設、1185守護・地頭の設置によりほぼ組織は完成し、1192の征夷大将軍就任によって正式に発足した。1219三代将軍源実朝(さねとも)の暗殺・公暁(くぎょう)殺害によって源氏が滅亡してからは、外戚の北条(ほうじょう)氏が幕政を掌握し、本家の得宗を中心として代々執権(しっけん)を選出、末期には内管領・長崎氏が専横するが、1333新田義貞(にったよしさだ)に鎌倉を攻略されて滅亡した。 

楠木正成(くすのきまさしげ)
 (1294?-1336) 武将。1333元弘(げんこう)の乱で後醍醐(ごだいご)天皇につき、河内赤坂(あかさか)城・千早(ちはや)城に籠城(ろうじょう)、鎌倉幕府軍を撃退し、建武(けんむ)の新政(中興)に参与、摂津・河内・和泉守護・河内国司に任じられ、1336謀反を起こした足利尊氏(あしかがたかうじ)を敗走させるが、再挙した尊氏に湊川(みなとがわ)の戦で敗死した。
窮地味

元弘の乱(げんこうのらん)≧元弘の変
 1331後醍醐(ごだいご)天皇による二度目の鎌倉幕府倒幕未遂事件とその後に鎌倉幕府を滅ぼした戦い。1324正中(しょうちゅう)の変にも懲りずに後醍醐天皇は再び倒幕の計画を練るが、近臣・吉田定房(よしださだふさ)が幕府に密告、日野俊基(ひのとしもと)・文観(もんかん)らは逮捕され、危険を感じた後醍醐天皇は京都を脱出、山城笠置山(かさぎやま)で挙兵するが、敗れて捕らえられ、隠岐へ島流しにされた。しかしこの後、楠木正成(くすのきまさしげ)ら悪党の活躍や、足利尊氏(あしかがたかうじ)・新田義貞(にったよしさだ)ら有力御家人の裏切りによって鎌倉幕府は崩壊した。
窮地味 子供味 隠岐味

高 師直(こうのもろなお)
 (?-1351) 武将。室町幕府執事。足利尊氏(あしかがたかうじ)の側近として鎌倉倒幕戦に従軍、建武(けんむ)政権では雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)三番局奉行人を務め、主君とともに後醍醐(ごだいご)天皇に離反、1336湊川(みなとがわ)の戦いで新田義貞(にったよしさだ)・楠木正成(くすのくまさしげ)を破り、1338石津(いしづ)の戦い(堺浦の合戦・堺浜合戦)で北畠顕家(きたばたけあきいえ)を、1348四条畷(しじょうなわて)の戦いで楠木正行(まさゆき)を敗死させ、室町幕府創設に尽力するが、足利直義(ただよし)と対立、1350-1352観応(かんおう)の擾乱(じょうらん)最中、摂津武庫川(むこがわ)にて上杉能憲(うえすぎよしのり)らに殺害された。暴走味

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)←尊治親王(たかはるしんのう)
 (1288-1339) 伝九十六代天皇(在位1318-1339) 後宇多(ごうだ)天皇の皇子。鎌倉幕府倒幕を目指して1324正中(しょうちゅう)の変・1331元弘(げんこう)の変を起こすも事前に発覚、山城笠置山(かさぎやま)で挙兵するが逮捕され、隠岐へ流されるが脱出、名和長年(なわながとし)に迎えられて船上山で挙兵し、楠木正成(くすのきまさしげ)・赤松則村(あかまつのりむら)らの奮戦や、足利尊氏(あしかがたかうじ)・新田義貞(にったよしさだ)らの裏切りによって1333倒幕に成功、建武(けんむ)の新政(中興)を行い、記録所(きろくじょ)・雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)・恩賞方(おんしょうがた)・武者所(むしゃどころ)・鎌倉将軍府・陸奥将軍府などを設置、延喜(えんぎ)・天暦(てんりゃく)の治を目指して天皇親政を行おうとするが、1335中先代(なかせんだい)の乱を機に尊氏らが離反、1336湊川(みなとがわ)の戦いで正成が敗死し、義貞が敗走すると、大和吉野(よしの)へ逃れて南朝を樹立、以後没するまで尊氏の擁立した北朝と対立抗戦した。窮地味
子供味 隠岐味

自衛隊(じえいたい)
 (1954-) MSA協定(日米相互防衛援助協定)により、保安隊と警備隊を改組して発足した日本の防衛組織。防衛省に所属する陸上・海上・航空自衛隊の三隊。内閣総理大臣の統率のもと防衛相(2007まで防衛庁長官)が隊を総括。
内乱味

地頭(じとう)
 平安末〜鎌倉時代の荘園・公領直接支配者。平氏政権でもあったが、1185源頼朝(みなもとのよりとも)が守護とともに制度化し、田畑一段につき五升の兵粮米(ひょうろうまい)の徴収が認められた。承久(じょうきゅう)の乱前に任じられたものを本補(ほんぽ)地頭、乱後に任じられたものを新補(しんぽ)地頭という。南北朝の動乱後、本来の地頭の意味はなくなったが、江戸時代には知行取りの旗本や租税徴収係を地頭と呼んだ。

守護(しゅご)
 鎌倉・室町時代に国ごとに置かれた軍事・行政長官。古代の国司(こくし)、近世の大名(だいみょう)、現代の知事のようなもの。1185源頼朝(みなもとのよりとも)が初めて全国的に設置。戦国時代の下克上(げこくじょう)により衰退するが、なかには戦国大名として生き残るものもあった。

荘園(しょうえん)
 古代〜中世における貴族や寺社など富裕層の所有地のこと。自力で開墾(自墾地系)・買得(既墾地系)したもの(総じて墾田地系)と、寄進されたもの(寄進地系)に分けられる。鎌倉時代以後、武士に奪われ、太閤検地(たいこうけんち)の実施によって消滅した。

太平記(たいへいき)
 軍記物語の一。四十巻。応安年間(1368-1375)成立。小島法師?著。鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱を描く。秘密味 子供味 窮地味 隠岐味 暴走味 
野合味

太平洋戦争(たいへいようせんそう)
 (1941-1945) 第二次世界大戦のうち、太平洋で行われた日本とアメリカ・イギリス・中国・オランダなど連合国との戦争。1941.12/8日本のマレー半島上陸と真珠湾攻撃に始まり、緒戦は日本優勢であったが、1942ミッドウェー海戦で形勢は逆転、以後、1943アッツ島戦・ガダルカナル島撤退・1944インパール戦・マリアナ沖海戦・レイテ島(比島沖)海戦・1945硫黄島(いおうじま)の戦い・沖縄戦など日本は敗戦を重ね、広島・長崎の原爆投下、ソ連の対日参戦により8/15ポツダム宣言を受諾、無条件降伏した。
軍艦味1 攻撃味

東大寺(とうだいじ)=金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)=総国分寺(そうこくぶんじ)=大華厳寺(だいけごんじ)
 奈良市所在。華厳宗大本山。南都七大寺の一。前身は金鐘寺(こんしゅじ)。大勧進行基(ぎょうき)。開基良弁(ろうべん)。745聖武(しょうむ)天皇が盧舎那仏(るしゃななぶつ)造立のため、市原王(いちはらおう)・佐伯今毛人(さえきのいまえみし)らに命じて創建し、752本尊の盧舎那仏の開眼法要を行った。1180平重衡(たいらのしげひら)に焼かれたが、鎌倉時代に重源(ちょうげん)らが復興、1567松永久秀(まつながひさひで)に焼かれたが、江戸時代に再び復興された。

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

比叡山(ひえいざん)=叡山(えいざん)
 京都府京都市と滋賀県大津市の境を成す山。標高八四八メートル。山頂に延暦寺(えんりゃくじ)が、山麓に園城寺(おんじょうじ)がある。

本土空襲(ほんどくうしゅう)=本土爆撃(ほんどばくげき)
 (1942-1945)太平洋戦争末期のアメリカのB29爆撃機などによる日本本土への空爆。初空襲は1942空母から発進したB25によるもので、1944から本格化した。基地や軍需工場を狙った限定爆撃から都市そのものを灰燼(かいじん)にする無差別爆撃に切り替えられ、日本の主要都市はほぼ焼き尽くされ、約六十五万人が亡くなったという。

六波羅探題(ろくはらたんだい)
 鎌倉幕府の京都支所。南方・北方の二府。前身は京都守護。朝廷の監視や、尾張(のち三河)以西の御家人を統制した。1221承久(じょうきょう)の乱後に設置。初代探題は北条泰時(ほうじょうやすとき)・時房(ときふさ)。最後の探題は北条時益(ときます)・仲時(なかとき)。1333足利尊氏(あしかがたかうじ)らの攻撃を受け、時益・仲時らは敗死、幕府に先んじて滅亡した。⇒京都守護

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