248.成金味 基礎用語集

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江戸幕府(えどばくふ)=徳川(とくがわ)幕府
 (1603-1867) 江戸時代の武家政権。1600関ヶ原の戦で勝利した徳川家康(とくがわいえやす)が1603に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任して創始。徳川氏が代々将軍に就任、老中(ろうじゅう)が政務を統括し、臨時に大老(たいろう)が置かれた。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が朝廷に大政奉還(たいせいほうかん)、1868-1869戊辰(ぼしん)戦争をへて旧幕府勢力は解体した。

大隈重信内閣(おおくましげのぶないかく)=大隈内閣≧隈板内閣(わいはんないかく)
 (1898) [第一次] 1898第三次伊藤博文内閣退陣後、大隈重信(首相・外相)と板垣退助(内相)が主導して成立(隈板内閣)、陸相と海相の他の閣僚はすべて憲政党員という初の政党内閣だったが、文相・尾崎行雄による共和演説事件で内紛になり崩壊した。 [第二次] (1914-1916) 1914第一次山本権兵衛内閣退陣後、立憲同志会・中正会などを与党として大隈重信が組閣、外相・加藤高明、内相・大浦兼武が実権を握り、1915第一次世界大戦に参戦、袁世凱政府に対華二十一カ条の要求を突きつけ、解散総選挙を経て二個師団増設を実現したが、大浦の選挙干渉が問題化した。

加藤清正(かとうきよまさ)
 (1562-1611) 武将。大名。豊臣秀吉に仕え、1583賤ヶ岳(しずがたけ)の戦で活躍(七本槍の一人)、1588肥後熊本を領し、1592-1596文禄(ぶんろく)の役・1597-1598慶長(けいちょう)の役で奮戦、1600関ヶ原の戦では東軍に属し、熊本城を新築、大阪城などの築城にも携わった。

貴族院(きぞくいん)=貴院(きいん)
 (1890-1947) 大日本帝国憲法のもと、衆議院とともに帝国議会を構成した両院の一つ。皇族・華族および世襲・勅撰(勲功者・学識者)・多額納税者が議員になった。権限は衆議院とほぼ対等。1947日本国憲法により廃止。

清浦奎吾(きようらけいご)
 (1850-1942) 官僚・政治家。首相(在職1924)。内務省警保局長時代に山県有朋の知遇を得、司法次官を経て法相・農商務相・貴院議員・枢密顧問官を歴任、1914組閣命令を受けたが流産し、1922枢密院議長に就任、1924貴族院を基礎に組閣したが、第二次護憲運動で退陣した。

札幌農学校(さっぽろのうがっこう)→北海道大学(ほっかいどうだいがく)
 明治時代の高等農業教育機関。1872ケプロンの建策で東京に開校した開拓使仮学校を1876札幌に移転。アメリカからクラークを招いて初代教頭とし、農業を中心に教育、1918北海道帝国大学となり、1947北海道大学になった。

閑谷学校(しずたにがっこう)→閑谷黌(しずたにこう)=閑谷精舎(しずたにせいじゃ)
 江戸〜明治時代に備前岡山藩にあった郷学(学校)。1670岡山藩主・池田光政が和気郡伊里村閑谷(岡山県備前市)に創立。庶民子弟の教育を主としたが、武芸は教えなかった。

渋沢栄一(しぶさわえいいち)
 (1840-1931) 実業家。武蔵の豪農出身。一橋家や幕府に仕え、1867欧州を視察、明治政府では大蔵省に努め、新貨条例・国立銀行条例公布に尽力、日本初の合本組織(株式会社)を取り入れ、財界に入って道徳経済合一説を提唱、第一国立銀行・王子製紙・大阪紡績・東京瓦斯など五百社を設立し、商業会議所や銀行集会所などの組織を作り、社会福祉事業にも貢献、米中と積極的な民間経済外交を展開した。
成金味 相場味

衆議院(しゅうぎいん)=衆院(しゅういん)
 (1890- )日本国憲法のもと、参議院とともに国会を構成する両院の一つ。戦前は、大日本帝国憲法のもと、貴族院とともに帝国議会を構成。戦前は予算の先議権が認められ、戦後は加えて法律の再議決などが認められている(衆議院の優越)。

枢密院(すうみついん)
(1888-1947) 大日本帝国憲法下の天皇の最高諮問(しもん)機関。1888憲法制定のために設置。憲法制定後も重要国事を審議し、内閣の政策に介入した。議長・副議長・顧問官で組織。初代枢密院議長は伊藤博文。1947日本国憲法施行で廃止。

戦後恐慌(せんごきょうこう)
 大戦景気の反動で起こった恐慌。1920株式市場の大暴落を機に発生し、増田ビルブローカー銀行・茂木商店・第七十四銀行などが破綻、原敬内閣が日銀や大蔵省による大規模救済融資を行ったため沈静化した。

第一国立銀行(だいいちこくりつぎんこう)→第一銀行
 1873国立銀行条例によって東京に設立された最初の国立銀行。1875渋沢栄一が頭取になり、1896第一銀行と改称して普通銀行になり、1972第一勧業銀行に、2002みずほ銀行になった。

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
 (1914-1918) 1914サラエボ事件を機に行われた同盟国(ドイツ・オーストリア・トルコ・ブルガリア)と連合国(イギリス・フランス・ロシア・日本・イタリア・アメリカなど)との世界戦争。日本は日英同盟を理由に参戦し、山東省(さんとうしょう)のドイツ租借地・青島(チンタオ)やドイツ領・南洋諸島を占領、中国に1915二十一か条の要求を突きつけた。

大戦景気(たいせんけいき)
 (1915-1918) 第一次世界大戦中〜戦直後の好景気。大戦による需要拡大によって日本の輸出は急増し、債務国から債権国に転じ、工業が発展、内田信也(うちだのぶや)ら成金が誕生した。

台湾(たいわん)
 中国福建省の対岸にある島。明末に中国領となり、1894-1895日清戦争後に日本が領有、1945中国に復帰し、1949中国国民党子政権(中華民国)が移住した。主都は台北(タイペイ)。

中国(ちゅうごく)≧中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)←中華民国(ちゅうかみんこく)
 (1912-) 東アジアにある国。1912孫文(そんぶん)が臨時大統領になって中華民国が成立、袁世凱(えんせいがい)が専制支配を確立し、1928蒋介石(しょうかいせき)が国内を統一するが、1937-1945日中戦争で衰退、1949中華人民共和国が成立した。現在の首都は北京。
中国味

長州戦争(ちょうしゅうせんそう)=長州征討=長州征伐=征長の役=対長戦争=幕長戦争
 江戸幕府と長州(萩)藩との戦争。[第一次] 1864禁門(きんもん)の変を起こした長州藩に対し、幕府は朝廷の許可を得て西国諸藩に出兵を命令、前尾張(名古屋)藩主・徳川慶勝(とくがわよしかつ)を征長総督に、越前(福井)藩主・松平茂昭(まつだいらしげあき)を副総督に任命、十五万の大軍で取り囲んだが、長州藩では俗論派(佐幕派)が藩政を掌握、反対派の三老臣(益田親施・福原元|・国司朝相)の首を差し出したため、総攻撃は中止になった。 [第二次] 1865長州藩で高杉晋作ら倒幕派が台頭したため1866幕府が再征し、芸州口・石州口・小倉口で交戦するが幕府軍は苦戦、将軍・徳川家茂が休止したため停戦した。

長州藩(ちょうしゅうはん)萩藩(はぎはん)
 江戸時代に本州西端にあった藩。外様。藩主は毛利(もうり)氏。石高は三十七万石(内高七十一万石)。1831防長大一揆を機に村田清風(むらたせいふう)が藩政改革を行い、吉田松陰(よしだしょういん)・高杉晋作(たかすぎしんさく)・木戸孝允(きどたかよし)・大村益次郎(おおむらますじろう)らを輩出、1863朝命を受けて攘夷を決行(外国船砲撃事件)するが、1864四国連合艦隊に下関を砲撃されて転向、第一次長州征討で幕府に屈服するが、1865第二次長州征討では撃退、1866薩摩藩と結び(薩長連合)、1868-1869戊辰戦争で旧幕府軍を撃破、明治政府の中心勢力になった。

東京(とうきょう)←江戸(えど)
 東京都。明治時代以降の日本の首都。1868江戸を東京と改め、1869明治天皇が行幸、政府も東京に移り(東京遷都)、1871東京府1889東京市を設置、1923関東大震災で壊滅するが復興、1943府・市は合併して東京都となり、1945東京大空襲で焦土となるが、戦後よみがえった。
東京味

豊臣秀吉(とよとみひでよし)←羽柴(はしば)秀吉←木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)
 (1537-1598) 武将。関白・太政大臣。織田信長に仕えて出世し、1573近江長浜(おうみながはま)城主となり、1577中国攻めを開始、1582備中高松(びっちゅうたかまつ)城攻撃中に信長横死の知らせを受け、山崎(やまざき)の戦で明智光秀(あけちみつひで)を、1583賤ヶ岳(しずがたけ)の戦で柴田勝家(しばたかついえ)を滅ぼし、石山本願寺(いしやまほんがんじ)跡に大坂(おおさか)城を築城、1584小牧・長久手の戦を経て徳川家康と講和、1585関白となって紀伊の根来(ねごろ)・雑賀(さいが)一揆を、四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を降し、1586太政大臣に就任、1587九州の島津義久を、1590東北の伊達政宗(だてまさむね)・最上義光(もがみよしあき)らを、関東の北条氏政(ほうじょううじまさ)・氏直(うじなお)を降して天下を統一、太閤検地(たいこうけんち)や刀狩(かたながり)を行い、バテレン追放令や身分統制令などを発令、聚楽第(じゅらくだい)や伏見城を築いたが、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は失敗した。泥沼味銃器味放置味怪談味地震味変化味日朝味芸人味変化味裏金味友愛味花見味変節味

成金(なりきん)
 突然金持ちになった人。特に第一次世界大戦中の好景気で巨利を得て蓄財した人。船成金・鉄成金・株成金などが誕生したが、戦後恐慌で没落する者が多かった。
成金味

日清戦争(にっしんせんそう)
 (1894-1895) 朝鮮の支配権をめぐる日本と清(中国)の戦争。1894朝鮮で起こった甲午農民戦争(東学党の乱)を機に日清両国は開戦、日本は豊島沖(ほうとうおき)の海戦・平壌の戦・黄海の海戦で勝利、1895威海衛(いかいえい)を占領して清を降伏させ、講和条約(下関条約)を調印、朝鮮の独立、遼東(りょうとう)半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島の割譲、賠償金二億両(テール)の支払い、通商航海条約の調印と最恵国条款の確立、沙市・重慶・蘇州・杭州の開市、威海衛の一時占領などを認めさせた。

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。1869から事実上の首都は東京。

箱館(はこだて)→函館
 現在の北海道函館市。渡島支庁所在地。渡島半島南端の港町。松前(福山)・江差とともに松前三湊の一。江戸幕府が直轄領として箱館奉行を置き、1854日米和親条約により1855開港、1868五稜郭の戦(箱館戦争)の舞台になり、1869函館と改称、北海道の玄関として発展した。

船成金(ふななりきん)
 第一次大戦中の好景気で生まれた成金のうち、造船業や海運業で成功した者。内田信也・山本唯三郎らが有名。
成金味

北清事変(ほくしんじへん)
 1900中国で起こった1899-1900義和団事件を列強連合軍(日・英・米・仏・露・独・伊・墺)が鎮圧した戦争。各国大使館を包囲した義和団の乱に清朝が加勢、連合軍に宣戦布告したが返り討ちににされ、1901北京議定書で謝罪した。日本の英の要請で大軍を派遣、ドサクサに紛れて厦門(アモイ)占領を図ったが失敗した。

北海道(ほっかいどう)
 日本の最北にある道。江戸時代以前は蝦夷地の一部。明治政府は函館戦争後に1869開拓使を設置、松浦武四郎の意見で蝦夷地を北海道と改称し、本格的に開拓を開始、1947行政官庁としての道は廃止され、都道府県の一つになった。県庁所在地は札幌市。

李氏朝鮮(りしちょうせん)≦朝鮮
 (1392-1910) 朝鮮半島の王朝。高麗(こうらい)の武将・李成桂(りせいけい)が高麗を倒して建国。首都は漢城府(かんじょうふ。ソウル)。十五世紀前半、ハングルを考案した世宗(せいそう)の頃が全盛期。1897国号を大韓帝国とするが、1910日韓併合により滅んだ。

立憲政友会(りっけんせいゆうかい)=政友会
 (1900-1940) 1900伊藤博文(いとうひろぶみ)が憲政会や一部官僚を中心に結成した政党。おおかた衆議院第一党となり、総裁のうち伊藤博文・西園寺公望(さいおんじきんもち)・原敬(はらたかし)・高橋是清(たかはしこれきよ)・田中義一(たなかぎいち)・犬養毅(いぬかいつよし)は首相として組閣し、昭和初期には立憲民政党(りっけんみんせいとう)とともに二大政党として君臨するが、1932五・一五事件後は衰退、1940新体制運動で解体した。

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