101.消費味 基礎用語集

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粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)=藤四郎(とうしろう)吉光
 (?-?) 鎌倉時代の京都の刀工。三作の一人。「平野藤四郎」「一期一振」などが現存。

糸割符仲間(いとわっぷなかま)
 外国人の暴利を抑えるため、輸入生糸を一括輸入して分配した商人仲間。1604堺・京都・長崎の商人に与えられた特権だが、後に江戸・大坂の商人も加えられ、五カ所商人と呼ばれた。

江戸(えど)
 現在の東京都都心。江戸時代の政治の中心地(首都)。1457太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築いて栄え、1590徳川家康(とくがわいえやす)が入城により発展、江戸時代中期に人口百万人を超え、1868明治天皇が行幸して東京と改められ、日本の首都になった。

江戸時代(えどじだい)=徳川(とくがわ)時代
 (1600or1603-1867) 江戸幕府が支配していた時代。1600関ヶ原の戦(せきがはらのたたかい)で徳川家康(とくがわいえやす)が政権を握ったこと、または1603家康が江戸幕府を開いたことに始まり、徳川氏が代々将軍に就任した。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して終わった。

江戸幕府(えどばくふ)=徳川(とくがわ)幕府
 (1603-1867) 江戸時代の武家政権。1600関が原の戦で勝利した徳川家康(とくがわいえやす)が1603に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任して創始。徳川氏が代々将軍に就任、老中(ろうじゅう)が政務を統括し、臨時に大老(たいろう)が置かれた。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が朝廷に大政奉還(たいせいほうかん)、1868-1869戊辰(ぼしん)戦争をへて旧幕府勢力は解体した。

大坂(おおさか・おおざか)→大阪
 現在の大阪府大阪市。府庁所在地。戦国時代に石山本願寺(いしやまほんがんじ)を中心に栄え、1583豊臣秀吉が大坂城を築いて発展、江戸時代には日本経済の中心として「天下の台所」と呼ばれ、明治維新後に大阪と改めた。

大坂の役(おおさかのえき)=大坂冬の陣(ふゆのじん)+大坂夏の陣
(冬の陣) 1600関ヶ原の戦に勝って天下を取った徳川家康(とくがわいえやす)は、豊臣家滅亡を謀り、1614方広寺(ほうこうじ)の鐘銘(しょうめい)にいちゃもんをつけて豊臣家を挑発、多数の牢人(ろうにん。浪人)を雇ったことを口実に二十万の大軍で大坂城を攻囲するが、真田幸村(さなだゆきむら。信繁)らの奮戦で攻めきれず、講和した。籠城味

(夏の陣) 家康は大坂城の外堀だけを埋めるという講和条件を無視し、内堀まで埋めて豊臣家を挑発、重ねて無理難題を突きつけ、受け入れられないと知るや諸大名に出陣命令、十五万の大軍で再び大坂城に攻め寄せた。豊臣方も奮戦するがかなわず、真田幸村(さなだゆきむら。信繁)らは戦死、大坂城は炎上し、淀殿(よどぎみ)・豊臣秀頼(ひでより)母子は自害、豊臣家は滅亡した。

岡崎正宗(おかざきまさむね)=五郎入道(ごろうにゅうどう)正宗
 (?-?) 鎌倉時代の相模の刀工。三作の一人。相州物を大成。「庖丁正宗」「日向正宗」などが現存。

荻原重秀(おぎわらしげひで)
 (1537-1598) 幕閣。勘定奉行。種重(たねしげ)の子。1674勘定衆に加わり、1683勘定組頭・1687勘定吟味役を経て1696勘定奉行に就任、1695元禄金銀(げんろくきんぎん)改鋳を行って幕府財政の立て直しを図るが、物価が高騰、1712新井白石によって失脚させられた。
消費味

小野道風(おののとうふう・みちかぜ)
 (894-966) 官人・書家。書道三蹟・三聖の一。内蔵頭。葛絃(くずお)の子。醍醐(だいご)・朱雀(すざく)・村上天皇に仕え、宮中の書を執筆、「屏風土代(びょうぶどだい)」「玉泉帖」「三体白氏詩巻」などを残した。

寛永通宝(かんえいつうほう)=寛永銭
 江戸時代の銭貨の一。円形で真ん中に方形の穴があり、表に「寛永通宝」の刻印がある。一枚一文。銅銭と鉄銭があった。

上方(かみがた)
 江戸時代、江戸に対する京都・大坂地方のこと。

勘定奉行(かんじょうぶぎょう)=勘定頭(かんじょうがしら)
 江戸幕府の職名。幕府の財政を担当。三奉行の一。老中付属で旗本から選任。定員は四名。天領(幕府領)の財政・訴訟を担当。

京都(きょうと)
 現在の京都府京都市。府庁所在地。政令指定都市。ユネスコ世界文化遺産。794桓武天皇による平安京遷都から1868明治天皇による事実上の東京遷都まで日本の帝都として繁栄、明治維新後も文化の中心として発展した。

楠木正成(くすのきまさしげ)
 (1294?-1336) 武将。1333元弘(げんこう)の乱で後醍醐(ごだいご)天皇につき、河内赤坂(あかさか)城・千早(ちはや)城に籠城(ろうじょう)、鎌倉幕府軍を撃退し、建武(けんむ)の新政(中興)に参与、摂津・河内・和泉守護・河内国司に任じられ、1336謀反を起こした足利尊氏(あしかがたかうじ)を敗走させるが、再挙した尊氏に湊川(みなとがわ)の戦で敗死した。
窮地味

蔵元(くらもと)
 蔵屋敷で蔵物(年貢米や特産物)取引をつかさどった商人。初めは諸大名などから派遣された蔵役人が担当したが、十七世紀中頃から商人が代行するようになった。

蔵屋敷(くらやしき)
 諸大名などが年貢米や特産物販売のため設置した倉庫兼取引所。江戸・大坂・京都・長崎・大津・敦賀などに置かれた。諸藩から派遣された蔵役人が仕切ったが、後には商人が蔵元として業務を代行した。

元禄金銀(げんろくきんぎん)
 1695勘定吟味役(後の勘定奉行)・荻原重秀の建言で江戸幕府が改鋳した金銀貨。元禄大判・元禄小判・元禄一分金・元禄二朱金・元禄丁銀・元禄豆板銀の総称。慶長金銀より金銀の含有率を減らし、財政建て直しを目指した。

豪商(ごうしょう)
 江戸時代の大商人のこと。江戸の三井(みつい)家・紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)・奈良屋茂左衛門(ならやもざえもん)、大坂の末吉孫左衛門(すえよしまござえもん)・鴻池(こうのいけ)家・住友(すみとも)家・淀屋辰五郎(よどやたつごろう)、京都の茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)、堺の津田宗及(つだそうぎゅう)・今井宗久(いまいそうきゅう)・今井宗薫(そうくん)・納屋助左衛門(なやすけざえもん)、博多の島井宗室(しまいそうしつ)・神谷宗湛(かみやそうたん)、長崎の末次平蔵(すえつぐへいぞう)・荒木宗太郎(あらきそうたろう)らが有名。消費味

小判(こばん)
 江戸時代の金貨の一。楕円形で表裏に極印がある。一枚一両で、後藤庄三郎の小判座で鋳造した。慶長小判・元禄小判・宝永小判・正徳小判・享保小判・元文小判・文政小判・天保小判・安政小判・万延小判の十種類。

御用金(ごようきん)=用金
 江戸時代、幕府や諸藩が公用資金を得るため、利息をつけて返済する約束で町人や百姓に強制的に課した借用金。

雑喉場魚市場(ざこばうおいちば)=雑喉場魚市≦雑喉場
 江戸時代に大坂上魚屋にあった魚市場。淀屋常安(よどやじょうあん)が京橋南詰に開いた魚市が起源で、後に上魚屋に移り畿内一の魚市場に成長した。

士農工商(しのうこうしょう)
 江戸時代の身分制度。武士・農民・職人・商人のこと。公家・僧・神官は武士に準じ、商人の下に「えた」「ひにん」が置かれた。

聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)
 現在の京都市上京区にあった城郭風邸宅。1586〜1587豊臣秀吉が大内裏跡に造営。天守閣を擁した本丸・南二の丸・北の丸・西丸があり、堀の外側に諸大名の屋敷が連立。1588後陽成(ごようぜい)天皇が行幸し、関白を継いだ豊臣秀次(ひでつぐ)が住むが、1595秀次自害により壊され、建物は伏見城などに移された。

消費税(しょうひぜい)
 物品・サービスの消費に課される税。中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣が売上税導入に失敗した後、1988竹下登(たけしたのぼる)内閣が税率を三パーセントとして創設し、1989施行、1997税率が五パーセントに上げられた。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための朝廷の軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)が就任して幕府を開いてからは世襲となった。将軍味

側用人(そばようにん)
 江戸幕府の職名。将軍の側近。老中との取次役。徳川綱吉が設置。初代側用人は牧野成貞(まきのなりさだ)。柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は特に有名。

大名(だいみょう)
 所領を多く持つ有力な武士のこと。もとは名田(みょうでん)を多く者の意味で、室町時代に守護大名が、戦国時代に戦国大名が登場、江戸時代では将軍に直属した一万石以上の武家のことをいった。

大老(たいろう)
 江戸幕府の最高職。臨時職。定員一名。1638三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が土井利勝(どいとしかつ)と酒井忠勝(さかいただかつ)を任じたのに始まり(井伊直孝が最初とも)、幕末までにほか七名が就任したが(数には諸説あり)、実権を振るったのは酒井忠清(さかいただきよ)・堀田正俊(ほったまさとし)・井伊直弼(いいなおすけ)ぐらいであった。

丁銀=挺銀(ちょうぎん)
 江戸時代の銀貨の一。なまこ形で鋳造者「常是」や「宝」の字や大黒像などの極印がある。一個三十〜五十匁ほどで、銀座で鋳造され、量って使用した。

町人(ちょうにん)
 近世に町に住んでいた商人や職人。狭義には家持ちの町人を指すが、広義には借家人なども含まれた。

天満青物市場(てんまあおものいちば)=天満青物市
 江戸時代に大坂天満にあった野菜・果実市場。淀屋常安(よどやじょうあん)が京橋南詰に開いた青物市が起源で、後に天満に移り、1653公認され、畿内一の青物市場に成長、明治時代以後も1931大阪中央卸売市場成立までその地位にあった。

堂島米市場(どうじまこめいちば)
 江戸時代に大坂堂島にあった米市場。淀屋(よどや)の門前にあった米市が起源で、1697堂島に移転、1730公認の米相場所となり、全国の米相場の中心となった。明治時代には堂島米穀取引所となった。

徳川家康(とくがわいえやす)←松平元康(まつだいらもとやす)←松平元信(もとのぶ)
 (1542-1616) 武将。江戸幕府初代将軍(在職1603-1605)・大御所。三河岡崎(みかわおかざき)城主・松平広忠(まつだいらひろただ)の子。1560桶狭間(おけはざま)の戦後に岡崎城主となり、織田信長と同盟を締結、今川氏を滅ぼして遠江浜松(とおとうみはままつ)城主となるが1572三方原(みかたがはら)の戦で武田信玄(たけだしんげん)に惨敗、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(かつより)を撃退し、1582本能寺(ほんのうじ)の変後、1584小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦後に豊臣秀吉と講和、1590小田原(おだわら)攻めに従って武蔵江戸(えど)城主となり、関東を統治、五大老に列し、秀吉の死後の1600関ヶ原の戦で石田三成らを撃破、1603征夷大将軍となって江戸幕府を開き、1605将軍職を秀忠(ひでたた)に譲渡、駿河府中(するがふちゅう)に退くが、大御所として実権を掌握、1614〜1615大坂の役で豊臣秀頼(ひでより)を滅ぼし、1615武家諸法度(ぶけしょはっと)・禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)・一国一城令(いっこくいちじょうれい)などを定めた。惨敗味 変節味
裏金味4 籠城味

徳川秀忠(とくがわひでただ)
 (1579-1632) 江戸幕府二代将軍(在職1605-1623)。家康の子。父より将軍職を譲られ、1614-1615大坂の役で豊臣秀頼(とよとみひでより)を滅ぼして元和偃武(げんなえんぶ)を実現、武家諸法度・禁中並公家諸法度などを制定、1623子の家光に将軍職を譲ってからも大御所として実権を握り続けた。

徳川綱吉(とくがわつなよし)
 (1646-1709) 江戸幕府五代将軍(在職1680-1709)。家光(いえみつ)の子。1661上野館林(たてばやし)藩主となり、1680兄・家綱(いえつな)の死後に将軍職を継承、大老(たいろう)・堀田正俊(ほったまさとし)、側用人(そばようにん)・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)らの補佐を受け、文治(ぶんち)政治を推進、1681母・桂昌院(けいしょういん)のため護国寺(ごこくじ)を建立、1690江戸忍岡(しのぶがおか)に湯島聖堂(ゆしませいどう)を設立し、林信篤(はやしのぶあつ)を大学頭(だいがくのかみ)に、渋川春海(しぶかわしゅんかい)を天文方(てんもんがた)に、北村季吟(きたむらきぎん)を歌学方(かがくがた)に任命、荻原重秀(おぎわらしげひで)を勘定吟味役(かんじようぎんみやく)に抜擢(ばってき)して元禄金銀(げんろくきんぎん)を改鋳させ、1685生類憐(しょうるいあわれ)みの令を発して動物を無理やりかわいがらせた。
仇討味

豊臣秀吉(とよとみひでよし)←羽柴(はしば)秀吉←木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)
 (1537-1598) 武将。関白・太政大臣。織田信長に仕えて出世し、1573近江長浜(おうみながはま)城主となり、1577中国攻めを開始、1582備中高松(びっちゅうたかまつ)城攻撃中に信長横死の知らせを受け、山崎(やまざき)の戦で明智光秀(あけちみつひで)を、1583賤ヶ岳(しずがたけ)の戦で柴田勝家(しばたかついえ)を滅ぼし、石山本願寺(いしやまほんがんじ)跡に大坂(おおさか)城を築城、1584小牧・長久手の戦を経て徳川家康と講和、1585関白となって紀伊の根来(ねごろ)・雑賀(さいが)一揆を、四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を降し、1586太政大臣に就任、1587九州の島津義久を、1590東北の伊達政宗(だてまさむね)・最上義光(もがみよしあき)らを、関東の北条氏政(ほうじょううじまさ)・氏直(うじなお)を降して天下を統一、太閤検地(たいこうけんち)や刀狩(かたながり)を行い、バテレン追放令や身分統制令などを発令、聚楽第(じゅらくだい)や伏見城を築いたが、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は失敗した。 怪談味2 地震味4 日朝味7 芸人味変化味 花見味 変節味

長崎奉行(ながさきぶぎょう)
 江戸幕府の遠国奉行(おんごくぶぎょう)の一つ。長崎の長官で、市政や貿易を担当した。老中配下。定員二名。役高千石。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

(はん)
 江戸時代の地方行政区域。大名が治めた領地及びその統治機構。現在の都道府県より規模が小さい。1871廃藩置県で消滅。

伏見城(ふしみじょう)=桃山城(ももやまじょう)
 京都市伏見区所在。1592豊臣秀吉が築城。1596慶長の地震で倒壊するが、すぐに再建。秀吉死後は徳川家康が居城とし、1607伏見城代を置いたが、1623解体。西本願寺書院・唐門・都久夫須麻神社本殿・唐門はその遺構とされる。

藤原定家(ふじわらのていか・さだいえ)
 (1162-1241) 歌人。公卿。京極中納言。俊成(しゅんぜい・としなり)の子。後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)に認められ、1205藤原家隆(いえたか・かりゅう)らとともに勅撰和歌集『新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)』を編集するが謹慎処分を受け、1221承久(じょうきゅう)の乱後の1235後堀河(ごほりかわ)天皇の命令で『新勅撰和歌集』を編集、小倉百人一首を選び、歌集『拾遺愚草(しゅういぐそう)』・歌論『近代秀歌』・日記『明月記(めいげつき)』などを残した。

町年寄(まちどしより)
 江戸時代に町奉行に下にあった町役人の最有力者。身分は町人。江戸では最高位だが、大坂では町年寄の上に惣年寄(そうどしより)があった。

町奉行(まちぶぎょう)≧江戸町奉行
 江戸幕府の職名。三奉行の一。老中付属で旗本から選任。南北両町奉行が月番(一月交代)で江戸の民政(行政・司法・警察等)を担当。江戸のほかに京都・大坂・駿府(すんぷ。静岡)などにも町奉行が置かれた。

豆板銀(まめいたぎん)=小粒=小玉銀=豆銀
 江戸時代の銀貨の一。丁銀の小銭で五匁前後で量って使用した。

紫式部(むらさきしきぶ)
 (?-?) 作家・歌人。三十六歌仙の一人。藤原為時(ふじわらのためとき)の娘。藤原宣孝(のぶたか)と結婚し、一条(いちじょう)天皇の中宮(ちゅうぐう。皇后)・定子(ていし)に近侍、『源氏物語(げんじものがたり)』『紫式部日記』『紫式部集』を著した。

柳沢吉保(やなぎさわよしやす)←柳沢保明(やすあきら)←柳沢房安(ふさやす)
 (1658-1714) 幕閣。大老格。安忠(やすただ)の子。上野館林藩主・徳川綱吉(とくがわつなよし)の小姓になり、綱吉の将軍就任によって幕臣となり、688側用人に就任、老中格を経て大老格になり、1701松平姓を拝領、1704甲府十五万石を与えられ、荻生徂徠(おぎゅうそらい)・細井広沢(ほそいこうたく)らを登用、文治政治を推進したが、1709綱吉没後は隠居した。
消費味

老中(ろうじゅう)
 江戸幕府の執政官。幕政を統括。定員は四、五名で月番制。二万五千石以上の譜代大名から選抜された。最初の老中(当初は年寄と呼ばれた)は大久保忠隣(おおくぼただちか)と本多正信(ほんだまさのぶ)とされている(酒井忠世らとも)。

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