61.安倍味 基礎用語集

ホーム>バックナンバー2006>基礎用語集

安倍晋三(あべしんぞう)
 (1954-2022) 政治家。首相(在職2006-2007,2012-2020)。1982父・安倍晋太郎の外相秘書官となり、1993衆院議員に当選、自民党幹事長や官長を経て2003自民党総裁として首相に就任するが、2007消えた年金問題が発覚して退陣、2012再び首相となりアベノミクスを掲げて経済対策に尽力、森友・加計学園などの疑惑を官僚支配・マスコミ支配で切り抜け、2020首相として史上最長の任期を記録するが、コロナ禍で行き詰まり、病気を理由に退陣、その後も自民党最大派閥安倍派の会長として権勢を誇るが、2022奈良で遊説中に暗殺された。悪党味
迎撃味 足掻味 火元味 凶弾味

安和の変(あんなのへん)
 969藤原師尹(ふじわらのもろただ)・藤原伊尹(これただ・これまさ)・藤原兼家(かねいえ)らが左大臣・源高明(みなもとのたかあきら)を失脚させた事件。源満仲(みなもとのみつなか)の密告により源連(つらぬ)追討令が発せられ、高明は大宰府に左遷、藤原千晴(ちはる)は隠岐へ流された。この事件により藤原氏の他氏排斥は終了し、以後は同族間の権力闘争となった。

宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)
 鎌倉初期の説話集。二巻。百九十七話。著者不明。題名は『今昔物語集(宇治大納言物語)』の補足という意味。

右大臣(うだいじん)
 律令制における執政官。太政大臣・左大臣欠員時の最高官。左大臣とともに国政を統括した。645大化の改新で蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ)が任じられたのが最初。

宇多法皇(うだほうおう)←宇多上皇(じょうこう)←宇多天皇←源定省(みなもとのさだみ)
 (867-931) 伝五十九代天皇(在位887-897)。光孝(こうこう)天皇皇子。884臣籍降下されるが、887父の死後に即位、887-888阿衡(あこう)の紛議で関白・藤原基経(ふじわらのもとつね)と対立するが、891基経死後に寛平(かんぴょう)の治を断行、菅原道真(すがわらのみちざね)を登用し、摂関家を抑制、長子・醍醐(だいご)天皇に譲位し、『寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)』を残した。スト味 受験味朦朧味

園城寺(おんじょうじ)=三井寺(みいでら)
 滋賀県大津市所在。天台宗寺門派(てんだいしゅうじもんは。天台寺門宗)の総本山。山号長等山(ながらさん)。大友皇子(おおとものおうじ)の子・与多王(よたおう)の創建と伝え、859円珍(えんちん)が再興、山門派(さんもんは)の延暦寺(えんりゃくじ)と天台宗の正統を争った。国宝不動明王像(黄不動)など、多くの寺宝が伝わる。

陰陽道(おんみょうどう・おうようどう)
 中国の陰陽五行説に基づき吉凶・禍福を判断する方術。飛鳥時代に伝来し、平安時代に隆盛、安倍晴明(あべのせいめい)ら陰陽師を輩出し、安倍・賀茂(かも)氏が陰陽博士を独占した。

外戚(がいせき)
 母方の親族のこと。蘇我(そが)・藤原(ふじわら)氏・平(たいら・へい)氏は天皇家の、北条(ほうじょう)氏は源(みなもと・げん)氏の、安達(あだち)氏は北条氏の、日野(ひの)氏は足利(あしかが)氏の外戚として権力を握った。

鴨長明(かものちょうめい)
 (1155?-1216) 歌人。下鴨(しもがも)神社禰宜(ねぎ)・長継(ながつぐ)の子。1201和歌所寄人(わかどころよりうど)に選ばれ、1204河合社の祢宜になれずに出家、大原(おおはら)・日野(ひの)に隠棲し、随筆『方丈記(ほうじょうき)』・家集『鴨長明集』・歌学書『無名抄(むみょうしょう)』・説話集『発心集(ほっしんしゅう)』を残した。

●関白(かんぱく)
 天皇補佐。初めての関白は光孝朝の藤原基経(ふじわらのもとつね)。

蔵人所(くろうどどころ)
 令外官(りょうげのかん)の一。天皇に近侍し、極秘文書や訴訟をつかさどった役所。810嵯峨(さが)天皇が設置。長官は蔵人頭(くろうどのとう)。後にその上に別当(べっとう)が置かれた。事務所は内裏(だいり)校書殿(きょうしょ)にあった。詐欺味1

元亨釈書(げんこうしゃくしょ)
 鎌倉時代の仏教史書。三十巻。1322成立。虎関師錬(こかんしれん)著。日本最初の日本仏教史。仏教伝来から鎌倉時代までの高僧の伝記や逸話を収録。

源平盛衰記(げんぺいじょうすいき・せいすいき)
 鎌倉〜南北朝時代の軍記物語。四十八巻。編者は不明だが、葉室時長(はむろときなが)説・玄慧(げんえ)説等がある。『平家(へいけ)物語』の異本とされているが、独自の逸話も少なくない。

皇后(こうごう)←大后(たいこう・たいごう・おおきさき)
 天皇の正妻。大王の正妻は大后。天武天皇の頃(皇后は後の持統天皇)に称号が定着し、大后は皇太后の略称となる。一条天皇から二后並立制(皇后・中宮)がとられた。

皇太子(こうたいし)=東宮・春宮(とうぐう)
 皇位を継ぐ予定の唯一の皇子(または王子・皇女・王女)。次期天皇。七世紀頃に成立?

古今著聞集(ここんちょもんじゅう)
 鎌倉時代の説話集。1254成立。橘成季(たちばなのなりすえ)編。神祗・釈教・公事・忠臣など三十編の項目に分け、六百九十七話の説話を収録。

今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)・今昔物語
 平安時代の説話集。三十一巻(三巻散在)。現存千四十話。1120以後成立。源隆国(みなもとのたかくに)編? 天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の三部構成で、各話「今は昔」で始まる。大正時代の文豪・芥川竜之介(あくたがわりゅうのすけ)が考証し、『鼻』『芋粥(いもがゆ)』などを著した。
熊野味 アユ味

左大臣(さだいじん)
 律令制における執政官。太政大臣欠員時の最高官。国政を統括した。645大化の改新で阿倍内麻呂(あべのうちまろ)が任じられたのが最初。 

四鏡(しきょう)
 鏡の名を持つ歴史物語の総称。以下四つ。

書名 成立年代 巻数 著 者 収録範囲
 大 鏡  平安後期 平安中期(文徳〜後一条)
 今 鏡  平安末期 10 平安後期(後一条〜高倉)
 水 鏡  鎌倉初期 3 中山忠親? 大和〜平安前期(神武〜仁明)
 増 鏡  南北朝時代 17 二条良基? 鎌倉時代(後鳥羽〜後醍醐)

十訓抄(じっきんしょう・じっくんしょう)
 鎌倉時代の説話集。三巻。1252成立。菅原為長(すがわらのためなが)?編。十項目に分けた教訓的説話を収録。

自由民主党(じゆうみんしゅとう)=自民党(じみんとう)
 (1955- )自由党と民主党の保守合同によって成立した政党。初代総裁は鳩山一郎(はとやまいちろう)。結党以来一貫して政権を保持したが、1993に分裂、初めて野党に転落するが、1994再び政権与党に返り咲いた。

清和源氏(せいわげんじ)
 清和天皇の皇孫・経基王(つねもとおう)が源(みなもと)姓を賜って臣籍降下されたことに始まる氏族。平安後期、桓武平氏(かんむへいし)と並んで武家の棟梁(とうりょう)になり、主に関東地方に地盤を作った。足利(あしかが)・新田(にった)・細川(ほそかわ)・斯波(しば)・畠山(はたけやま)・山名(やまな)・一色(いっしき)・今川(いまがわ)・武田(たけだ)・土岐(とき)・小笠原(おがさわら)氏など多くの武家を輩出した。徳川(とくがわ)・明智(あけち)・大友(おおとも)氏なども清和源氏を称している。

摂政(せっしょう)
 天皇代理。執政。初めての摂政は『日本書紀』によれば、神功皇后とされるが、明らかではない。皇族の摂政は推古朝の聖徳太子(しょうとくたいし)が知られ、斉明朝の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や天武朝の草壁皇子(くさかべのおうじ)も摂政の職を執り行ったという。臣下で初めての摂政は、清和朝の藤原良房(ふじわらのよしふさ)。

大納言(だいなごん)
 太政官(だいじょうかん・だじょうかん)で左右大臣に次ぐ官職。大臣とともに政務を執った。定員は四人。天武(てんむ)天皇が設置した御史大夫(ぎょしたいふ)が起源で、705その下に中納言が置かれた。

太平記(たいへいき)
 軍記物語の一。四十巻。1368-1375)成立。小島法師?著。鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱を描く。暴走味 

内裏(だいり)
 天皇の居所。皇居。御所。大内裏(だいだいり。皇居+主要官庁)の中にあり、紫晨殿(ししんでん・ししいでん。書斎ほか)・清涼殿(せいりょうでん。居間ほか)・仁寿殿(じじゅうでん・じじゅでん。客間ほか)などがある。

太政大臣(だじょうだいじん・だいじょうだいじん)
 律令制最高責任者。太政官の最高官。常置ではなく、適任者がいなければ欠員。671大友(おおとも)皇子が任じられたのが最初。臣下初の太政大臣は857藤原良房(ふじわらのよしふさ)。

天台宗(てんだいしゅう)
 仏教の宗派。隋(ずい)の僧・智(ちぎ)を祖とし、法華経を基とする。日本には805最澄(さいちょう)が将来し、桓武(かんむ)天皇によって国家公認の宗派となった。十世紀末に山門派(さんもんは。延暦寺)と寺門派(じもんは。園城寺)に分裂した。

天皇(てんのう)
 古代〜現代に至る日本の国王。推古天皇のときに成立? 初代天皇は神武(じんむ)天皇? 今上天皇は伝百二十五代。大日本帝国憲法では大日本帝国の元首、日本国憲法では象徴。
女帝味

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

藤原氏(ふじわらし・ふじわらうじ)
 特に古代に繁栄した氏族。氏祖は中臣鎌足(なかとみのかまたり)。奈良時代に南家(なんけ)・北家(ほっけ)・式家(しきけ)・京家(きょうけ)の四家に分かれ、南家、次いで式家が繁栄したが、平安時代になると北家が台頭、摂政・関白を独占し、いわゆる摂関政治を現出した。鎌倉時代には五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)に分裂し、摂家将軍も輩出した。

藤原兼家(ふじわらのかねいえ)
 (929-990)公卿。摂政・関白・太政大臣。藤原師輔(もろすけ)の子。972長兄・伊尹(これただ・これまさ)没後、次兄・兼通(かねみち)と関白を争って敗れるが、977兼通没後に986花山(かざん)天皇を退位させ(寛和の変)、一条天皇の外祖父として摂政に就任、989太政大臣に、990関白となった。『蜻蛉(かけろう)日記』の作者・藤原道綱母(みちつなのはは)は妻の一人。狂気味 安倍味5

藤原道長(ふじわらのみちなが)
 (966-1027)公卿。摂政・太政大臣。藤原兼家(かねいえ)の子。995兄の道隆(みちたか)・道兼(みちかね)の死によって内覧となり、996長徳の変で政敵の藤原伊周(これちか)・隆家(たかいえ)兄弟を追放、左大臣に昇り、四人の娘(彰子・妍子・威子・嬉子)を四人の天皇(一条・三条・後一条・後朱雀)に嫁がせ、天皇の外戚として権力を掌握、1016摂政に、1017太政大臣に就任して摂関政治の最盛期を現出、1020法成寺(ほうじょうじ)を建て、日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』を残した。
満月味 テロ味2
安倍味5

平安京(へいあんきょう)
 (794-1868) 平安〜江戸時代の日本の首都。京域は京都盆地北部。東西約4.5q。南北約5.2q。794桓武(かんむ)天皇が和気清麻呂(わけのきよまろ)の勧めで遷都。

平家物語(へいけものがたり)
 軍記物語の一。鎌倉時代成立。信濃前司行長(しなのぜんじゆきなが)?著。 平家一門の興亡を描く。琵琶法師(びわほうし)によって語られ広められた。

源経基(みなもとのつねもと)←経基王(つねもとおう)
 (?-961) 武将。清和源氏(せいわげんじ)の祖。貞純親王(さだずみしんのう)の子。清和(せいわ)天皇(または陽成天皇)の孫。武蔵介のとき平将門(たいらのまさかど)の乱を密告して征東副将軍となり、小野好古(おののよしふる)とともに藤原純友(すみとも)の乱平定に活躍、941警固使・大宰権少弐となった。

源 満仲(みなもとのみつなか)
 (913?-997) 武将。源経基(つねもと)の子。摂津多田荘を拠点とし、諸国の受領を歴任、摂関家に接近し、969安和の変の密告によりライバル武士・藤原千晴(ふじわらのちはる)を排除した。
安倍味

村上天皇(むらかみてんのう)←成明親王(なりあきらしんのう)
 (926-967) 伝六十二代天皇(在位946-967)。醍醐(だいご)天皇皇子。母は藤原基経(もとつね)の娘・穏子(おんし)944兄・朱雀(すざく)天皇の皇太子となり、946譲位を受けて即位、949藤原忠平(ただひら)死後は関白を置かず、951『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』編集させ、957菅原文時(すがわらふみとき)の意見封事三箇条を入れ、958乾元大宝(けんげんたいほう)を鋳造、960天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)を主催するなど天皇親政を行い、後世に天暦(てんりゃく)の治と呼ばれた。

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system