220.猛威味 基礎用語集 | ||||||||||||||
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●右大臣(うだいじん)
律令制における執政官。太政大臣・左大臣欠員時の最高官。左大臣とともに国政を統括した。645大化の改新で蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ。倉山田石川麻呂)が任じられたのが最初。
●宇多法皇(うだほうおう)←宇多上皇(じょうこう)←宇多天皇←源定省(みなもとのさだみ)
(867-931) 伝五十九代天皇(在位887-897)。光孝(こうこう)天皇皇子。884臣籍降下されるが、887父の死後に即位、887-888阿衡(あこう)の紛議で関白・藤原基経(ふじわらのもとつね)と対立するが、891基経死後に寛平(かんぴょう)の治を断行、菅原道真(すがわらのみちざね)を登用し、摂関家を抑制、長子・醍醐(だいご)天皇に譲位し、『寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)』を残した。
●絵巻物(えまきもの)
絵に詞書(ことばがき。説明)を添え、人物の伝記・寺社の縁起・その他昔話などを描写した巻物。奈良時代に始まり、平安・鎌倉時代に発展、室町時代に衰えた。以下が主なもの。
制作年代 | 絵巻物名 | 作家 | 描写内容 |
平安末期 | 源氏物語絵巻 | 藤原隆能?(絵) 藤原伊房?(詞) |
源氏物語の世界 |
平安末期 | 伴大納言絵巻 | 常盤光長(絵) 飛鳥井雅経?(詞) 藤原教長(詞) |
応天門の変 |
平安末期 | 信貴山縁起絵巻 | ? | 命蓮の説話。 朝護孫子寺の由来 |
平安末期 | 粉河寺縁起絵巻 | 寂蓮?(詞) | 粉河寺の霊験談 |
平安末期 | 年中行事絵巻 | 常盤光長?(絵) 住吉如慶(模写) |
宮廷年中行事 |
平安末期 | 鳥獣戯画 (鳥獣人物戯画) |
鳥羽僧正覚猷?(絵) | 貴族社会の風刺 |
鎌倉初期 | 北野天神縁起絵巻 | 藤原信実?(絵) | 菅原道真の生涯と 北野天満宮の由来 |
鎌倉初期 | 地獄草紙 | 後白河法皇?(企画) | 地獄の様子 |
鎌倉初期 | 病草紙 | 後白河法皇?(企画) | 病気の状態 |
鎌倉初期 | 餓鬼草紙 | 後白河法皇?(企画) | 苦しむ餓鬼 |
鎌倉中期 | 平治物語絵巻 | ? | 平治の乱 |
鎌倉後期 | 法然上人行状絵図 (法然上人絵伝) |
土佐吉光ら(絵) | 法然の生涯 |
鎌倉後期 | 一遍聖絵 (一遍上人絵伝) |
円伊(絵) 聖戒(詞) 世尊寺経尹(外題) |
一遍の生涯 |
鎌倉後期 | 鑑真和上東征絵伝 | 蓮行(絵) 美作前司宣方(詞) |
鑑真の伝記 |
鎌倉後期 | 春日権現霊験記 (春日権現験記) |
西園寺公衡(企画) 高階隆兼(絵) 鷹司基忠ら(詞) |
春日大社の霊験談 |
鎌倉後期 | 石山寺縁起絵巻 | 高階隆兼(絵) 杲守?(詞) 土佐光信ら(絵補写) 三条西正隆ら(詞補写) |
石山寺の由来 |
鎌倉後期 | 山王霊験縁起絵巻 | ? | 日吉大社の霊験談 |
鎌倉後期 | 蒙古襲来絵詞 | 竹崎季長(企画) | 文永・弘安の役 |
鎌倉後期 | 男衾三郎絵巻 | ? | 地方武士の物語 |
鎌倉後期 | 天狗草紙 | ? | 僧兵の風刺 |
南北朝時代 | 後三年合戦絵巻 | 玄恵(企画) 惟久(絵) 尊円入道親王ら(詞) |
後三年の役 |
●延暦寺(えんりゃくじ)
滋賀県大津市比叡山所在。天台宗(てんだいしゅう)総本山。山号比叡山(ひえいざん)。785最澄(さいちょう)が比叡山に入り、788一乗止観院(いちじょうしかんいん比叡山寺)を立てたのが起源。最澄は唐から帰国後、この地で天台宗を開き、その死後「延暦寺」の勅願を賜り、平安時代以後は奈良の南都(興福寺)と並んで北嶺(ほくれい)と呼ばれ、日本の仏教教学の中心となった。
●延暦寺の焼打(えんりゃくじのやきうち)=延暦寺焼き打ち=延暦寺焼き討ち
1571織田信長が浅井・朝倉氏と結んで敵対した延暦寺(えんりゃくじ)を全山焼き払った事件。根本中堂(こんぽんちゅうどう)ほか三百の堂宇が焼かれ、僧俗男女三、四千人が虐殺された。
●織田信長(おだのぶなが)
(1534-1582) 武将。織田信秀(のぶひで)の子。父の死後、尾張を統一、1560桶狭間(おけはざま)の戦で今川義元(いまがわよしもと)を討ち、1567美濃の斎藤氏を追って岐阜城に入城、1568足利義昭(あしかがよしあき)を擁して上洛し、1570姉川(あねがわ)の戦で浅井(あさい)・朝倉(あさくら)氏を倒し、1571比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼き打ち、1573義昭を追放して室町幕府を滅ぼし、1574長島一向一揆(いせながしまいっこういっき)を、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(たけだかつより)を撃破、1576近江に安土(あづち)城を築いて移り、楽市(らくいち)・楽座(らくざ)を実施、1580石山本願寺(いしやまほんがんじ)を大坂から立ち退かせ、1582天目山(てんもくざん)の戦で勝頼を滅ぼすが、本能寺(ほんのうじ)の変で家臣の明智光秀(あけちみつひで)に討たれた。
●鎌倉時代(かまくらじだい)
(1185頃〜1333) 鎌倉に幕府が置かれ、武士が支配していた時代。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置や1192頼朝の将軍就任などによって始まり、源氏・藤原氏・皇族が将軍に就任、1219源氏滅亡後は北条(ほうじょう)氏が執権や得宗(とくそう)として実権を握り、鎌倉文化が栄えるが、1333後醍醐(ごだいご)天皇によって滅ぼされた。
●関白(かんぱく)
天皇が国政を執り行うのを補佐する者。初めての関白は光孝朝の藤原基経(ふじわらのもとつね)。
●北野天神縁起絵巻(きたのてんじんえんぎえまき)
鎌倉時代初期の絵巻物。北野天満宮蔵。菅原道真の生涯と北野天満宮創建の由来を描く。北野天満宮にある最古の伝本「承久本」は藤原信実筆?
●左大臣(さだいじん)
律令制における執政官。太政大臣欠員時の最高官。国政を統括した。645大化の改新で阿倍内麻呂(あべのうちまろ。倉梯麻呂)が任じられたのが最初。
●真言宗(しんごんしゅう)
仏教の流派。空海(くうかい)が唐から将来して開宗。天台宗(てんだいしゅう)の台密(たいみつ)に対して東密(とうみつ)と呼ばれる。京都の東寺(とうじ)や高野山(こうやさん)の金剛峰寺(こんごうぶじ)を中心に発展し、三十六流に分かれた。
●菅原道真(すがわらのみちざね)
(845-903) 学者。公卿。右大臣。是善(これよし)の子。母は伴氏。877文章(もんじょう)博士になり、894遣唐使(けんとうし)廃止を進言、887〜888阿衡(あこう)の紛議に意見して宇多(うだ)天皇の信頼を得、892史書『類聚国史(るいじゅうこくし)』を編集、893参議になり、899右大臣に昇って正史『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』・詩集『菅家文集(かんけぶんそう)』を編集するが、901左大臣・藤原時平(ときひら)の讒言(ざんげん)によって大宰府(だざいふ)に左遷され(昌泰の変)、任地で没して怨霊となり、天神として祭られた。
●醍醐天皇(だいごてんのう)←敦仁親王(あつぎみしんのう)
(885-930) 伝六十代天皇(在位897-930)。宇多(うだ)天皇の皇子。母は藤原高藤(たかふじ)の女・胤子(いんし)。893皇太子となり、897父から「寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)」と皇位を譲られて即位、901昌泰(しょうたい)の変で菅原道真(すがわらのみちざね)を左遷し、902延喜の荘園整理令(しょうえんせいりれい)を発令、藤原時平(ふじわらのときひら)らに『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』「延喜格式(えんぎきゃくしき)」を、905紀貫之(きのつらゆき)らに勅撰和歌集『古今和歌集』を編集させ、907延喜通宝を鋳造、914三善清行(みよしきよゆき)らに意見封事を上申させるなど延喜の治を行った。
●平 将門(たいらのまさかど)
(?-940) 武将。良将(よしまさ)または良持(よしもち)の子。初め京都で関白・藤原忠平(ふじわらのただひら)に仕え、下総に帰国後、931伯父・平良兼(よしかね)と対立、931伯父・平国香(くにか)を殺し、その子・平貞盛や良兼らを撃破、常陸(ひたち)・下野(しもつけ)・上野(こうずけ)・武蔵(むさし)・相模(さがみ)国府を攻略し、ほぼ関東一円を支配、新皇(しんのう)を称し、下総猿島(さしま)を内裏としたが、940貞盛・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らに討たれた(平将門の乱)。
●中国(ちゅうごく)≧中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)←中華民国(ちゅうかみんこく)
(1912-) 東アジアにある国。1912孫文(そんぶん)が臨時大統領になって中華民国が成立、袁世凱(えんせいがい)が専制支配を確立し、1928蒋介石(しょうかいせき)が国内を統一するが、1937-1945日中戦争で衰退、1949中華人民共和国が成立した。現在の首都は北京。
●天台宗(てんだいしゅう)
仏教の宗派。隋(ずい)の僧・智(ちぎ)を祖とし、法華経を基とする。日本には805最澄(さいちょう)が将来し、桓武(かんむ)天皇によって国家公認の宗派となった。十世紀末に山門派(さんもんは。延暦寺)と寺門派(じもんは。園城寺)に分裂した。
●日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。1869から事実上の首都は東京。
●藤原時平(ふじわらのときひら)
(871-909) 公卿。左大臣。藤原基経(もとつね)の子。忠平(ただひら)・温子(おんし。宇多天皇女御)・穏子(おんし。醍醐天皇皇后)らの兄。891参議となり、中納言・大納言を経て899左大臣に昇進、901右大臣・菅原道真(すがわらのみちざね)を讒言(ざんげん)して大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷させ、醍醐(だいご)天皇による延喜の治(えんぎのち)を主導、『日本三代実録』『延喜格式』編修をするが、子孫は栄えなかった。
●藤原基経(ふじわらのもとつね)
(836-891) 公卿。摂政・関白・太政大臣。藤原長良(ながら)の子。藤原良房(よしふさ)の養子。879正史『日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)』を完成、884陽成(ようぜい)天皇を廃して光孝(こうこう)天皇を擁立、887宇多(うだ)天皇によって臣下で初めて関白(かんぱく)に任じられたが、887-888阿衡(あこう)の紛議を起こして困らせた。
●平安時代(へいあんじだい)
(794-1185頃) 平安京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。794桓武(かんむ)天皇の平安遷都に始まり、初期は天皇家が、前中期は藤原氏が、後期は院政の主が、末期は平家が政権を担った。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置(事実上の鎌倉幕府の創立)頃までをいう。