26.暴走味 基礎用語集

足利尊氏(あしかがたかうじ)←足利高氏(たかうじ)
 (1305-1358) 武将・公卿。室町幕府初代将軍(在職1338-1358)。貞氏(さだうじ)の子。1331元弘(げんこう)の変後に鎌倉幕府を離反して後醍醐天皇(ごだいごてんのう)につき、1333六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻略、建武の親政(けんむのしんせい。建武の中興)に参加するが、1335中先代(なかせんだい)の乱を機に離脱、1336湊川(みなとがわ)の戦で新田義貞(にったよしさだ)・楠木正成(くすのきまさしげ)を破り、光明(こうみょう)天皇に北朝を立てさせ、後醍醐天皇率いる南朝と対立、建武式目(けんむしきもく)を制定して室町幕府を開府し、1339弟・足利直義(ただよし)とともに夢窓疎石(むそうそせき)の勧めで天竜寺(てんりゅうじ)を創建、諸国に安国寺(あんこくじ)・利生塔(りしょうとう)を建て、1350-1352観応(かんのう・かんおう)の擾乱(じょうらん)で執事・高師直(こうのもろなお)とともに直義と交戦した。

足利直義(あしかがただよし)
 (1306-1352) 武将。左兵衛督(さひょうえのかみ)。貞氏(さだうじ)の子。1331-1333元弘の乱で兄・尊氏とともに六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め、建武政権で成良(なりよし・なりなが)親王を奉じて鎌倉将軍府を統括、1335中先代(なかせんだい)の乱で護良(もりよし・もりなが)親王を殺し、兄とともに後醍醐天皇に離反、室町幕府創設を助けて幕府の司法権を握るが、1350-1352観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で兄や執事・高師直(こうのもろなお)とと不和になって交戦、尊氏に毒殺された(病没とも)。

仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
 浄瑠璃(じょうるり)。時代物。十一段。二世竹田出雲(たけだいずも)・並木千柳(なみきせんりゅう)・三好松洛(みよししょうらく)の合作。赤穂事件を南北朝時代に仮託して脚色したもの。1748大坂竹本座で初演。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』・『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』とともに三大名作の一つ。

●関白(かんぱく)
 天皇が国政を執り行うのを補佐する者。初めての関白は光孝朝の藤原基経(ふじわらのもとつね)。
スト味

楠木正成(くすのきまさしげ)
 (1294?-1336) 武将。1333元弘(げんこう)の乱で後醍醐(ごだいご)天皇につき、河内赤坂(あかさか)城・千早(ちはや)城に籠城(ろうじょう)、鎌倉幕府軍を撃退し、建武(けんむ)の新政(中興)に参与、摂津・河内・和泉守護・河内国司に任じられ、1336謀反を起こした足利尊氏(あしかがたかうじ)を敗走させるが、再挙した尊氏に湊川(みなとがわ)の戦で敗死した。
窮地味

原爆(げんばく)=原子爆弾(げんしばくだん)
 原子核の分裂によって放出される莫大なエネルギーを利用した核兵器。第二次世界大戦中にアメリカが開発し、1945.7/ニューメキシコ州で世界初の原爆実験に成功、8/6広島に「ウラン235」を投下して世界初の人類殺戮(さつりく)を行い、8/9長崎に「プルトニウム239」を投下、1946.7/マーシャル諸島のビキニ環礁で世界初の洋上原爆実験を行った
軍艦味

小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)
 (1942-) 政治家。首相(在職2001-)。福田赳夫(ふくだたけお)の秘書を経て衆院議員に当選し、厚相・郵政相などを歴任、2001自民党総裁として首相に就任し、「聖域なき構造改革」を提示、郵政民営化等を目指し、2002北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記と日朝平壌宣言(にっちょうピョンヤンせんげん)を発表、拉致問題解決に尽力している。不況味
刺客味

高 師直(こうのもろなお)
 (?-1351) 武将。室町幕府執事。足利尊氏(あしかがたかうじ)の側近として鎌倉倒幕戦に従軍、建武(けんむ)政権では雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)三番局奉行人を務め、主君とともに後醍醐(ごだいご)天皇に離反、1336湊川(みなとがわ)の戦いで新田義貞(にったよしさだ)・楠木正成(くすのくまさしげ)を破り、1338石津(いしづ)の戦い(堺浦の合戦・堺浜合戦)で北畠顕家(きたばたけあきいえ)を、1348四条畷(しじょうなわて)の戦いで楠木正行(まさゆき)を敗死させ、室町幕府創設に尽力するが、足利直義(ただよし)と対立、1350-1352観応(かんおう)の擾乱(じょうらん)最中、摂津武庫川(むこがわ)にて上杉能憲(うえすぎよしのり)らに殺害された。
暴走味

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)←尊治親王(たかはるしんのう)
 (1288-1339) 伝九十六代天皇(在位1318-1339) 後宇多(ごうだ)天皇の皇子。鎌倉幕府倒幕を目指して1324正中(しょうちゅう)の変・1331元弘(げんこう)の変を起こすも事前に発覚、山城笠置山(かさぎやま)で挙兵するが逮捕され、隠岐へ流されるが脱出、名和長年(なわながとし)に迎えられて船上山で挙兵し、楠木正成(くすのきまさしげ)・赤松則村(あかまつのりむら)らの奮戦や、足利尊氏(あしかがたかうじ)・新田義貞(にったよしさだ)らの裏切りによって1333倒幕に成功、建武(けんむ)の新政(中興)を行い、記録所(きろくじょ)・雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)・恩賞方(おんしょうがた)・武者所(むしゃどころ)・鎌倉将軍府・陸奥将軍府などを設置、延喜(えんぎ)・天暦(てんりゃく)の治を目指して天皇親政を行おうとするが、1335中先代(なかせんだい)の乱を機に尊氏らが離反、1336湊川(みなとがわ)の戦いで正成が敗死し、義貞が敗走すると、大和吉野(よしの)へ逃れて南朝を樹立、以後没するまで尊氏の擁立した北朝と対立抗戦した。窮地味
子供味 隠岐味

国家総動員法(こっかそうどういんほう)
 日中戦争に際し、政府が人的・物的資源を統制・運用する権限を掌握した法令。1938第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が発令。政治経済体制を形成し、この法令下で1938国民徴用令・1939賃金統制令・価格等統制令などが発令された。

●嵯峨太上天皇(さがだいじょうてんのう)=嵯峨上皇(さがじょうこう)←嵯峨天皇←神野親王=賀美能親王(かみのしんのう)
 (786-842) 伝五十二代天皇(在位809-823)。三筆(さんぴつ)の一人。桓武(かんむ)天皇の皇子。平城(へいぜい)天皇の弟。兄の譲位で即位し、検非違使(けびいし)や810蔵人所(くろうどのところ)を設置、蔵人頭に北家の藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)らを登用し、式家の藤原仲成(なかなり)・薬子(くすこ)兄妹らを排斥(薬子の変)、820『弘仁格式(こうにんきゃくしき)』を完成、漢詩集814『凌雲集(りょううんしゅう)』・818『文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)』・814系譜集『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』を編集させた。842死後、承和(じょうわ)の変が起こった。
内乱味 告発味 安保味 不戦味 三密味

雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)
 建武政権における司法機関。所領の訴訟等の裁判を担当。1333後醍醐天皇が設置。四番制(または三番制。1334八番制に拡張)。1335足利尊氏の離反によって衰退。

自衛隊(じえいたい)
 (1954-) MSA協定(日米相互防衛援助協定)により、保安隊と警備隊を改組して発足した日本の防衛組織。防衛庁に所属する陸上・海上・航空自衛隊の三隊。内閣総理大臣の統率のもと防衛庁長官が隊を総括。

守護(しゅご)
 鎌倉・室町時代に国ごとに置かれた軍事・行政長官。古代の国司(こくし)、近世の大名(だいみょう)、近現代の知事のようなもの。1185源頼朝(みなもとのよりとも)が初めて全国的に設置。戦国時代に下克上により衰退するが、なかには戦国大名として生き残るものもあった。

聖徳太子(しょうとくたいし)=厩戸皇子(うまやとのおうじ・うまやとのみこ・うまやどのおうじ・うまやどのみこ)=厩戸王(うまやとのおう)
 (574?-622) 摂政(在任593-622)。587蘇我馬子(そがのうまこ)とともに物部守屋(もののべのもりや)を討ち、594仏教興隆の詔を発表、593推古(すいこ)天皇の摂政となり、難波(なにわ)に四天王寺(してんのうじ)を建立、603冠位十二階を・604憲法十七条を定め、605上宮(かみつみや・うえのみや)から斑鳩宮(いかるがのみや)に引っ越し、607小野妹子(おののいもこ)ら遣隋使(けんずいし)を遣わし、斑鳩に法隆寺(ほうりゅうじ)や中宮寺(ちゅうぐうじ)を建立、611注釈書『勝鬘経義疏(しょうまんきょうぎしょ)』・614『維摩(ゆいま)経義疏』・615『法華(ほっけ)経義疏』・620史書『天皇記』・『国記』を編修したという。
法王味 襲撃味 日朝味4 憲法味 富豪味

昭和天皇(しょうわてんのう)
 (1901-1989) 伝百二十四代天皇(在位1926-1989)。大正天皇の第一皇子。母は貞明(ていめい)皇后。1921大正天皇の摂政となり、1926即位、戦前は現人神として崇敬されたが、1945人間宣言を行い、1947日本国憲法にて国民の象徴とされた。制裁味

新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)
 勅撰和歌集。八代集の最後。二十巻。後鳥羽上皇の命で源通具(みなもとのみちとも)・藤原定家(ふじわらのさだいえ・ていか・)・藤原家隆(いえたか・かりゅう)らが編集。約二千首を収録。

ソビエト連邦=ソ連=ソビエト社会主義共和国連邦
 (1917-1991) ユーラシア大陸北部にあった最初の社会主義国。首都モスクワ。1917ロシア革命によって成立し、レーニンやスターリンらによって社会主義政策が推進されたが次第に行き詰まり、ゴルバチョフのペレストロイカもむなしく1991八月政変で共産党は解散、ソビエト連邦は倒壊し、独立国家共同体(CIS)が形成された。

大政翼賛会(たいせいよくさんかい)
 (1940-1945) 新体制運動をすすめる近衛文麿(このえふみまろ)らが結成した単独政党。総裁は近衛。全政党が解散し、これに加わった。

太平記(たいへいき)
 軍記物語の一。四十巻。応安年間(1368-1375)成立。小島法師?著。鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱を描く。秘密味 子供味 窮地味 隠岐味 暴走味 
野合味

鳥羽法皇(とばほうおう)←鳥羽上皇(じょうこう)←鳥羽天皇←宗仁親王(むねひとしんのう)
 (1103-1156) 伝七十四代天皇(在位1107-1123。院政1129-1156)。堀河(ほりかわ)天皇の第一皇子。母は藤原実季(ふじわらのさねすえ)の娘・苡子(いし)。1103即位し、1123祖父・白河(しらかわ)法皇の命によって崇徳(すとく)天皇に譲位、1118最勝寺(さいしょうじ)を建立し、1129法皇没後に院政を開始、祖父に避けられていた藤原忠実(ふじわらのただざね)を再登用し、1141近衛天皇を擁立、1155その没後は白河天皇を擁して崇徳上皇と対立し、1156の保元(ほうげん)の乱の原因を作った。
泥酔味

豊臣秀吉(とよとみひでよし)←羽柴(はしば)秀吉←木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)
 (1537-1598) 武将。関白・太政大臣。織田信長に仕えて出世し、1573近江長浜(おうみながはま)城主となり、1577中国攻めを開始、1582備中高松(びっちゅうたかまつ)城攻撃中に信長横死の知らせを受け、山崎(やまざき)の戦で明智光秀(あけちみつひで)を、1583賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで柴田勝家(しばたかついえ)を滅ぼし、石山本願寺(いしやまほんがんじ)跡に大坂(おおさか)城を築城、1584小牧・長久手の戦いを経て徳川家康と講和、1585関白となって紀伊の根来(ねごろ)・雑賀(さいが)一揆を、四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を降し、1586太政大臣に就任、1587九州の島津義久を、1590東北の伊達政宗(だてまさむね)・最上義光(もがみよしあき)らを、関東の北条氏政(ほうじょううじまさ)・氏直(うじなお)を降して天下を統一、太閤検地(たいこうけんち)や刀狩(かたながり)を行い、バテレン追放令や身分統制令などを発令、聚楽第(じゅらくだい)や伏見城を築いたが、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は失敗した。 怪談味2 日朝味7 花見味 変節味1

南朝(なんちょう)
 (1336-1392) 1336足利尊氏(あしかがたかうじ)によって京都を追われた大覚寺統(だいかくじとう)の後醍醐(ごだいご)天皇が大和の吉野(よしの。奈良県吉野町)に立てた朝廷。後醍醐・後村上(ごむらかみ)・長慶(ちょうけい)・後亀山(ごかめやま)天皇と四代続いたが(1351-1352一時合体)、1392南北朝合体(南北朝合一)で消滅。
総理味

新田義貞(にったよしさだ)
 (?-1338) 武将。新田朝氏(ともうじ)の子。1333分倍河原(ぶばいがわら)の戦などで幕府軍を破り、鎌倉を攻略(鎌倉幕府滅亡)、1333-1335建武政権で武者所頭人(むしゃどころとうにん)に就き、1335後醍醐(ごだいご)天皇に反した足利尊氏(あしかがたかうじ)討伐に向かうも竹ノ下の戦で敗退、上洛した尊氏を西海に追うが、1336湊川(みなとがわ)の戦で敗走、恒良(つねよし)親王を奉じて北陸に下るが、1337越前金ヶ崎(かねがさき。福井県敦賀市)城が陥落、1338藤島(ふじしま)の戦で斯波高経(しばたかつね)に敗死した。
進撃味 交戦味 操縦味

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

琵琶法師(びわほうし)
 諸国を放浪し、琵琶を弾きながら『平家物語』などを語った盲目の芸能者。平安時代の蝉丸(せみまる)、鎌倉時代の生仏(しょうぶつ)、南北朝時代の明石覚一(あかしかくいち)などが有名。

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

藤原忠通(ふじわらのただみち)
 (1097-1164) 公卿。摂政・関白・太政大臣。藤原忠実の長男。母は源顕房の娘・師子。1121白河上皇に罷免された父に代わって関白となり、太政大臣に昇進、崇徳(すとく)天皇・近衛(このえ)天皇の摂政を務め、後に関白にもなるが、白河法皇没後に父と対立して1150義絶、氏長者を弟の頼長(よりなが)に奪われるが、1156保元(ほうげん)の乱で後白河天皇に味方して勝利し、氏長者に再任、1158関白を子の基実(もとざね)に譲り、書道の法性寺流を興した。

藤原頼通(ふじわらのよりみち)
 (992-1074)公卿。摂政・関白・太政大臣。道長の長男。母は源倫子(りんし)。1003正五位下になり、1006正三位、1017内大臣になり、後一条天皇の摂政に就任、1019父の出家後は関白となり、1021従一位・左大臣に昇進、後朱雀天皇・後冷泉天皇代にも関白を務め、1053宇治に平等院鳳凰堂を建立、1061太政大臣に就くが、1064弟・教通(のりみち)に氏長者を譲り、1068政界から引退して宇治に住んだ。
総理味 降伏味 変節味

平家物語(へいけものがたり)
 軍記物語の一。鎌倉時代成立。信濃前司行長(しなのぜんじゆきなが)?著。 平家一門の興亡を描く。琵琶法師(びわほうし)によって語られ。広められた。
ウシ味

北朝(ほくちょう)
 (1336-1351,1352-1392) 1336足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇を京都から追い、持明院統(じみょういんとう)の光明(こうみょう)天皇に立てさせた朝廷。光厳(こうごん)上皇・光明・崇光(すこう)・後光厳(ごこうごん)・後円融(ごえんゆう)・後小松(ごこまつ)天皇と五代続いたが(1351-1352一時合体)、1392南北朝合体(南北朝合一)で解消。
総理味

源頼政(みなもとのよりまさ)
 (1104-1180) 武将・公卿・歌人。源頼光(よりみつ)の子孫。仲政(なかまさ)の子。早くから白河(しらかわ)・鳥羽(とば)上皇(法皇)に仕え、1156保元(ほうげん)の乱で源義朝(よしとも)らと後白河(ごしらかわ)天皇について勝利、1159平治(へいじ)の乱も平清盛(たいらのきよもり)に味方し、勝って公卿に列したが、1180以仁王(もちひとおう)を奉じて平家打倒を画策、露見して宇治で敗死した。
暴走味1

宗尊親王(むねたかしんのう)=中書王(ちゅうしょおう)
 (1242-1274) 皇族・歌人。鎌倉幕府六代将軍(在職1252-1266)。後嵯峨(ごさが)天皇の皇子。1252鎌倉に下り、皇族として初めて将軍に就任するが、1166謀反の疑いで追放された。家集『瓊玉(けいぎょく)和歌集』など。

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)←大泊瀬皇子(おおはつせおうじ)=大泊瀬幼武皇子(おおはつせわかたけのおうじ)
 (418?-479?) 伝二十一代天皇(在位456?-479?)。允恭天皇の皇子。安康天皇の弟。安康天皇没後、八釣白彦(やつりのしろひこ)皇子・坂井黒彦(さかいのくろひこ)皇子・眉輪王(まよわおう・まゆわおう)・葛城円(かつらぎのつぶら・かずらきのつぶら)・市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺して泊瀬朝倉宮(はつせ・はっせのあさくらのみや)で即位した。倭王武とされる。
非行味 継承味 日朝味1 隕石味 乙武味

吉田兼好(よしだけんこう)=卜部兼好(うらべかねよし)
 
(1283?-1352?) 歌人・文人。二条派の和歌四天王の一。二条為世(にじょうためよ)に和歌を学び、左兵衛佐(さひょうえのすけ)に昇進、随筆『徒然草』・歌集『兼好法師家集』を残した。カネ味

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